b-11) (原子炉の正体) パキスタン II
( b-10) (原子炉の正体) パキスタン I の続きです)
2025年6月
b-10) では、パキスタンの核開発を学ぶ
際に不可欠な、インドとの紛争の歴史を
極めて簡略に紹介しました。
ここからはパキスタンの核兵器、核開発
そのものの歴史へと進みますね。
3> 「平和利用」で始まったものが・・
インドの核兵器開発の歴史については
すでに2023年にページ b-9) で述べ
ました。
このページでは、パキスタンのそれを
短く。
英語版WikipediaのPakistan and
weapons of mass destructionという
ページをもとに、特に「やかんをのせ
たら~~」のフォーカスとの関連が強い
内容だけを要約紹介しますね。元の英語
ページを読みたい方は、
Pakistan and weapons of mass destruction – Wikipedia
をどうぞ。
(ついでながら、このページも2025年
6月4日8pm JST現在、日本語版があり
ません!)
簡単に言っちゃえば:
当初(1950年代)、パキスタンの
核開発は平和利用(発電)だけを目的
とする、としていた ⇒
上述のバングラデシュ解放戦争での
敗北を受け、「自分の軍事力を高めて
自分を守るしかない」という焦りの
もと、核兵器開発に転換 ⇒
しばらくは核分裂性物質(要するに
U-235とPu-239)の製造がうまく
いかず手を焼いていたが、Urenco社に
いたA.Q. Khan博士が1974年に核開発
プロジェクトに合流 ⇒
1998年5月28日、インドの2回目の
核実験から数週間後に、パキスタン初
の核実験に成功
という流れです。
初めは、「平和利用」だった ~~
1953年12月にアメリカのアイゼン
ハワー大統領が国連総会で有名な
(悪名高い?)Atoms for Peace演説を
行い、「原子エネルギーの平和利用」
プログラムを提唱しました。パキスタン
のメディアはそれを歓迎、1955年には
アメリカと産業用核エネルギー利用での
合意に到達します。さらにその翌年、
パキスタン原子エネルギー委員会
(Pakistan Atomic Energy Commission,
PAEC)を創設、Atoms for Peaceプロ
グラムに参加しました。
後に1995年、当時のベナザー ブットー
首相が述べたところでは、1971年までは
パキスタンの核開発は平和目的のもの
だったが、インドに対する効果的な抑止
力でもあった、とのことです。(なん
やら、日本の石破首相 [2025年6月4日
現在] のインタビューを想起しません
か?
上の黒いメニューにあるページ g-3) の
中ほどにある石破さんの発言を参照)
1965年の第2次インド vs パキスタン
戦争(上記参照)の後、当時のズル
フィカル ブットー外相は核兵器開発
プログラムの開始を提唱しましたが、
まだこの時点では受け入れられません
でした。
しかし!
当時のインドによる核エネルギー開発
プログラムの内実が「疑わしい」もの
であり、IAEAも憂慮していました。
それに対する抑止力として、パキスタン
は核兵器開発を真剣に検討するように
なります。
そして核兵器開発へ
上述のとおりバングラデシュ解放戦争
で、あまりにも多くを失ったパキス
タン。この戦争で同国は、主要な同盟
国であったアメリカと中国(インドと
対立していたため、”敵の敵は味方”)
からは大した支援を得られません
でした。しかも、上記の通りインドは
核開発を。
パキスタンが結局どんな行動に出るか、
予想は容易ですよね。
かくして1972年12月には「パキス
タン版マンハッタン プロジェクト」の
ようなものが始まってしまった
ようです。
カーンの参入
しかしU-235濃縮がウラニウム型原爆
の製造では大きな壁になることを、
「やかんをのせたら~~」では各所で
述べてきました。パキスタンもこれで
困っていたのですが ・・・
ここでA. Q. Khan博士の登場です。
オランダに本部を置くUrenco社という
核燃料企業(今も業務を展開しています
Urenco)にいたので当時の最新式ウラニ
ウム濃縮技術を知っていました。
なおこのKhan博士、世界に核兵器を
広めてしまう闇の核ネットワークのボス
でもありまして ・・・
上の黒いメニューにあるページ f-3) ,
f-8) , g-7) を参照してくださいな。
それと、パキスタンの核開発はサウディ
アラビアからかなりの資金援助を受けた
そうです。
かくしてパキスタンの核兵器開発は進み
1998年5月28日を迎えることになった
のでした。
なお、イスラエルが干渉??
どうもイスラエルは既に1980年代前半
には、パキスタンの「不穏な動き」を
察知していた様子があります。
1981年、当時の西ドイツ(昔、ドイツ
は東西に分離されており、1989-1990年
にかけて統一されました)のエンジニア
リング企業3社が爆破され、他の数社も
脅迫電話を受けました。イスラエルの
工作機関によるものでは、と見られて
います。そうした企業はいずれもパキス
タンにdual useつまり発電にも核兵器
にも使える技術を販売していたそうで、
それがパキスタンの核兵器開発に使用
されていた、という嫌疑ですね。
以前に同国の陸軍准将であったフェロズ
カーンによると、1982年にはイスラエル
がインドと共同でインドの空軍基地から
F16爆撃機を発射、パキスタンの遠心
分離施設を爆破する計画があったそう
です。
なお、類似した攻撃で実際に行われた
実例としては、上の黒いメニューで
ページ c-1) をご覧くださいな。
4> テロがきっかけで核戦争に
発展しえる
以上、極めて簡略化したパキスタンの
核兵器開発ならびにインドとの紛争の
歴史ですが、これだけでも次のリスクの
存在にお気づきでしょう:
テロ組織による攻撃 ⇒ 被害を受けた
国の正規軍による報復 ⇒ 報復合戦 ⇒
エスカレート ⇒ 核兵器の使用
この現実の深刻なリスクがあるからこそ
繰り返しますが、今回アメリカは迅速に
介入・調停に努めたのでしょうね。
それと、このリスクが生じるに至った
プロセスが、そもそも「平和利用」
(核発電)から始まったという事実を
覚えておきましょう。
「発電のみ」というポリシーで核エネ
ルギー開発を進めたが、周囲諸国との
関係や情勢の変化の中で核兵器開発に
変身してしまった ・・・ まさしく
その実例をこのページで紹介したこと
になります。
要するに、上述の
テロ発生 ⇒⇒⇒ 核兵器使用にエスカ
レート
というリスクが、長期的にみると
核発電の拡大とともに増大してしまう
恐れがある
という深刻な問題の実例が、ここにある
わけです。
それと、インドとパキスタンはともに
核兵器を保有しているわけですが、
上記のエスカレーション リスクの
存在を両国政府とも認識しているはず
です。(していなければ、鈍感すぎます
からね)
にも関わらず、そのリスクは軍事衝突
やテロ攻撃を「抑止」してはくれません
でしたよね。
この事実は、日本の「核抑止政策」を
論じるうえでも、忘れてはいけません
よね。
なお、トリウム サイクルについて
インドではトリウム原子炉の研究開発
を進めていますが、核発電推進勢力の
中の(不勉強な)一部が「トリウム
原子炉なら、ウラニウムを(一見する
と)使わないので、核兵器への転用が
ない」などと主張しているのを、私は
聞いたことがあります。
これが誤りであることは、「やかんを
のせたら~~」ではすでに
ページ Th-0) , Th-1) , Th-2) で
説明済みです。
それと、U-233も核兵器に使える
「やかんをのせたら~~」のフォー
カスは核兵器と核発電の不可分性にあり
ますが、U-233を実際に核兵器に使用
した実例があることは、ページ Th-2)
で説明済みです。
では、またまた長いページになり
まして。