果樹園(orchard)で採れるのは、核兵器??
2020年10月
やはり、イスラエル軍による「核施設と見られた施設」への爆撃・
破壊です。
今度は2007年9月、シリアのアレッポの東60kmほどの位置に
あった施設への爆撃です。 (Al Kibar (アル キバール)と呼ばれて
いるようです)
英語版Wikipediaでは Operation Outside the Box (枠から
外れた作戦)と呼んでいる爆撃作戦で、https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Outside_the_Box に
記載があります。昔は Operation Orchard (”果樹園作戦”)と
呼んでいましたし、日本語では今でも「オーチャード作戦」と呼んで
いる場合が多いようです。
この Operation Outside the Box については、どうも日本語での
情報が少ないです。なぜなのか、私には分からないのですが。
覚えてらっしゃるのでは?
ページ c-1) で紹介したバグダット近郊での爆撃の場合とは異なり、Operation
Outside the Box の場合には国際的なイスラエル非難は見られません
でした。2007年のことでしたから、読者の皆様も30歳代以上の方々なら、
覚えてらっしゃるでしょう。
で、このウェブサイトのフォーカスである「核兵器と核発電の不可分性」と
いう視点からは、この爆撃された施設が核施設であったのかどうかが
問題になります。
これについては、IAEA が何年も調査を実施、2011年4月に「原子炉で
あった」と公式に確認しています。(https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4062001,00.html)
https://www.armscontrol.org/act/2009-03/iaea-syrian-reactor-explanation-suspect
にも、関連した記載があります。
シリア政府は核施設であったことを否定してきたのですが、その根拠と
なる情報を IAEA に対して開示していなかったようですね。
「どこの国か」なんて、気にしません!
断っておきますが、私は何もイスラエル側を支持しているわけじゃ、
ありません。イスラエルの秘密核施設についても、後日取り上げます。
このウェブサイトの方針として、どこの国だろうが、どの団体だろうが、
上記の「不可分性」の例証となるものは「忖度なしに」紹介して
まいります。たとえば、日本の東京でこれを書いていますが、日本の
原爆開発計画についても後日、紹介するつもりです。(二次大戦中に、
陸軍と海軍でそれぞれ実施されたのですが、まったくリソースが足らず
原爆製造には至りませんでした)
話を戻して~~
再び英語版Wikipediaによれば、2008年4月28日、当時のCIAの
Hayden 長官の発言として、爆撃されたシリアの原子炉は「毎年、
原爆1個あるいは2個分程度のプルトニウムを製造する能力があった」
とのことです。さらに、北朝鮮のヨンビョン核施設(の原子炉)と
「規模や技術が類似している」そうです。
さらにアメリカの雑誌 The National Interest のウェブサイト
(https://nationalinterest.org/blog/the-buzz/north-korea-built-nuclear-reactor-syria-israel-destroyed-it-23922) には、次の記載があります。
In 2002, the first North Korean components, technicians and
scientists had arrived in Syria. The construction work, however,
was concealed quite well — any communication to the outside was
strictly prohibited.
2002年に、北朝鮮から(同原子炉用)機材や技術者、科学者が
はじめてシリアに到着した、というわけですね。でもそれは、厳密に
隠蔽されていた、と。
ただ、上記の2つは情報ソースがアメリカ政府寄りなので、どこまで
公正な記載なのかは~~
もっとも、英語版Wikipediaのほうにも、冒頭右のCasualties の箇所に、
この爆撃による死者として
10 North Korean nuclear scientists allegedly killed
とあります。北朝鮮の核科学者10名が死亡した模様、というわけですね。
すでに使っちゃった技術は、消せない
先日、「原子炉グレード」と「兵器グレード」のプルトニウムについて、
ごく短く言及しました。さらに言うなら、現在「発電」で主流となっている軽水炉
(沸騰水型か、加圧水型かを問いません)では、特殊な稼働をしない限り、
兵器グレードのPu は作れないのですね。
すると、
「じゃあ、原子炉と原発の ”不可分性” なんて、過去の話じゃないか!」
という批判がすぐに発生しそうですね。でも、この「果樹園」爆撃は50年代や
60年代の事件じゃありません。今世紀に起きた事実です。
そして実際、ヨンビョンには空冷式・黒鉛原子炉が今もあります。
(https://www.armscontrolwonk.com/archive/502504/why-does-north-korea-have-a-gas-graphite-reactor/)
もともと「原子炉」とは原爆用プルトニウムを製造するために作った
もので、実際にそのために使用されていたのですから、その技術は
消し去ることができません。いつか・どこかで、「本来の用途」の
原子炉がこっそりと建設されてしまうリスクは、常に残っているわけ
ですね。
では、次回は ”公正のためにも”、イスラエルのネゲヴ核研究センターに
まつわる出来事を。