e-10) (運動のあり方) 社会の構造的問題
も考えよう
2024年12月
今や反核の旗手として世界的に有名な
カナダはブリティッシュ コロンビア
大学の公共政策と世界情勢学部で軍縮
ならびにグローバルな人類の安全を
担当する教授、Ramana博士が核兵器を
論じてらっしゃる考察を、CounterPunch
のウェブサイトに見つけました。
問題の本質をついた考察だと思うので、
日本語化の上で固定ページにして紹介
しますね。
CounterPunchウェブサイトより
Nuclear Weapons Create and Exacerbate Human Insecurity – CounterPunch.org
M. V. Ramana
”Nuclear Weapons Create and
Exacerbate Human Insecurity”
(核兵器は人類の安全を脅かし、
悪化させる)
2024年12月3日
いつもどおり、
私の日本語化
< >内は、私からの補足説明
です。
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「核兵器と人類の安全の関係とは、
経済的不平等と社会正義の間の関係に
似ている。前者があれば、後者は
極めて実現しにくくなる」
Jacqueline Cabasso と Ray Acheson
世界の大半の人たちにとって、特に
強大な諸国の一部が核兵器を装備して
いるという事実から受ける最重要の
影響とは、昔も今も瞬時にして苦痛の
うちに訪れる死である。Robert Jay
Liftonという心理学者の言葉では、
「核時代の中核にある存在の現実とは、
脆弱性ということだ」
この脆弱性は、ここ数年で一層明らかに
なりつつある。この16か月の間に世界が
見てきた通り、ロシア(Dmitry
Medvedev)やイスラエル(Amihai
Eliyahu)の政府要人が、それぞれ
ウクライナとガザの住民に核を使用する
と脅し、ないしは核使用を求めた。
しかもこれら両国の支配層は既に、
何万人もの一般市民を殺害することも
辞さないという姿勢を行為で示して
いる。
こうした近年の核使用脅迫から窺える
こととして、核兵器とはその保有国が
攻撃対象とする相手やその支援者たちに
対し脅しを加える場合に、最も「役に
立つ」ということだ。核兵器保有国は
いずれも、何らかの非常事態の場合には
核兵器を使用するための計画を保持して
いる。英国の歴史家E. P. Thompson が
かつて述べたように、「核戦争が”考え
られないもの”であったためしなど、
ない。核戦争については思考が巡らされ
そうした思考は具体化してきたのだ」
核兵器には、その他の用途もある。
ベトナム戦争 <1950年代から1975年
までベトナムを戦場に展開された戦争
です。当時、今のベトナムの北部には
社会主義政権、南部には資本主義政権が
あり、その両政府間で戦われました。
アメリカや旧ソヴィエトなども関与、
特にアメリカは直接的に派兵し、アメ
リカ国内では反戦運動などが盛り
上がりました。日本も、間接的に関与
しています。結局、1975年に北側の
政府が勝利を収めました> に関する
アメリカ国防省による極秘調査文書が
あり、Pentagon Papersとして知られて
いるが、それをマスメディアにすっぱ
抜いたことで有名なDaniel Ellsberg
という著作家がいる。そのEllsbergの
著書 The Doomsday Machineには、
アメリカ大統領がたびたび核兵器を
ちらつかせて他国政府に、意思に反した
行動を強制した事例が25例も紹介され
ている。Ellsbergの主張では、「誰か
の頭に銃を向けて <何かを強制する>
という銃の用法と同じように」核兵器を
使用したことになる。「引き金を引くか
どうかは、別問題だ」
保有諸国は自国の核兵器は抑止のためだ
と主張して、正当化を試みている。だが
実際には、核兵器の恩恵を受けるのは
いかなる場合にも市民ではない。1990
年代に国際司法裁判所が核兵器の合法
性を検討していた頃があったのだが、
その際にインドは核抑止という行為に
ついて「核使用国は敵国はもとより
自国民に対しても悲惨な結果を招くの
だが、その悲惨さを無視して自国の存在
を守ろうというものであり、人間の感性
にとって忌み嫌うべきものだ」と述べて
いた。もっとも、そのあと1998年に
インドは核兵器保有国であるとの宣言を
するのだが。
この声明は単に昔のインドが核抑止と
いうものをどう見ていたのかを示すだけ
でなく、さらに深い事実を指摘している。
つまり、自国民が脅威を受けているから
核兵器の使用に踏み切るわけではなく、
その国家に対する脅威 <が、核使用へ
と踏み切らせる要因となりえる。>
さらにこの声明からは、国家にとっての
利害とは必ずしもその国民の利害と同じ
ではなく、国家のために国民が犠牲と
されてしまう場合もあるということが
明らかになる。
核兵器の正当化の理由としてよく取り
上げられるものに、国家の安全保障の
ために必要なのだ、というものがある。
これは不整合な考えなのだが、権力者
たちは自国に暮らす人々の利害と自分
たちの利害とを同一視させるための
詭弁としてこの考えを利用する。
核兵器は安全保障を脅かすだけでなく、
民主主義の敵でもある。核兵器が深く
関わっているプロセスによって、
国家間でも国家内部でも権力の不公平が
固定化してしまう。核兵器とは本来的に
反民主主義的な代物で、その関連する
活動にはいくつもの層が出来、事実を
隠ぺいしてしまう。公衆との話し合いの
うえで <核関連の> 決定が下される
ことは、ない。それが核兵器製造能力の
開発に関するものであれ、どのような
核兵器をどれだけ開発するのかという
決定であれ、核兵器の実際の使用に
関するものであれ。核兵器の開発と
配備に関する科学技術研究所や軍部は、
無制限ともいえるほどの財源と圧倒的
なまでの政治権力とを手に入れ
られる。解放的、ないしはリベラル、
あるいは進歩的でありたいと願う社会
であれば必ず、そうした社会の価値を
<核兵器が> 損なうことを体験する
はずだ。もっと正確に言うなら、今
以上に損なうことになろう。核兵器を
手にするならば。
核兵器と2種類の自由
核兵器そのもの、ならびに核という大量
破壊兵器の基盤にある幾重もの各層の
暴力すべては、恐怖を避けたいと願う
人々にとって敵対的なものであること
は、疑問を挟まない。核という高度な
虐殺と損傷の手段を実際に保有している
国々が存在しておるのであり、それに
対する合理的な応答とは、恐怖である。
それと同時に、単に恐怖がないという
だけでは、真実の平和とも安全とも呼べ
ない。1945年、国際連合が設立の過程
にあった当時、アメリカの国務長官で
あったEdward R. Stettiniusはこう
記していた。「平和を求める戦いには、
前線が2つある。第一の前線は安全
保障で、ここでは恐怖がなくなれば
平和の実現ということになる。もう
1つは経済的・社会的な前線で、ここ
では平和の達成とは不足からの解放で
ある。この両前線で平和を実現しな
ければ、持続的な平和を世界に実現する
ことはできない」
こうした、平和の二重の基盤は、1994年
の <国連による> 人間開発報告書
(Human Development Report)に
記されている人間の安全保障という概念
にも反映されている。この報告書は、
「恐怖からの自由」と「不足からの
解放」とを求めている。 では、核兵器
をはじめ各種の大虐殺のための技術
とは、不足からの解放にどのように
影響しているのか?
どのような国家あるいは社会であれ、
武装に巨大な投資を行うならば、
個人もコミュニティも必然的に、
あらゆる不足に苦しむこととなる。
核開発には巨額の資金を要するため、
市民の基礎的なニーズに応えるための
リソースが不足しやすくなってしまう。
そのため、市民達は「不足からの解放」
を享受しにくくなる。
核兵器廃絶国際キャンペーン(Inter
national Campaign to Abolish Nuclear
Weapons)によれば、核兵器を保有する
9か国が2023年に核兵器に費やした
金額は合計で、米国ドル換算で910億
ドルを超えていた。この支出は年々
増大を続けており、2023年だけでその
増額は100億米国ドルを超えていた。
アメリカだけでも、核兵器への支出額は
510億ドルを上回っていた。今後も
こうした支出は増大を続ける見込みで、
Congressional Budget Office(議会予算
オフィス)の推定によれば、アメリカは
今後の10年間(2023-2032)で
7,560億ドルを費やすものと見られる。
これ程の巨額が、あらゆる兵器の中でも
最も破壊的な兵器の開発のために使われ
ているのだ。全世界に、もっと急を
要する人類のニーズがあるというのに、
である。一例として、国連の世界食糧
計画(United Nations World Food
Program)の推定によれば、「2030年
までに世界の飢える人々全員に食糧を
提供し世界の飢餓を終結させる」ため
の費用は、米国ドル換算で400億ドル
である。アメリカの核兵器装備のための
予想支出は毎年平均で756億ドルで
あり、世界の飢餓をなくすための費用は
この半分強に過ぎない。
核装備への支出だけではない。核兵器は
何もないところで開発され、配備される
わけではない。核兵器保有諸国も核保有
を願っている諸国もすべて、必要以上に
増大した軍隊を有している。各種兵器の
中でも核兵器は最も破壊的なもので
あろうが、核保有諸国は非核保有諸国と
比べ、核以外の兵器も使用して殺人や
傷害を行ってきたケースがはるかに多い
のだ。先に言及した戦闘状態にある
二国、つまりロシアとイスラエルは
あらゆる手段を利用してウクライナと
パレスティナ(ならびに言うまでもない
がレバノン)の人々の殺りくに努めて
きている。一方、核兵器は言葉で登場
するのみである ― 今までのところは。
だがやはり、そうした兵器の為に支出
される金額は醜くも巨大なのだ。
ストックホルム国際平和研究所
(Stockholm International Peace
Research Institute、SIPRI)による
と、2023年に世界の軍事支出は米国
ドル換算で2兆4430億ドルを超え、
これはこの研究所がデータの記録を
1980年代後半に始めて以来、最大だ。
軍事予算が世界でも最大の5か国の
うち4か国、さらにトップ10諸国の
うち6か国は、核兵器保有国なのだ。
この醜悪なリストに名を連ねる他の
諸国も、核兵器保有国と軍事同盟に
あるか、あるいは同盟を交渉中である。
こうした数値は、直接的な軍事装備や
活動だけに対象を絞ったものだ。だが
現代の戦争とは、そうしたもの以外にも
多数の事項が関与するものだ。確かに
死と破壊の直接的な要因は爆弾やミサ
イルであるが、そうした兵器を誘導する
のは高度な情報技術なのだ。例として
イスラエルは、ガザでどの個人や建造物
を殺害の対象とするべきかを判定する
際にLavender や Where’s Daddy、
Habsora (The Gospel) といった人工
知能プログラムを利用している。また
アメリカの国防省は(たとえば)
数十億ドルを投じて、民間企業各社に
戦争の各種の側面にAIを適用するよう
求めている。
国家や民間企業がこうした高度お技術の
開発のために巨額を投じているわけ
だが、そうした支出は人々を不足から
解放するためには役立っていない。この
種の技術の研究開発は民間企業と政府の
間の境界をまたいで行われるうえに、
こうした技術に関する民生用の主張を
頼りに企業も政府も行動しているため、
この種の研究開発に実際にどれだけの
資金が投じられているのか、信頼できる
推計が存在していない。それでも、
こうした支出のために膨大な機会
費用が失われていることは疑いを
挟まない。
単純化しないで、良く真実を洗い出して
私の20分クロッキー
兵器は優先順位を映し出す
こうした金銭面での検討に加えて、
軍事支出という問題を単に「銃かバター
か」に簡略化しては困る。軍縮活動家の
Andrew Lichterman が強く訴えてきて
いるとおりだ。ここに映し出されている
のは、さらに深部にある社会的・政治的
な勢力なのだ。そうした勢力はまた、
最近世界的に権威主義的なナショナ
リスト勢力の台頭が見られるが、その
根底にある要因でもある。
政府が大量殺戮のための手段の開発に
取り組んでいる事実と、人間の開発の
ための資金などが枯渇しつつあること
とに、どんな関係があるのか?それは、
さらに深く探らねばならない。パキス
タンの学者Sadia Tasleem の主張に
よれば、「核政策が各種の社会的・政治
的現実の多様な側面とどう絡みついて
いるのかを探り、さらに各種のレベルで
人間の安全を脅かしている権力と富の
深刻な不平等を恒常化させている力学を
暴くこと」は、インテリ層の責務である。
軍縮を求める人たちの間でさえ、兵器の
実際のまたは理論上の破壊的な効果を
文書化するための知的努力と比べるなら
上述のような関係のあり方、特に基底と
なる社会・政治的勢力を深く探る研究は
嘆かわしいまでに少ない。
本質的には、核兵器そしてその他の
殺りく兵器の開発とは、正義と人間の
安全という問題であり、支出を決定する
政府や権力のある機関が何を優先して
いるかを映し出すものだ。そうした
誤った優先順位について、すでに1967年
にMartin Luther Kingがその Beyond
Vietnam という演説で警告を発して
いた。「機械やコンピューター、利益を
求める動機や所有権が人間よりも重要だ
とみなされてしまうなら、人種差別、
物質主義、軍国主義という巨大な三頭の
モンスターを克服するのは不可能に
なってしまうのだ」この三頭の巨大モン
スターをいまだに克服できずにいるのは、
諸国の政府が今も資本や利潤、資産を
人間よりも価値あるものとしている
ためだ。政府は、個々人やコミュニティ
の安全よりも国家の安全を優先している
のである。
誤った優先順位をどのように正すのか、
それが現代に不可欠の課題である。我々
は巨大な社会的不公正と複層的に影響し
あうエコロジー危機とに取り組んでいる
のだ。規模においても破壊力においても
核兵器装備は膨張しており、それが使用
される可能性もある。それも<こうした
優先順位と関わる> 問題であることは、
言うを待たない。
本論考は本来、<ドイツに本拠を置く環境
問題のシンク タンク> Heinrich Boell財団
のHuman Security Dossier <”人間の安全
に関する書類”> に掲載・発表された
ものです。
************************************
考えてると、凍り付いてしまう
私の20分クロッキーに、後で背景
大変重要な、本質を突いたご指摘だと
私は考えます。
この数十年間の日本での反核の動きを
振り返るなら、要約してしまえば:
2011年3月まで
私自身も含め以前から核発電に反対
していた少数派は、以前から「いつか
日本でも深刻な原発事故が発生しうる」
と警告していたのですが、社会的には
笑いものにされていました
2011年3月から何年か
反原発マーチ(デモ)などが多発し
ましたが、その主張のかなりの部分は
「放射能こわいよ~~」(それ自体は
正しいけど、Ramana博士が上で指摘して
いるような深い考察は、あまり聞こえて
こなかった)
↓
結局、原発問題は
「放射能こわいよ~~」VS「安い電力が
なくなったら、困るよ~~」
に矮小化
2024年12月現在
ウクライナ戦争に伴う化石燃料の高騰
などのため、既存原発の再稼働を求める
声が高まっている
「分かりやすい」現象面ばかり見て
いると、問題が矮小化され、「元の
木阿弥」にすらなってしまう、という
実例ですね。
「やかんをのせたら~~」では原子炉
の技術面も取り上げ、また核兵器が
絡む世界情勢なども取り上げてきて
おりますが、その必要性がお分かり
いただけましたでしょうか??