“Unfit for Purpose” よりの抜粋・
日本語化紹介
2023年2月
フランスのページが他国より多くなりましたが
私にはなにも、フランスに恨みがあるわけじゃ
全くありません。
そうじゃなくて、フランスの初期核兵器導入
が戦略的にまったく 「的外れ」 なもので
あったとの指摘が研究者よりなされている
ので、今回はそれを紹介するわけですね。
他の核兵器保有国でも、実際の核兵器
導入と 「抑止」 戦略とが不整合であった
ケースは、少なからず見られます。
英語の論文を読める方は、ぜひ原文を
お読みくださいませ:
Full article: Unfit for purpose: reassessing the development and deployment of French nuclear weapons (1956–1974) (tandfonline.com)
2018/2/4
考えることがたくさんあって 疲れた ・・・
私の昔の20分クロッキー
上の黒いメニュー (項目は基本的にアルファ
ベット順) にある g-3) やg-4) に記した
ように、日本も 「潜在的核兵器保有」 と
いう戦略を捨てておりません。
はたして、潜在的核保有は本当に適切な
戦略なのか?? そうした問題提起を高め、
よしんば政府が基本戦略を考え直して
くれるように声を上げたいものです。
この基本戦略が変われば、結局は原発
政策にも影響するはずでは、ないですか。
では、毎度ながら
私の抜粋・日本語化
< > 内は私からの補足説明
です。
できるだけ短いページにできるよう、
抜粋個所は最低限に抑えたつもりですが
やはり結局は長いページになりました。
何回かに分けてお読みくだされば。
原文はCold War Historyという出版物の
2021年 Vol. 21, No.3の
243-260ページだそうです。
*************************
Unfit for purpose: reassessing the
development and deployment of French
nuclear weapons (1956 ‐1974)
(目的に合わない ― フランスの核兵器
開発と導入の再評価、1056-1974)
Benoi Pelopidas, Sebastien Philippe
<両者とも、フランスの国際研究センター
CERIの研究者でいらっしゃるそうです>
2020年12月20日発表
要旨
本論文では、1974年までのフランスでの
核兵器政策の戦略的合理性と信頼性とを
再評価するが、こうした再評価としては初めて
のものである。全世界から収集した未公開で
あった一次的文書、そして専門的な分析に
より、冷戦初期のフランスの核兵器調達と
配備とが精密な全体的戦略設計や戦略的
合理性の要件とかみ合わなかったことを
示す。フランス核装備の第一世代には
さらに、技術的な信頼性もなかった。
諸外国の援助を受けていたにも関わらず。
フランスの高官数名をはじめ、同盟諸国や
敵国もそうした問題を認識していた。
こうした新発見により、<今まで例外的な
扱いを受けてきた> フランスの核の歴史
は例外的なものとされなくなった。冷戦時代
の核装備の歴史に関する従来の常識が、
覆る。
*************************
通念としてはXXXだと信じられてきた
けど、よく調べたら実は△▽△だった~~
なんてことは、少なからずあります
よね。
では、本文からの抜粋に進みましょう。
*************************
本論文では、全世界的に開示されることと
なった一次資料と新たな専門的分析により、
フランスの核導入プログラムの戦略的、
政治的、技術的側面を再検討する。特に、
1956年から1974年にかけてのフランスの
核兵器第1世代の開発と配備について、
再評価を行う。その再評価に基づき、本論
ではフランスの核武装プログラムや核武装
一般に関する学術的理解に対して重要な
意味のある2つの主張を提示する。
第1に、<フランスでの> 核武装
プログラムの発展は何ら計算された
戦略的正当性に従ってはおらず、
ド・ゴール主義の 「グランド戦略」 との
整合性もない。第2に、フランスの
force de frappe <辞書的には 「攻撃力」、
実際には核軍備> は少なくても1974年
になるまで独立した存在でも、信頼できる
抑止力でもなかった。冷戦初期当時には、
独立した信頼できる抑止力だとみなされ、
現在でもそう思われているのだが。1974年
になると、フランスとしては3機目の弾道
ミサイル搭載潜水艦が就航、<フランス軍
は> 海洋に常に配備され、<敵国からの
核攻撃を受けた場合にも> 存続して機能
しうる能力を得た。フランスのPlutonと
いう戦術核ミサイルがアメリカのHonest
Johnロケットに取って代わり、NATOは
抑止力に対するフランスの核武装の
貢献を認めるようになった。2 この事実は
広く認識されているが、まだ充分には研究
されておらず、したがってその含意も
本論文で取り上げる。
*************************
新しい技術が登場したから、とにかく
入れてみたい ・・・ でも、本当に
ニーズに合っていたのでしょうか??
では、P.245 – 246へ。
*************************
方法論的な面を述べるなら、本論における
フランスの核武装の歴史の再考により、
核武装に関する学術考察における 「実存的
抑止というバイアス」 の存在を確認できた。
つまり、適切な証拠なしでとにかく核兵器が
あれば抑止効果があるのだ、と想定して
しまうバイアスだ。<← 文字色協調は、私>
安全保障に関する研究に限らず、この
バイアスが存在している。8 本論文の結論
として、核兵器プログラムや 「核を持った国
の勝ちだ!」 といった主張の発生また永続化
がその国内に及ぼす影響についての、
さらなる研究を求めるものである。9
<8とか9といった数字は、英語本文中の
典拠を示す番号です。上のリンク先にある
原文をお読みになり、転居も知りたいと
いう方がいらっしゃる場合のために、
これら数字も入れておきます。
そうでない方は、無視なさってください>
・・・ (中略) ・・・
I. 「戦略なきプログラム」
フランスの核兵器に関する歴史や政策に
関しては、近年はあまり研究が発表されて
いないが、そうした研究を見るとフランスの
核政策を推し進めたのは戦略的合理性で
あったという想定が読み取れる。10
同様に、近年の学術研究を見ても ド・ゴール
は 「巨視的な戦略」 を描いていて、それ
には核兵器も計算に入っていたとの主張が
みられる。11 本章では、本論文の両著者は、
戦略的合理性ではフランスの核に関する
意思決定も軍事的実践も説明できないことを
述べる。
戦略的合理性は、次の3種類の要素で形成
されるものと理解できる。まず、戦略目標の
明確化。これは、それを達成するための
軍事的手段よりも先に定められ、そうした
手段をその目標に沿って進めていくことに
なる。そして、選択された手段や兵器の
システムが、そうした予め定めた戦略
目標に、適切に役立つものであるという
認識。第3に、戦略に関わる言論や主義
主張によって、これら2つの関係性を
明確に表明することだ。12 以下の
いくつかの段落では、フランスの
<核導入の> 場合には、これら3つの
いずれも欠落していたことを示す。
欠落 ・・・
私の昔の15分クロッキー
まず、<兵器などの> 調達プロセスが実際
に戦略的合理性にのっとって行われているの
なら当然予想されることとして、戦略がまず
明確化され、そののちに兵器などの選定と
予算確定が行われるはずだ。だが、実際に
一次資料を読んでみると、現実はその逆
だったのだ。最近まで公開されていなかった
アーカイブ文書や最近の刊行物、そして
現役のフランスの核関連高官とのインタビュー
などから明らかになったことだが、フランスの
核兵器政策と関連調達において、初期には
技術的手段が先にあり、それに合わせて
戦略的目標を決めていたのだ。13 高官の
一人はそれを、「戦略なきプログラム」 だと
述べていた。14
技術 <的制約> のためフランスの核に
関する選択にマイナスの制限が加えられた
ことが、幾度もあった。例として、核武装
関連で最初にフランスが着手したものは
爆撃機類であったが、これは長距離弾道
ミサイルを製造する技術がなかったためだ。
15 フランスの歴史家Claude Carlier は
はっきりと、ミサイル技術がフランスには
なかったため、爆撃機による原爆輸送を
既に1956年に選ぶことになったと語って
いる。16
フランスとしては初の核実験の6か月前に、
原子エネルギー委員会の代表2名のうち
一人であった高等弁務官Francis Perrinが
ド・ゴール大統領宛に直接送った1959年
7月27日付の書簡によれば、核兵器を
保有してもあまり実質的な利益はなく、
外交上の 「見栄」 を張れるだけのことだ。
しかも、フランスはむしろ脆弱になってしまう
とされている。20 この極秘とされた文書で
Perrinは大統領に、次のように警告していた。
<その警告内容は、P.247に続きます>
********************
要するに、「~~~という戦略的必要がある
から、XXXといった核兵器が必要だ」 というん
じゃなくて、「とにかく、核兵器がほしい! 戦略
とは無関係に! で、今作りえる核兵器は
○○〇だから、○○〇を作ろう」 ってわけで、
○○〇兵器を作った、というわけですね。
つまり、本当に核兵器が必要かどうかは、
実はよく検討していなかったわけです。
なんとなく、日本での核発電導入 (正力
松太郎の野望) とも、似た面を
感じませんか??
では、その「大統領への警告」 の内容の
一部を抜粋。
P.247です。上の警告の内容ですね。
********************
(冒頭部省略)
———- 本格的な戦争になった場合、
たとえフランスが侵略される脅威が生じたと
しても、核兵器を使用するという主導権を
持つわけにはいかない。戦術核でさえ、
使うわけにはいかない。仮想敵国は戦術
核をフランスの10倍ほど、すでに長年
保有していたからだ。まして、戦略核は使え
ない。もっとひどい脆弱性があるためだ。
(戦略核に訴えるなら、フランスという国家の
自殺につながりかねない。水爆数10発を
落とされれば、フランスという国家は消し
去られてしまうのだ) […] したがって、
核兵器を保有するならば、戦闘となった場合
にはフランスは極度の危険に直面する結果に
なりかねない。そこには、直ちに招きかねない
結果を検討せずに核兵器を使用したくなって
しまう誘惑があるからだ。21
*********************
そのとおりですよね。持ってしまうと、使って
みたいって誘惑が生じるものですよね。
それと、戦争の相手がこちらより大量に
核兵器を保有している場合、確かにこちらは
核兵器を持っていても、使うわけには
いかない。つまり、その核兵器は無意味って
わけです。
P.248は、本文すべてを。
*********************
SSBN(Strategic Submarine Ballistic
Nuclear、弾道ミサイル潜水艦)の配備以前
には、フランスの核兵器の大半Mirage IV
爆撃機とSSBS S2というミサイルであった
が、その仕様を見ても手段と目的の間に
同じような不適合が分かる。Plateau d’Albion
<というフランス南東部の地> に配備される
ことになるSSBS S2 ミサイルは、旧ソヴィエト
連邦に向けてしか発射できなかったが、
ド・ゴールは繰り返しフランスの兵器はどの
方面からの攻撃に対してもフランスを防衛
できるものでなければならないと主張して
いた。22 発射時にどこ向きにでも発射できる
ように誘導する発射角の慣性ガイダンス
ユニットの整合化に技術的問題があった
ため、このミサイルは固定したある角度から
±60度の範囲内にしか発射できなかった
のだ。23 実に皮肉な問題であった。
なにしろ、確かにS2の慣性ガイダンス
ユニットは確かにフランス企業であるSAGEM
(Société d’Applications Générales de
l’Électricité et de la Mécanique) とSFENA
(Société française d’équipements pour la
navigation aérienne) が製造したものだが、
それにはアメリカの特許と暗黙の技術譲渡
とに頼っていたのだから。29
あっちもこっちも ・・・
私の昔の20分クロッキー
Mirage IVの方だが、それがフランスの抑止
戦略の基本となるという主張をしたければ、
この戦闘機の開発開始当初に想定されていた
本来の役割と、結果的に選ばれた技術的な
選択との両方を無視するしかない。30
Mirage IV を調達する際の正当化となった
のは、アメリカ軍ならびに英国軍との合同攻撃
に好都合だったというもので、こうした攻撃は
2500㎞離れたソヴィエトの都市20か所を
破壊するというものであった。31 1959年
4月21日付の空軍参謀総長による、機密
扱いにされていたノートによれば、その
20か所のうち2か所をフランスが破壊する
任務を受けているとすれば、戦略爆撃機
40機で十分だと見られていた。32 これを
フランス単独で行おうとするなら、最低でも
316機の爆撃機がなければソヴィエトの
防空網を突破できない。このノートは、こうした
シナリオは非現実的だとしていた。40機という
数値は、複数年にわたる軍事プログラムの
概要を定めた1959年11月の法律でも再度
登場している。「force de frappe の第1世代
として40発の原爆を保有、その輸送用
航空機も用意し、1968年まで配備する」
とある。33 結局原爆40発は製造され、
それらを前線の飛行中隊9個が運ぶ。
中隊9個合わせ36機の航空機を有する。
34 こうした数値は、<上述の> 1959年の
シナリオと明らかに合致している。1964–
68年に配備された航空機は、当時の空軍
参謀総長が考えていた戦略爆撃機では
なかったのだが。
**************************
まったくもう~~ 戦略は結局、無視されて
いたわけですね。つまり、本当に必要か
どうかも分からないまま、とにかく核兵器を
作ってしまったと。「核兵器」というと、
ほとんど発作的に 「抑止のため、必要だ!」
と反応しちゃう人たちがいますが、本当に
抑止のために必要なのは、何か??
それをまず、よく検討しませんと。
P.249へ。
**************************
1959年春の時点で、Dassault社が開発中
だったMirage IV は長距離戦略爆撃機の
Mirage IVBだった。35 このIVBにしようと
いう決定が下ったのは1959年3月31日
のことで、 先行航空機3機への発注が出た
のは同年5月5日のことだった。IVBは
Mirage IV-01のプロトタイプと比べ、形状は
似ていたが倍ほどのサイズだった。エンジンも
2基追加して合計4基にするか、アメリカ
から大型エンジン2基を調達せねばなら
なかった。Mirage IV-01を巨大化するため
のエンジニアリング上のリスクや費用、
さらにアメリカからエンジンを調達せねば
ならないという理由から、当時の陸軍大臣
Pierre Guillaumatは1959年8月にこの
プロジェクトを廃止、Dassaultに代替の
ソリューションを考えるよう求めた。それが、
Mirage IVAだった。36
そのMirage IVA は、Mirage IV-01
プロトタイプをある程度改良しただけのもので
あった。後者は軽戦闘爆撃機として開発された
プロトタイプで、IVBよりも飛行距離がずっと
短かった。軍事立案者たちはすぐに、この
飛行機では、ソヴィエトの標的に達するには
再給油が必要だと気付いた。しかも再給油を
したところで、爆撃後に帰国するだけの燃料は
残っていないのだった。Guillaumatの決定が
発表された後、軍の士官やエンジニアたちは
大慌てで再給油用の航空機を探した。
Mirage IVAの飛行距離を延ばすためだ。
1961年1月、Mirage同士で再給油をする
という案は廃棄され、空軍で2番目の地位
にあったGrimal将軍はロンドンとワシントン
にいたフランスンのアタッシェたちに、Mirage
同士に代わる 「第2の選択」 を見つけよと
指示した。32 将軍はこの要請を正当化する
理由として、・・・ (その主張内容が原文では
続くのですが、省略)
*************************
やれやれ、原爆を落としといて、その爆撃機の
乗員たちが帰国できるだけの燃料がない
・・・ なんとお粗末な! 笑うしかないです
なあ。
P.250へ。
*************************
飛行中の再給油をしても、実質的に得られる
利点は僅かなものだった。Mirage IV の
最大飛行距離は、300マイル <約480㎞>
しか伸ばせなかったのだ。41
<フランス北部にある>Cambrai 空軍
基地からモスクワまでは、北寄り空路を
使ってデンマーク北端そしてフィンランドの
上空を飛びロシア領空に入る場合で、
約1650マイル <約2,650㎞> だ。
これは、1961年の空軍参謀長の地図による。
42 つまり、モスクワという最重要標的にたどり
着くには、Mirageは再給油を空中で行った
ところで、そこからまだ1,350マイル
<約2,160㎞> 飛行せねばならないのだ。
この爆撃機の最大燃料容量は、軽油でおよそ
15,000リッターであった。これを、1マイル
ごとに17.5リッター燃焼させる。(超音速
飛行が50%と想定) つまり、最大でも
860マイル <約1,380㎞> しか飛べない
のである。43 この推定は、他の利用できる
データ地点のデータとも整合性が取れている。
44 KC-135 <という空中給油機> による
給油を受けたとしても、Mirage IV はモスクワ
に到達できないのだ。この推定については、
次章でさらに根拠を固めることとする。
そこで見るように、Mirage IV の役割は
すぐに高高度から低高度のものへと変更
され、最大飛行距離もおよそ半分に短縮
された。
************************
要するにこれじゃ、原爆だけ持ったところで、
それを敵国の首都まで運んでいけないの
ですから、まったく無意味ですなあ~~
(^O ^ ;;;) ワッハッハと笑うしか、ないです
なあ!
「核さえ持てば、抑止できる」 なんて単細胞
な 「信仰」 とは、いうなれば一種の
「核カルト」 に過ぎませんね。
P.252前半へと飛びますね。
************************
ド・ゴールは同じ軍が同じような手段を二重
に保有する必要はないと述べていたのだが、
それで彼が意図していた優先順位は無視
され、しかも軍事予算が大幅に超過していた。
52 彼が大統領職を辞めてから7年後、
<フランスの学者にして政治家でもあった>
Alain Peyrefitte は、原爆製造という決定は
「行政が催眠術にかかったような状態で」
下されたものだったと結論付けた。53
催眠術にかかったような ~~
“Urban Mirage I”
私の昔の作品
大まかにいえば、抑止のために必要なもの
とは、フランスを攻撃してもその結果として
もっとひどい損害を受けると仮想敵国に
信じさせる能力だけだと、ド・ゴールは考えて
いた。文献にはそれが 「攻撃者の腕をもぎ
取る」 という言葉で要約されていた。54
ド・ゴールのこの信念は一貫しており、攻撃を
受けるとどれだけの損害が出るかに合わ
せて抑止効果も変わるとしていたのだが、
具体的にどれだけの死者数であれば抑止
効果が得られるのかという問題になると、
1962年5月から1963年1月までの間
でも、推定数が大きく変化していた。55
2回の閣議の後では彼は、ロシアがフランス
を攻撃するのを確実に防止するためには、
「ロシアの総人口の1/4から1/2を処分する」
ないしは 「フランスの総人口と同程度の
ロシア人を処分する」 能力が必要だと語って
いた。56 当時の人口動態データによれば、
これは3,000万人 (ロシア人口の1/4)
から6,000万人 (ロシア人口の半分) を
殺害することになる。フランスの当時の
人口は、その中間であった。(世界銀行の
統計によれば、1963年で4,800万人)
第1世代の force de frappe に、こんな
ことは可能だったのだろうか?
************************
確かに、抑止力として核を保有するので
あれば、敵国が自国への攻撃をしたくなくなる
ほどの甚大な損害を、自国からの報復攻撃で
もたらす必要がありますよね。ところがその
報復の規模たるや、上記の通り大変な大量
殺害になってしまいます。これだけの虐殺を
実行するのは技術的にも大変ですし、そもそも
倫理的に許されませんよね。核というのは
本当に抑止力になるのか?それをまず、
よくよく検討すべきですね。
P.254に飛びますね。
*************************
AN11 <という原爆> は、実に厄介な代物
だった。 初歩的で小型のインプロージョン
<プルトニウム型原爆は起爆するのに
implosion という特殊な起爆方法が必要
です。単にドカーンと起爆させるんじゃなくて、
密閉した容器内で、爆発的な圧力を1点に
集中させて加えるわけです。その1点に、
Puがあります> 型の設計で、フランスが
実施した最初の3回の核実験では、この
原爆を試した。(Gerboise Bleue, Blanche,
Rouge <「青い/白い/赤いトビネズミ」、
上の黒いメニューにあるページ b-5) の
「軍事化」 という個所を参照>) この3回
の核実験は、いずれも1960年に行われた。
この設計には重大な安全性の問題があり、
たとえば使われていた爆薬はプルトニウム
コア <プルトニウムを収めた中核部> で
発生する高熱 <放射性物質は、自然に
「崩壊熱」 を自ずから発生します> による
影響を受けやすく、その熱のために亀裂が
発生しやすい。69 AN11が実際に配備
されたのは1964年7月のことであったが、
爆薬の爆発事故があった場合にプルトニウム
の散乱が起きてしまう危険についての安全性
試験や研究が完了したのは、1965年11月
のことであった。70 さらにこのような原爆を
意図的に爆発させても、fizzleしてしまう場合
が少なくない。<本来、コーラなどの泡が
発生して “シュワー” と消えていく音。
転じて、少しだけ爆発して大爆発を起こさない
ことを指します> つまり、意図したよりも
ずっと小規模の爆発で終わってしまうのだ。
初期の設計の原爆では、fizzleが発生して
しまう危険性は10%から20%と高かった。
71 最後に、 Finally, the yield of the AN11
ならびにその後継であるAN21とAN22 は
いずれも本論文の対象機関に配備されたの
だが、名目上の爆発力で爆発威力が平均で
50キロトン、実際には5キロトンから70キロ
トンという範囲であり、これではソヴィエトの
諸都市に狙い通りの損害を招くことは不可能
だ。72 モスクワやキーフ、レニングラード
<現在のサンクトペテルブルク>、
セバストポリ <ウクライナのクリミア半島に
ある都市> にこうした原爆を落とした場合の
民間死者数は、1都市あたり4万人から
13万人で、force de frappeが目標として
いた3,000万人から6,000万人のソヴィエト
連邦市民という数値には程遠い。 73
Mirage IVがソヴィエトの主要標的を攻撃
できる能力に関しては、この爆撃機では
モスクワに到着できなかったことは、今では
明確になっている。74 驚くような話だが、
Dassault社の営業ヘッドを務めていた
Gallois将軍は、この爆撃機の仕様に
ついてJean Cabrièreというエンジニアと
ともに作業をしていたのだが、その将軍が
あるアメリカの諜報ソースに対し、1963年
に内密にこう語ったのだ。Mirage IV を基盤
とした第1世代のフランスの核兵器は、
(まだ実戦配備もされていなかったその時点
で) すでに旧式化していた。それでも、
この核兵器体制を1975年まで維持せねば
ならなかった。これは、ミサイルと核弾頭の
プログラムが遅延していたためだ。75
************************
国防費の膨大な無駄遣いとは、こういうこと
ですね!
軍事とは巨大な費用を費やすものですから、
まずは本当に必要なのは何なのか、
それを明確にしませんと。
P.255へ。
************************
1974年、フランス軍のプランナーたちは
ようやく、ソヴィエトにある地対空ミサイル発射
基地すべての正確な位置を突き止めた。
しかもそれは、アメリカの諜報機関からの
情報共有によるものであった。80
************************
やれやれ~~
P.256へ。
************************
ソヴィエト連邦 <にある資料> を調べると、
フランスの force de frappe が確かに実行
できる機能があるとすれば、それは先制
攻撃のみであり、それ以外の機能において
信頼性があるとの見方がほとんど見当たら
ない。だがこれは、そもそもフランスの核武装
の正当化に掲げられていた目的の正反対だ。
先制攻撃を実行するなら、自殺行為だと
みなされていた。つまり、先制攻撃など行え
ばソヴィエトの報復攻撃を招き、フランスは
消滅してしまう。いずれにせよ、フランスには
攻撃する意欲はないものと見なされていた。
82
・・・(中略)・・・
ソヴィエトはフランスの核兵器を、主に
NATO内部の力関係のためのものだと
考えていた。1965年には、フランスはその
核武装を “同盟諸国” との 「政治ゲームで
のカード」 として利用するつもりだという見方
が固まっていた。85
************************
単なる 「ええかっこしい」 のための巨額
出費だった、というわけですね。市民の税金
を、なんだと思っていたのか!? 日本の
現時点 (2023年2月) の政権も、防衛費
倍増などと訴えていますが ・・・
では、Conclusionへと飛びますね。
P.258へ。
************************
本論文の研究での最初の発見事項とは、
フランスの核兵力の発展は混とんとしており、
戦略的合理性がまったく欠落していた、という
ものだった。ここから、<従来は戦略的で
例外的と思われていた> フランスの核導入
が例外的ではなくなる。他の核兵器保有諸国
での導入の歴史に近づくのだ。そうした諸国
でも、核の導入に関しては公的な正当化と
核プログラム・思想・核兵器との間に不整合
が見られた。従来の核や冷戦に関する研究
では合理性の協調が再度高まり、安全保障
ばかりにフォーカスが絞られていたのだが、
フランスでの核兵器に対する姿勢の形成を
説明するには、そうした特性は不適切である
ことが分かる。99 このように考えるなら、
フランスの核武装に関するディベートに
おける不整合や非合理性をBeatrice
Heuser<英国やフランスの大学で教鞭を
とった歴史学者・政治科学者> は診断した
のだが、Heuserの洞察を確認し活用する
ことができる。100 さらに、純粋に国産の
核兵器プログラムなどというものは存在し
なかったというItty Abraham<”The
Making of the Indian Atomic Bomb” の
著作が名高い、アメリカの研究者> の
主張も、確認できる。101 そして最後に、
近年はフランスの核に対する姿勢が
「まったく一方的に増大を続けた」 例の1つ
であるとの意見があるのだが、それが誤りで
あることも分かる。むしろ実際には何らかの
触媒となる姿勢があって、それを反映した
技術が導入されていたことが分かる。
************************
P.259へ続きます。
************************
疲れた~~ まだあるの??
私の昔の20分クロッキー
ド・ゴールは専門的な詳細を考えたり批判的
な意見を聞くことが嫌いだった。また彼は
自己表現の在り方に謎が多く、フランス産
技術の実力を信じたがっており、しかも彼の
顧問たちもド・ゴールとは彼に反論したり違う
意見を述べることをためらっていた。その
ためド・ゴールの周囲には、主要公務員や
産業界がフランスの体系的な核導入を好きな
ように進めることのできた空間が出来
上がった。<裸の王様のお話になぞらえて
言えば、> 王に相当するド・ゴールは自分用
の新しい衣装を見て大喜びしたのだが、彼の
従者たちは何ら信頼に足る国家安全保障を
実現しておらず、むしろ具体的で恒久的な
国内への影響を作り出した。彼らは新しい
権力と特権をもたらす地位を固定化させた
のだが、その努力の先にあるものは文字通り
Mirageつまり蜃気楼に過ぎず、それは彼ら
自身も認識していたのだろう。
************************
呆れかえった ・・・・
私の20分クロッキー
やはり、フランスでも 「核マフィア」 とでも
呼ぶべき勢力が形成されていたわけですね。
日本では 「原発村」 とか 「原発マフィア」
などと呼ばれていますが、実は潜在的
核兵器保有という国家戦略が裏に潜んで
いるので、私自身はハッキリと 「日本の
核マフィア」 と呼ぶ場合もございます。
では、いわゆる「核兵器保有5か国」のうち、
残っているのは中国だけになりました。
次回、このページ シリーズb-x) の新ページ
をアップロードするときには、中国での核導入
を扱うことになります。