「平和利用」の正体
2020年10月
「核の平和利用」と「軍事利用」とは別物だ → 「発電」と「兵器」は違う、
というマヤカシに騙され、核兵器には断固反対する人々の一部も、「核発電」
には反対していなかった ・・・ そんな事実が確かにあります。
なお、放射線の医療利用や、サイクロトロンなどの研究利用については、
使う放射性物質があまりにも微量なので、ここでは問題にしておりません。
放射性物質をかなりの量 使用するといえば、現在ある限りでは、やはり
「兵器」と「発電」ですよね。
「核発電は軍事利用ではない、平和利用だ」というマヤカシがいまだに
根強く、「核兵器」には(少なくても日本では)たいていの人たちが
反対するのに、「核発電」となると、賛否の議論が生じてしまいます。
しかし、実際にはこの2つが不可分であることは、ここまでに紹介してきた
歴史上の実例が示しています。「原子炉」とはもともと、原爆製造の
ための機械だったのですから。
「平和利用というマヤカシ」を指摘しているのは、私だけではありません
以前にも引用しましたが、重要なご指摘なので再度。森瀧春子という
方が、「終わらないイラク戦争」(勉誠出版、2013)という書物の177ページから
178ページにかけて、次のように述べておられます:
「1960年代後半から・・・・顕著になってきた日本を含めた世界での
原発建設問題にも取り組むようになったが、根強い「核の平和利用」
支持論によって日本の反核運動全体の課題とはなり得なかった。
・・・・・「軍事利用」と「平和利用」は別ものだとするレトリックに、
平和運動も含めて、おおむね絡めとられてきたからだった」
原発事故の被害を取り上げることも大切ですし、事故の被害を
受けた方々への支援は必ず続けるべきです。
同時に、「核発電」の「核兵器との不可分性」を訴えることも、
もっと本格的に展開していかないと ・・・