c-9) (その他の「前科」) 結局、シリア
に核兵器開発プログラムはあったのか?
2024年12月
アサド政権が倒れたという報道が
喧しいシリア。独裁政権が倒れたこと
はバンザ~イですが、こうした場合、
新政権での権力をめぐり各種の新勢力
が抗争 → 新たな内戦に、という
パターンもよく見られますよね。
シリアでそんなパターンが現実化せず
皆さんが平和を享受できることを
祈っております!
で、「やかんをのせたら~~」では
すでに2020年10月のページ c-2)
(上の黒いメニューは、項目を基本的
にはアルファベット順で配列して
います)で、2007年9月のイスラエル
軍によるシリアのAl Kibarという施設
への爆撃を取り上げました。
はたしてそれ以降、アサド政権は核兵器
プログラムを秘かに進めていたのか??
深刻な問題ですよね?もしそうなら、
シリアの新政権はそのプログラムを
どうするのか??
消しても消えない ・・・
私が昔、あるウェブサイトのために
描いたイラストレーション
それを考察するうえで、少し古い記事
ですが、2018年4月のThe Nuclear
Threat Initiativeによる報告を紹介
しますね。まずは何より、2007年9月
以降の展開を把握しておく必要があり
ますので。The Nuclear Threat
Initiative (NTI) は、ワシントンDC
に本拠を置く反核・反大量破壊兵器の
NPOです。
いつもどおり、
私の日本語化
< > 内は、私からの補足説明
原文中には典拠を示す番号が41個ほど
あるのですが、
下の日本語では割愛しております。
NTIのウェブサイトより
Syria Nuclear Overview
始めは平和的なことを言ってたのに~~
私の20分クロッキー
**********************************
Syria Nuclear Overview
(シリアの核、概要)
Fact Sheet – 2018年4月23日
背景
本ページは Syria Country Profile
(シリア、国家プロフィール)の
一部です。
<シリアは> 非核保有国であり、
1969年以降、核兵器不拡散条約
(Treaty on the Non-Proliferation of
Nuclear Weapons、NPT)に加盟して
いる。さらに中東に大量破壊兵器
フリー ゾーン(大量破壊兵器を設け
ない地帯、Weapons of Mass
Destruction Free Zone (WMDFZ) )を
設けようと提唱している国の1つでも
ある。だがシリアは、核兵器開発の
野望を抱いていた時があった。.
現在ではシリアが保有している原子炉
は、小型の研究用原子炉1基のみで、
稼働可能な状態にある。中国製の小型
中性子源原子炉(miniature neutron
source reactor (MNSR))であり、
SRR-1として知られている。 1970年代
以降、シリアは核プログラムの推進の
ために多方面からの援助を求めた。
その例として、IAEAや中国、ロシア、
イラン、北朝鮮も含まれていた。
シリアの核プログラムが国際社会からの
厳しい調査を受けるようになったのは、
2007年9月にイスラエルがAl-Kibar
(IAEAの文書ではDair Alzourという
名称で呼ばれている施設)を爆撃した
時からだ。この施設でシリアは、北朝鮮
からの援助のもとプルトニウム製造用
原子炉を建設していたのだが、
<IAEAに> 申告していなかった。IAEA
はシリアの核プログラムの調査を実施
しようとしたのだが、シリア側からの
協力が限定的であったこと、また内戦が
続いていたことから、調査が進ま
なかった。IAEAはAl-Kibarならびに
近郊の町であるMaysaf、Marjas-Sultan、
Iskandariyahや近隣の山岳地帯にある
疑惑のもたれる施設を調査する要請を
出したのだが、シリア政府はたびたび
それを拒否していた。AL-Kibar以外の
施設はいずれも、核関連とはされて
いない軍事施設である。
生産能力
シリアの核プログラムは限られた規模の
ものであるが、それを指揮するのは
Atomic Energy Commission of Syria
(AECS、シリア原子力委員会) であり、
シリアでの核関連活動の大半が行われて
いるのはダマスカスにある Der
Al-Hadjar Nuclear Research Center
(デル アル・ハジャル核研究センター)
ならびにScientific Studies and
Research Center (SSRC、科学研究
センター) だ。シリアが保有している
稼働できる原子炉は1基のみで、
中国製で30KWt のSRR-1 という
研究用原子炉である。この原子炉は
IAEAのセーフガード<proliferation
などを防止する対策> 下にある。
このSRR-1が産出する使用済み核燃料
の中に含まれているプルトニウムは
ごく微量であるため、核分裂性物質の
製造には不適である。さらに、HEU
核燃料 <下の説明図を参照 2022 Nov 12> の量も
少なく、核兵器製造には不足である。
つまりシリアはまだ、完全な核燃料
サイクルの技術を実現してはおらず、
ウラニウム濃縮や <使用済み核燃料
の> 再処理の技術も有していないと
されている。
2011年5月、既に何年かの調査を続けて
きたIAEAは、2007年にイスラエルに
よって爆撃されたAl-Kibar の施設は
「おそらく原子炉であった」とし、IAEA
に申告すべきだったと結論付けた。2国
(アメリカとイスラエルと見られる)が
IAEAに提出した情報や写真、さらには
IAEA自体が入手した画像に基づき、
IAEAは報告書においてこの原子炉施設の
規模は「北朝鮮のヨンビョンにある
25 MW(th) の空冷式黒鉛炉と類似した
もの」であろうとしている。IAEAは
さらに「この原子炉には核燃料チャネル
が843か所とアクセス用ポートが
79か所あり」、「熱出力は25 MW以上
あった可能性がある」と推定している。
この調査結果からは、シリアが以前に
考えられていたよりもかなり進んだ
核能力を有していたことが窺える。
そしてシリアの核プログラムには北朝鮮
から非合法の技術援助と供給がなされて
いたことに、特に注意を呼び掛けている。
歴史
1970年代から80年代: 失望の20年間
シリアは早くからNPTに加盟した国の
1つで、1968年にこの核不拡散条約に
署名し翌年には批准した。他の中東諸国
の多くが核開発プログラムを開始したの
が1953年のアメリカのドゥワイト D.
アイゼンハワー大統領によるAtoms for
Peace演説を受けて直ぐのことであった
のに対し、シリアが核プログラムを
始めたのは、かなり後のことだった。
シリアが Scientific Studies and
Research Center (SSRC) を設立した
のは1970年代前半のことで、1976年に
なってようやくシリア政府はAECSを
設け核エネルギー利用を目指すことを
宣言した。AECS がIAEAとの協力で
開始したプロジェクトは6件のみで
あった。特に重要な事実として、核エネ
ルギー開発をどう進めるべきかに関し
シリアはIAEAと相談、1990年代までに
600 MWeの原子炉6基を建造すると
いう野心的な国家プランを策定していた。
1980年代前半までにシリアは、自力
では1基の原子炉も建設できないことを
悟った。まして、6基は不可能であった。
そこでシリアは原子炉を入手するため、
<当時の> ソヴィエト連邦やベルギー、
スイス、フランスといった諸国からの
援助を求めた。計画されていた原子炉
の件で入札が実施され、30を超える
企業が参加した。その中にはアメリカ
企業も少なくても1社あったのだが、
シリアが結局選んだのはフランスの
Sofratome社であった。だがその
Sofratomeは実施可能性の調査結果を
受け、この合意から撤退した。シリア
には、この原子炉の必要資金を賄える
だけのリソースがなかったためだ。
これに不満を覚えたシリアは1985年に
再度ソヴィエトに接近、当時の超大国で
あったソヴィエトとの良好な関係を
保てば、原子炉を入手できるだろうと
踏んだ。交渉の結果、2から10MWt の
研究用原子炉と関連する研究センター
とを建設しようというプランができた。
だが財務面での意見の食い違いがあり、
作業は遅延した。結局1991年、未だ
設計段階であったこのプロジェクトは
打ち切りとなった。<1991年末には
ソヴィエト連邦という国家そのものが
なくなりました>
1990-2007: 幾ばくかの進捗
1990年、シリアはアルゼンティンと
1億ドル相当の核開発合意を締結した。
アルゼンティン国営のNational Institute
of Applied Research (INVAP、国立応用
研究所) がシリアに対し、10MWt の
研究用原子炉の供給で合意したのだ。
さらにアルゼンティンのComision
Nacional de Energia Atomica (CNEA、
原子力エネルギー国家委員会) が原子炉
燃料として欠かせない六フッ化ウランを
供給することとなっていた。U-235の
濃縮度は、最大で20%とされた。さらに
この合意の一環として、放射性同位体を
製造するための放射線防御センターと
ホット セル ラボ(放射線格納ラボ)も
含まれていた。だがアルゼンティン政府
は1995年に、この合意を拒否した。
この合意を実行するためには前提条件と
して、特別な核協力条約をシリアと締結
する必要がある、としたのだ。どうも
アルゼンティンにはアメリカとイスラ
エルの両国から、この合意を撤回せよと
いう強力なプレッシャーがあったの
では、との嫌疑もある。同様に、インド
もシリアに対しの原子炉を供給しようか
という提案をしていたが、これも1991
年にアメリカからの強烈なプレッシャー
のため棚上げとされた。
ようやく1991年、シリアの核への
渇望は部分的に実現することとなった。
中国がこの年、SRR-1 研究用原子炉の
建設を開始したのだ。これは、IAEAの
技術援助プロジェクトの一環としての
ことだった。さらに中国はシリアに、
U-235濃度を90.2%にまで濃縮した
ウラニウムをこの原子炉の核燃料と
して980.4g 供給した。これで、年間
2,000時間の稼働を10年間続けること
ができるとされた。今では核燃料の
減少のため、1日当たり2時間しか
稼働できない。SRR-1 原子炉はカナダ
のSlowpoke 2 原子炉を原型とする
もので、中性子放射化分析(neutron
activation analysis (NAA))や訓練、
小規模の放射性同位体製造に用いら
れる。シリアは1992年にIAEAと
包括的セーフガード合意を締結、
1996年にはこの原子炉は臨界に
達した。
某所よりプレッシャーが激しくて ・・・
私の20分クロッキー
1998年、ロシアとシリアの間の
通商と科学技術協力に関する政府間
委員会が核エネルギーの平和利用に
関する合意を締結した。これには
<海水の> 淡水化施設も含まれて
おり、そのエネルギー源は25MWの
軽水炉であった。だがこのプロ
ジェクトは進捗せず、どうもアメリカ
からのプレッシャーで崩れた模様だ。
先述の1990年代前半のアルゼン
ティンやインドとの場合と同様である。
2003年にシリアはロシアと20億ドル
相当の核合意を締結したが、これには
原発と核エネルギーを利用する海水の
淡水化施設とを含んでいた。この合意
締結は当初、ロシア外務省のウェブ
サイトで公表され、否定的な反応を
多数受けた。すると外務省のスポークス
パーソンはあわてて、そうした話し合い
がなされた事そのものを否定した。
2007年以前には、シリアが核兵器開発
プログラムを有しているのでは、という
懸念はあったがオープン ソースでは
その懸念の根拠があまり得られ
なかった。2007 年にはAl-Kibarに
プルトニウム製造用原子炉があったこと
が暴露された。だがシリアは核以外の
大量破壊兵器、特に化学兵器の開発にも
努めており、アメリカなど一部諸国は
シリアの活動を密接に監視、危険性の
ある技術の移動に反対した。2004年の
CIAの報告書によれば、パキスタンの
核科学者 A.Q. Khan <上の黒い
メニューでページ f-3) f-8) g-7) を参照>
がシリアに核関連の情報と設備とを供給
した恐れがあるとしている。2007年に
バシャール アル・アサド大統領の発言
によれば、確かにカーンは2001年に
シリアに核設備を供給しようとの提案
を出してきたのだが、アサドはそれを
拒否したそうだ。
2007-2012: イスラエルによる空爆と
その巻き起こした事態
2007年9月6日、イスラエル軍が
シリアの北東部Dair Alzour地域にある
ユーフラテス川近辺の核施設を破壊
した。Al-Kibarという名称で知られる
この施設は25MWtの空冷式黒鉛炉で、
部分的に完成していた。1年で核兵器
1個ないしは2個分のプルトニウムを
製造する能力があった。
IAEAの査察官たちには厄介なことだが
この原子炉の関係でシリアが何か隠し事
をしているのではとの疑惑を引き
起こした行為として、シリアはAl-Kibar
の残っていた建物を解体、空爆から
わずか3日後には新たな施設の再建を
始めた。2008年4月、アメリカの諜報
機関がある写真を公開、それは空爆
以前のこの現場を撮影したものだ
そうだ。すると、<北朝鮮の>
ヨンビョン核施設と見かけが明確に類似
しており、アナリストたちの目には
北朝鮮からの援助で建てられた原子炉だ
と映った。
IAEA がこの現場に無制限に立ち入る
ことが最終的に許可されたのは、2008年
6月23日のことだった。それにより
査察官たちは現場のレイアウトや寸法、
格納容器の構造冷却水ポンプのインフラ
ストラクチャーなどを推定できることに
なった。それに続く報告書で、この格納
容器の構造と原子炉建築物全体のサイズ
からして、原子炉を格納できる建物で
あることが判明したと、IAEAは
述べた。さらに水ポンプの能力は「嫌疑
がもたれている原子炉のサイズに相当
していた」そうだ。査察官たちはさらに
ウラニウムの粒子も検出したが、シリア
の主張ではそれはイスラエルの弾薬から
出たものだそうだ。
2008年6月の査察からは、解明できた
点と同じくらい多数の疑問も生じた。
同年11月にはIAEA の理事会がイス
ラエルとシリアの両方にAl-Kibarに
関するさらなる情報を提出するよう
求める書簡を送った。それに加え
IAEAはシリアに対し、その他の関連
する現場への立ち入りを許可するよう
要請した。2008年6月の査察の際
には、シリアがそうした関連現場への
査察官の立ち入りを拒否していたのだ。
2009年2月にシリアはその要請に
返答をしたのだが、あくまでAl-Kibar
は軍事施設であったと繰り返し、
それ以降の査察を許可しなかった。
同月、IAEAはさらに新たな報告書を
発表、それによれば環境から採取された
サンプルから人間由来の(人工の)ウラ
ニウムの痕跡が検出されたそうだ。
シリアは <現場で検出された> ウラ
ニウムはイスラエル軍の弾薬から出た
ものだと主張していたのだが、この
痕跡の発見に よってその主張は退け
られた。
2010年3月、その原子炉SRR-1で
physical inventory verification (PIV、
物理的物質検証) が実施され、その際
シリアはそれまで報告していなかった
諸活動についての情報を提出した。
その一環として、イエローケーキ
<ウラン鉱石の精製プロセスでできる
黄色い粉末> の硝酸ウラニル <水溶
性なので、核燃料の精錬などに利用
されます> への変換が行われていた。
シリアはさらにSRR-1の設計に関する
情報や関連する各種文書も提出した。
だが、IAEAの調査結果とシリアからの
提出情報との間には食い違いが残って
おり、そのため更なる会談が行われた。
その結果、2010年9月にこの食い違い
を解消するための行動プランが作成
された。2011年4月1日、IAEA の
査察官たちが試験的なリン酸工場や
その他の関連現場を訪問、環境中の
サンプルを収集するとともにイエロー
ケーキの破壊分析用サンプルも採取
した。リン酸製造の副産物である。
そしてIAEAの下した結論として、
人間由来のウラニウム粒子の由来に
ついてシリアからの説明を受けて
きたが、分析結果はそれと「食い違い
はしない」ものであったそうだ。
こうして調査は「セーフガードの
恒常的実施」へと移って行った。
2010年12月、科学国際安全保障
研究所(Institute for Science and
International Security) がシリアの
Maysaf、Marj as Sultan、Iskandariyah
という諸都市近郊の衛星画像を公開した
のだが、ドイツのSueddeutsche Zeitung
という新聞に掲載された。IAEA 加盟
諸国もその画像を見たのだが、これらは
Al-Kibarに機能面で関連のあった諸都市
であった。科学国際安全保障研究所の
抱いた嫌疑として、Marj as-Sultan の
施設はウラニウムの転換施設で、また
Masyaf と Iskandariyah の両施設は
保管庫であった。
シリア政府はIAEAによる査察活動を
Al-Kibarに缶詰にしていたのだが、
アメリカとイスラエルがIAEAにある
写真を提出した。爆撃以前ならびにその
直後に撮影されたもののようだ。IAEA
はさらに商業衛星ならびにレーダー画像
を調達し分析を進めた。その分析情報に
基づき、2011年5月にIAEA事務局長が
報告書を公表したのだが、そこに
記された結論としてAL-Kibarの爆破
された施設は「原子炉であった可能性が
極めて高く」、シリアはそれをIAEAに
申告し設計情報も提出すべきであった。
これは、セーフガード合意の追加規定
第3.1条に基づく義務である。
この報告を受けIAEAの理事会は
2011年6月の総会である決議を採択、
シリアをセーフガード合意の義務に
違反しているとした。さらに理事会は
この問題を国連安全保障理事会に報告
した。理事会はシリアに対し、IAEA
からの要請に速やかに応じて情報を
提出し、検証のため現地への立ち入りや
関連物質や人員との接触を許可するよう
要請した。 さらに理事会はシリアに対し
IAEAとのセーフガード合意への追加プロ
トコル <追加規定> に署名・有効化し、
完全に実施するよう要請した。この決議
は、賛成17票・反対6票・棄権11票で
採択された。この投票に参加しなかった
国も一つあった。
2011年10月にIAEA査察官たちがダマ
スカスを訪問しシリア当局と会合したの
だが、Al-Kibarに機能面で関連している
と見られていたAl-Kibar以外の諸施設に
自由に立ち入れる許可に関しては、何の
進捗も得られなかった。
内戦では、査察もできない
私の作品 “Empty Gain”
2013から現在 <2018年4月>:
シリア内戦と、核開発プログラムの
継続?
シリアの内戦は先行きの予想が困難で、
IAEAが同国内の疑惑のもたれる諸施設
への立ち入りを求めたのだが、内戦
状況のためさらに事態は複雑化して
いった。2013年6月、国連の安全
保安局(United Nations Department of
Safety and Security)がシリアの安全
保障に関する状態を評価したのだが、
それを受けIAEAはシリアの安全面
での状況が改善するまで核物質の検証
活動すべてを先送りにすることを決定
した。2013年2月にはシリアの反政府
勢力があるヴィデオ録画を公開したの
だが、それを見るとFree Syrian Army
<自由シリア軍> という勢力ならびに
Ja’far al-Tayyar 旅団とAl Nusra Frontと
いう反政府組織の構成員とがAl-Kibarを
制圧していた。興味を引く点としてこの
ヴィデオにはスカッド ミサイル <戦術
弾道ミサイルの一種> も映っており、
シリア政府は2007年のイスラエルに
よる爆撃を受けてAl-Kibarをミサイル
格納施設に転換した模様だ。報告に
よれば2014年夏にはイスラム国
<という過激派組織> がこの施設を
制圧、放射性物質を求めてこの土地を
掘った模様だ。
IAEAはたびたびシリア当局の協力を
求めたが、シリア側は Al-Kibar が
核施設であったことをなおも認めよう
とはせず、Marj as-Sultan、Masyaf、
Iskandariyah の各施設も軍事施設だが
核施設ではないと主張していた。
2017年9月6日、イスラエル軍は
Masyaf の施設を空爆した。この施設
にはシリア軍の化学兵器とミサイルが
格納されていると判断したのだ。
2015年1月9日、ドイツの報道機関
であるSpiegel Onlineがある記事を公表
したが、それによればシリア政府はこの
時点でも秘密の地下施設で核兵器開発を
進めていたそうだ。その地下施設は、
レバノンとの国境地帯、Al-Qasyrという
町の近郊にある。この記事の主張に
関しては何件かの調査が実施されて
きたが、まだそれを支持する証拠は
見つかっていない。Al-Kibar施設の
爆撃から10年以上を経た2018年
3月23日、イスラエルはこの空爆の
責任を暗に認めた。イスラエル政府が、
この空爆作戦を極めて詳細に報じた
記事の発表をHaaretzという新聞に
許可したのだ。この記事にはこの空爆
を担当した前将校たちや諜報部員たち、
また空爆に参加したパイロットたち
とのインタビューも掲載されており、
さらにはこの空爆の記録と見られる
ヴィデオも紹介されていた。
**************************************
これからどうなるの??
私の20分クロッキー、背景は後で追加
さて、秘かに核開発が行われていた
場合につきまとう問題ですが、
その核開発を進めていた政府/組織が
崩壊した後、次の政府/支配組織が
その核開発をどうするのか??
・ シリアの新政権が核開発を秘かに
続けてしまう ~~
・ いくつかの勢力が権力を求めて
内戦状態となり、核物質などの奪い
合いをしてしまう~~
といった事態に陥らないよう祈って
います!
新政権が既存の核施設などをすべて
IAEAに晒し、放棄してくれます
ことを! そのほうが、アサド政権の
悪行を世界に晒し、新政権の正統性を
世界に訴えることができますもんね。