2020年11月
ページ f-2) で言及したように、1988年にイラン・イラク戦争がようやく終わり、イランの核開発は1990年前後から再開したと言われています。西側諸国との対立から、アメリカやドイツの技術に頼るわけにはいかず、今度は新たなパートナー諸国(あるいはネットワーク)を得たのでした。
アメリカはとめたけれど ・・・
新たなパートナーの中で「国家」だったのは、まず中国とパキスタンでした。ご存じのとおり、中国は「表立って核武装している5国」の1つです。またパキスタンには、インドとの軍事対立が以前からありましたよね。インドとパキスタンは、核拡散防止条約にまだ加盟しておりません。
イランが核でパキスタンなどと何かやりだすと、当然、アメリカが動くことが予想できますよね。実際、アメリカはイランとそうした諸国の核協力の大半をブロックしたのでした。
さらにアルゼンチン(1980年代、核開発を進めていました。1991年になって、ブラジルと相互監視協定を締結し、核開発を断念したようです。
参照 https://en.wikipedia.org/wiki/Argentina_and_weapons_of_mass_destruction
結局は、国家としてはロシアが90年代に研究用原子炉、核燃料製造工場、遠心分離機などを秘密のうちに供給する契約を締結したようです。当時のアメリカ大統領ビル クリントンはこれを憂慮、当時のロシアのエルツィン大統領を説得して、各援助の規模縮小に合意させました。それでも、ロシアの核技術者や科学者の一部は、核燃料サイクルなどでイランへの協力を続けたもっようです。
* パキスタンには1970年ごろまで、「東側領土」があったのです。今のバングラデシュに相当する地域で、もとは「パキスタンの東半分」だったのですね。その東半分が独立しようとして戦争になり、結局はバングラデシュとして独立することになりますs。この独立戦争での敗北体験から、パキスタン政府は「自分で戦っていける力」の強化を求めだした、と言われています。
そこに、1974年には軍事的に対立していたインドがSmiling Buddha(微笑む仏様)という核実験に成功、パキスタンは当然のように核兵器開発を加速させることになりました。
結果、2010年の推定では、同国は70-90発の核弾頭を有していると見られます。
(参照 英語版Wikipedia, “Pakistan and weapons of mass destruction”
https://en.wikipedia.org/wiki/Pakistan_and_weapons_of_mass_destruction )
しかし。核武装や核発電といった「闇の世界」では、いくら国家間の「協力」をブロックしても、国家以外の何者かが核技術などを売る場合もあります。イランの場合、疑われているのが ・・・
・・・ カーンの「闇のネットワーク」です。
パキスタン国籍の A. Q. カーン博士は1936年、当時はまだ英国領だったインドのボパールに生まれました。のちにインドを逃れ、パキスタンに移住。西ヨーロッパの大学で冶金学を専攻、オランダでURENCOというウラニウム濃縮と核燃料サイクルの企業に勤務しました。そのうえでパキスタンの核兵器開発に関与します。
ただ、URENCOから技術や遠心分離機の部品などをカーン博士が盗み出し、パキスタンにもたらしたのだとする見方が通俗的には広がっていますが、その真偽はまだ明らかではありません。
( https://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Qadeer_Khan )
いずれにせよ、カーン博士がイランや北朝鮮、リビアの核兵器開発に秘密裏に力を貸したのは確かなようで、上述の https://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Qadeer_Khan によれば
— On 4 February 2004, Khan appeared on Pakistan Television (PTV) and confessed to running a proliferation ring, and transferring technology to Iran between 1989 and 1991, and to North Korea and Libya between 1991 and 1997.[53][54] The Musharraf administration avoided arresting Khan but launched security hearings on Khan who confessed to the military investigators that former Chief of Army Staff General Mirza Aslam Beg had given authorization for technology transfer to Iran.
(・・・ 2004年2月4日、カーンはパキスタン テレビジョン(PIV)に登場し、核兵器拡散の輪を広げたことを告白した。1989年から91年にかけてはイランに、91年から97年にかけては北朝鮮とリビアに、それぞれ核技術を転移させたことを認めた。・・ (当時のパキスタンの大統領であった)ムシャラーフ政権は カーンの逮捕には踏み切らなかったが、彼に対し保安公聴会を開始した。同博士はパキスタン軍の尋問者たちに対し、自分がイランに核技術を転移させた件については、以前のパキスタン陸軍参謀総長であったミルツァ アスラーム ベグ将軍から許可を得ていたと述べた。)
こうしたカーン博士の秘密裏の行動に関しては、その後も調査や政治的な動きが続くのですが、ここでは割愛します。
ここではむしろ、「核技術を取引する闇の国際的ネットワークが、すでに出来ていて機能している」という嘆かわしい現実を、覚えておきたいのですね。
話をイランに戻して ・・ プロジェクト アマード
1990年代から2003年にかけて、イランが「プロジェクト アマード」という核開発プロジェクトを進めたことが、今では分かっています。兵器グレードの核物質(高濃度のウラニウムやプルトニウム)の取得と製造、核兵器の部品のテストなどを実施して独自の核兵器製造を行おうというものだった、とされています。なぜか、2003年に突如として終了しています。2011年には、IAEAがこのプロジェクトに関して判明していた事実をまとめた文書を公開しています。
( https://www.iaea.org/sites/default/files/gov2011-65.pdf )
さらに2015年には、最終報告書も出しています。
( https://www.iaea.org/sites/default/files/gov-2015-68.pdf )
同プロジェクトがなぜか突然中止されてから15年後、イスラエルの諜報機関モサドがまたもや暗躍します。(本ウェブサイトでは、すでにページ c-3) でモサドが関与した核関連の事件に言及しております)
2018年4月にイスラエルのネタニヤフ首相がTVなどで公表したところによれば、モサドがイラン国内の核開発関連秘密文書のアーカイブに密かに侵入、プロジェクト アーマドが実際に行われていたことを示す文書を取得したそうです。これをもとにイスラエルは、2015年に締結されたJCPOAという合意から脱退するよう、合意諸国(米ロ英仏中、ドイツ、EU)に求めていました。そして2018年、アメリカのトランプ大統領は脱退したのですよね。JCPOAとは、簡略化していえば、イランの核開発に制限を加える代わりに、経済制裁を撤廃あるいは停止する、というものでした。アメリカは脱退して、再度イランに経済制裁を加えたのでしたね。
「モサドがイランに侵入して核兵器開発関連の秘密文書を ・・・」などという話をすると、「ゴルゴ13か何かの、読みすぎじゃないの??」といった反応が聞こえてきそうです。
でも上述のとおり、この件はイスラエル首相自らが公に発表したものですよ。
たとえば、下記のYouTubeビデオをご覧くださいませ:
https://www.youtube.com/watch?v=qmSao-j7Xr4
https://www.youtube.com/watch?v=C4zar3AuRv0
(どちらも英語)
次ページ f-4) では、2000年代半ばから現在(2020)までのイランの核開発疑惑を、荒っぽく駆け抜けます。詳しく綿密に取り上げていると、この核疑惑だけで1冊の分厚い書物ができてしまうので、荒っぽく簡略化せざるを得ません!