2023年5月
最初に断っておきますが、私は日本社会で
いう 「嫌中」 でもなんでもありません。
それどころか、こうやって 「日本語」 で
アレコレ伝達ができるのは中国が古代に
漢字を伝えてくれたおかげだと認識して
おります。「やまとことば」 だけだと、
「核分裂」 だの 「核兵器拡散」 だの、
なんと言えばよいのか?
ですが、中国での1950年代とその前後に
おける 「核発電」 に関する情報を探すと、
インターネット上にあまり見当たらず、
核兵器開発の話ばかりが出てきます。
そうである以上、当時の中国政府は 「まずは
電気より、核兵器」 という方針だったと考え
ざるを得ませんよね。核発電は、その後で登場
したと。
やはり、核発電の歴史では、「はじめに核兵器
ありき」 ってことですね。
そして、その辺の事情を隠すため、中国当局は
関連情報をあまり発信していないのか、と疑い
たくなります。
うえ~ん、探しても見つからない~~
私の20分クロッキー
それを調べるため、英語版Wikipediaから
Nuclear Power in China
Nuclear power in China – Wikipedia
と
China and Weapons of Mass Destruction
China and weapons of mass destruction – Wikipedia
という2つのページから、私の抜粋・日本語化
で紹介してみます。
いつもどおり、< > 内は私からの補足
説明です。
原文にあるソース表示は省いてあります。
日本語のWikipediaで類似したページを
探してみたのですが、英語版にある内容の
多くが欠落しています。そうである以上、
いかに英語版の内容を抜粋・日本語化する
しかありません。英語版を読める方々は、
上の両リンク先をお読みください。
それと、今回も長いページになります。
ご了承ください。
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Nuclear power in China
(中国での核発電)
最終更新は、2023年4月21日
History
1950–1958
冷戦時代、中華人民共和国政府が核兵器を
開発しようと明確した意図は、主に安全保障上
のものだった。1950年から1958年に
かけての中国の原発関連の建設事業は、
旧ソヴィエト連邦に大きく依存していた。
最初のプログラムが始まったのは、China-
Soviet Union Nonferrous Metals and Rare
Metals Corporation (中国ソヴィエト非鉄
金属・レアメタル会社、<1950年設立>)
を設立した時だ。さらに同時期、中国初の
核エネルギー研究所である Institute of
Atomic Energy (核エネルギー研究所) が
北京の中国科学院に設立されている。
1955年2月には、兵器グレードのU-235
とPuを製造する化学分離作業の工場を
ソヴィエトからの援助で新居ウイグルに建設、
同年4月には長春核エネルギー研究所を
<吉林省に> 設立した。 さらに数か月後の
1955年4月29日には、Sino-Soviet Atomic
Cooperation Treaty (中ソ原子力協力条約)
を締結している。中国核工業集団 (China
National Nuclear Corporation、CNNC) の
設立も、同年のことだ。 旧ソヴィエト連邦との
協力以外にも、中国は同国に留学生を派遣、
核技術を学ばせた。1958年12月、中国の
「科学技術開発12年計画草案」 では、
核発電開発が最優先プロジェクトと
されていた。
1959–1963[edit]
この第二期の特徴として、中国は核発電
開発を完全に自力で行おうと路線変更を
目指した。1959年6月、ソヴィエトは自国の
技術者たちを中国から引き揚げ、核関連の
中国へのすべての支援を公式に終わらせた。
中国はこれで苦痛を体験したものの、
大掛かりな研究とインプットを続けて核
エネルギー開発を継続した。自国の核
エネルギー産業を短期間で強化させたい
中央委員会は、核関連活動に一層多くの
リソースをつぎ込まねばならないと決定した。
その結果、核エネルギー研究所 (Institute
of Atomic Energy) はすべての省や主要
都市、自治区に各種研究機関の支部を
設けた。1963年末までに、ウラニウムと
トリウム抽出用の化学分離工場を40か所
以上建設した。1961 年から1962年に
かけて中国は核開発で大きな業績を上げ、
将来の利用のための基盤を固めた。1959
年から1963にかけては、蘭州にガス拡散式
の <ウラニウム濃縮> 工場を建設していた
が、これは大型の300 MWの原子炉を併設
するものだった。 <U濃縮工場はかなりの
電力を消費すると、上の黒いメニューにある
ページ 付録 w-1) で述べましたが、その
実例の1つですね> 推定では、この工場の
建設のために中国が投下した資金は15億
ドルを超えていたとされる。
1964–現在
1950年代には中国の核開発は目覚ましい
発展を遂げたが、1960年代には足踏みを
始めた。これは、文化大革命 <毛沢東主導の
中国社会全体を揺るがせた社会運動> に
よるものであったのかもしれない。1970年
には、実行された核実験は1件のみで
あった。1970年2月8日、中国としては
初めての各発電計画を公表、728研究所
(現在のShanghai Nuclear Engineering
Research and Design Institute <上海
核工学研究設計研究所>) も設立した。
中国が初めて独自に設計し建設した原発で
ある秦山原発の建設は1984年のことで、
1991年12月15日にはグリッド接続に
成功した。原子炉のタイプは、CNP-300
<というPWR> だ。
・・・(中略)・・・
2019年中国は、2035年までに200 GWeを
核発電で発電するという新たな目標を掲げた。
それ以前には2600 GWeという目標であった
ので、そのわずか7.7%である。
2020年12月末までで、中国本土にある
稼働中の原発総数は49機に達し、発電可能
容量の合計は51 GWeである。これは、
要領では世界第3位、2020年の実際の
発電量では世界第2位だ。建設中の原発も
16基にのぼる。建設中の原発の原子炉
基数と可能容量とにおいては、長年世界
第1位である。
・・・(中略)・・・
核燃料サイクル
中国は高レベル放射性廃棄物 (HLW) の
保管施設をゴビ砂漠に建設することを検討
している。おそらく、2041年前後から同国
西部のベイシャンという場所で建設を開始
するのであろう。
2010年代前後から、中国は核燃料再処理に
向け真剣な努力を進めている。そうした再処理
関連施設は、うわべは平和利用 <発電
関連> とされてはいるが、再処理技術が
「二重用途」 <つまり、発電だけでなく
核兵器にも使われる> のでは、との懸念が
ある。西側のメディア数社が、”China nuclear
reprocessing to create stockpiles of
weapons-level materials: Experts”
(中国の核燃料再処理から、核兵器グレード
の放射性物質の山が、と専門家たちが指摘)
という同じ言葉の見出しの記事を報じたほど
だ。中国はさらに秦山原発の加圧式重水
原子炉で 「天然ウラニウム相当燃料」
つまり再処理で取り出したウラニウムと劣化
ウラニウムのミックスを使用する試みを始めて
いる。韓国でもDUPICという類似した試み
があり、こちらはPWRからの使用済み
核燃料を直接、CANDUというカナダ製重水
原子炉で使用するというものだ。だが
DUPICとは異なり、中国のものは原子炉
グレード <核兵器グレードよりも低濃度>
のPuを別に抽出し、他の何らかの用途に
使用するのだ。重水原子炉の燃料となるの
は、使用済み核燃料から抽出したUのみ
なのだ。
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もう、お気づきですよね?
最近になれば具体的な原発の名称なども
挙がっていますが、当初のお話といえば
旧ソヴィエトからの支援による核兵器開発。
そして、近年の話題で目を引くのも、
U濃縮 (要は、ウラニウム型原爆製造の
ため) と核燃料再処理 (Pu製造) の話 ・・・
でも、パターンとしては、アメリカも
旧ソヴィエトも英国もそうでしたよね。なん
なら、日本だって核兵器開発プロジェクトが
核発電プロジェクトより先にあったことは、
上の黒いメニュー (項目は基本的に
アルファベット順) で、g-1), g-2) をクリック!
結局、どの国であっても 「核兵器あって
こその核発電 ⇒ “平和利用” なんて
マヤカシに他ならない」 ってことですね。
さらに、核燃料再処理ってマトモに核兵器
増産につながりかねないですよね。右の
「アーカイブ」 の下、2021年7月をクリック
⇒ 7月21日、23日、25日の記事も参照。
リビアがその昔、再処理 ⇒ Pu抽出 ⇒
長崎型原爆を開発しよう、と考えていた実例
も、ページ f-8) で短く紹介しました。
では、中国での核兵器の歴史を。
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China and weapons of mass destruction
(中国と大量破壊兵器)
Nuclear weapons
最終更新は2023年2月21日
History
毛沢東が中国の核兵器プログラム開始を
決定したのは、1954–1955年にかけて
<台湾と中国の間にある> 金門島と馬祖島
をめぐり攻防が展開された第1次台湾海峡
危機の間のことであった。すでに大規模に
なっていたアメリカの核兵器体制に対抗
できるものを構築できるとは、毛沢東も考えて
はいなかったが、少数の核爆弾を持てば外交
での中国の威信が強まると見ていた。
旧ソヴィエトでは反共産党グループによる
事件が発生 <1957年、当時のソヴィエト
共産党に反抗する政治家グループが、当時の
フルシチョフ首相を追放しようとした>、その
ため世界の共産圏 <当時の共産主義諸国>
におけるフルシチョフの立場が一時的に
不安定なものとなり、同首相は中国共産党
ならびに毛沢東からの支援を必要とすること
になった。これを受け、中国共産党は
フルシチョフを支持する引き換えにソヴィエト
から核兵器技術を求めた。かくして10月
にはAgreement on New Technology for
National Defence (国防用新技術に関する
合意) を締結した。この合意は、中国による
核兵器開発をソヴィエトが支援することを
約束するものであった。
包頭と蘭州でのウラニウム濃縮工場の建設
が1958年に始まり、翌々年までには酒泉の
プルトニウム施設とロプ ノル核実験場も建設
開始となった。中国の初期核プログラムには
ソヴィエト連邦が顧問を派遣して支援を行い、
核分裂性物質の製造を専門とする施設を
指導していた。1957年10月には、核爆弾の
プロトタイプやミサイル、関連技術を提供する
合意も交わしている。当時の中国は自力で
技術やコンポーネントを開発するよりも輸入
することを優先、ソヴィエト連邦に中国から
ウラニウムを輸出していた。ソヴィエトは
1958年にR-2ミサイルを2基支給している。
だが同年、ソヴィエトのリーダーであった
ニキータ フルシチョフは毛沢東に、
ソヴィエトが米英との軍縮を話し合う計画だと
述べていた。すでにそれ以前から、<資本
主義諸国との> 「平和共存」 という
フルシチョフの 「スターリン後の政策」 に
対しては、反対をしていた。<スターリンは、
フルシチョフの前のソヴィエト指導者。
ソヴィエトも中国も共産主義国でしたが、
もともと共産主義には、革命によって資本主義
国が共産主義国に代わっていくのが歴史の
必然だ、という信念がありました。そのため、
資本主義諸国との平和共存というのは、共産
主義への裏切りとも捉えられえたのです。
ついでながら、資本主義諸国 VS 共産主義
諸国という {冷戦構造} が出来たのも、
ご理解いただけると思います> ソヴィエト
高官たちは中国に対し、中国は引き続き
ソヴィエトの核の傘の下にあるのだと約束は
したのだが、この路線の食い違いのため
中国とソヴィエトの間の対立が深まっていった。
1959年6月、両国は軍事と技術面での協力
を公式に終了、さらに翌年7月にはソヴィエト
が中国の核プログラムに対するすべての援助
を突然終わらせた。ソヴィエトの技術者全員が
中国の核プログラムから撤退した。
Arms Control and Disarmament Agency
(軍縮局<1961年から1999年まで存続>)
の局長であったWillian Fosterによれば、
ケネディー並びにジョンソン政権時代
<1961年1月から1969年1月まで、
ケネディー大統領が1963年11月に暗殺
されたのは、よく知られていますね> の
アメリカ政府は中国の核プログラムに懸念を
募らせており、それを妨害あるいは攻撃する
方法を検討していた。台湾ないしはソヴィエト
連邦の助力も得られないか検討していたの
だが、フルシチョフは関心を示さなかった。
1964年10月16日には中国は最初の核
実験を実施したが、そのコード ネームは
596であった。<2023年4月現在で>
中国が最後に実施した核実験は、1996年
7月29日のものだ。キャンベラに本拠を置く
オーストラリア地質調査学会 (According to
the Australian Geological Survey
Organisation) によれば、1996年の核実験
の爆発力はTNT換算で1-5 キロトンで
あった。中国としては22回目の地下核実験、
その他の種類も含めると45回目の核実験
であった。
核兵器のサイズ
1980年代以来今までに、核兵器の小型化
という点では中国は大きな進歩を遂げてきて
いる。この進歩は基本的に、アメリカのW88
という核弾頭の設計並びに誘導弾道ミサイル
の技術をひそかに手を入れたためだ、という
問題指摘が昔からあって、その中でもよく
知られたものがCox委員会によるものだ。
<1990年代に中国関連の調査をした、
アメリカ議会の委員会。「Coxレポート」 が
有名> 中国の科学者たちの主張では、
確かにこうした分野で進歩を遂げたが、
決してスパイ活動はしていないと強く
否定している。
・・・(中略)・・・
2004年、中国は 「核兵器保有諸国の中で、
中国は ・・・ 保有核兵器量が最も小さい」 と
発表した。つまり、英国の保有する核兵器は
200発だが、中国はそれよりも少ないという
発表だ。非公式な情報ソース数件の推定に
よれば、中国の保有する核弾頭はおよそ
400発だ。だがアメリカ諜報機関の推定では、
非政府系団体の多くが推定しているよりも
ずっと保有数は少ない。
2011年には、中国の保有核弾頭数を高く
見積もる推定が再登場した。ジョージタウン
大学が3年間をかけた研究によれば、
中国の保有する核兵器数は3,000発に
達している可能性があり、しかもそれらが
高度な技術によるトンネルのネットワーク内に
隠蔽されているという。この研究の根拠として、
国営メディアによるトンネル入り口の記録が
あった。全長4,800 kmのネットワークだと
推定された。2008年には四川で大地震が
あり、丘陵部にあったトンネルが崩壊、その
ためトンネル ネットワークの存在が顕わに
なった。中国も、このトンネル ネットワークの
存在を確認している。これに対応して、
アメリカ軍部にはこのトンネルが核兵器を
隠ぺいしていないか調査せよとの法的な
命令が出た。だが、このトンネルという主張
には論理的な欠陥が明らかで、重大な批判
を受けることになる。まず製造という視点
から、3,000発もの核兵器を製造できるだけ
の核分裂性物質が、中国にはない。これだけ
の量の核兵器を製造するには、プルトニウム
が9–12トン、濃縮ウラニウムが45–75 トン、
さらにかなりのトリチウムが必要だ。推定では
中国が保有している兵器グレードのPuは
わずか2トンで、これでは製造できる核兵器
は450–600発程度だ。もっとも、処分対象と
なっているUは18トンあり、これは核弾頭
1,000発に相当するのだが。
・・・(中略)・・・
核兵器拡散
歴史を見ると、1992年に中国は核不拡散
条約を批准したのだが、それ以前には
パキスタンの核開発プログラムに関与して
いた。<上の黒いメニューにある、ページ
f-3) 参照。メニュー内の項目は、基本的に
アルファベット順> 1980年代初頭、中国が
パキスタンにある 「パッケージ」 を供与
したものとみられており、これには
ウラニウム濃縮技術や高濃縮ウラニウム、
小型核兵器の設計も含まれていた。
アブドゥール クァディール カーン <上の
黒いメニューにある f-8) とg-7) 参照> が
パキスタンに持ち込んだ盗品技術を中国が
入手し、さらにパキスタンが中国に遠心
分離機 <によるウラニウム濃縮> 工場
<上の黒いメニューにある 付録 w-1)
参照> を建設していた。その根拠は
カーン自身の書簡にあり、それには以下の
通り記されている。「(1) ご存じの通り、
我々と中国との協力関係は15年に及んだ。
漢中 (西安の南西約250㎞) に遠心分離
濃縮工場を設立した。C-130 <という
輸送機> 135機分の機械やインバーター、
バルブ、流量計、圧力ゲージを送り込んだ。
我々のチームは現地に何週間も滞在して中国
のチームを支援、逆に中国チームもこちらに
来てその都度何週間か滞在していた。当時
大臣であった故リウ ウェ氏、次官だったリ
チュウ氏、やはり次官だったジアン シェンジー
氏が、よく我々を訪問に来ていた。(2) 中国
側は我々に、核兵器の図面や濃縮
ウラニウム50㎏、6フッ化ウラニウム (天然)
10トン、3%にまで濃縮した6フッ化
ウラニウム5トンを渡してきた。PAEC
(Pakistan Atomic Energy Commission
(パキスタン核エネルギー委員会)、カーン
研究所のライバル団体) が6フッ化
ウラニウム工場やプルトニウム製造用原子炉、
核燃料再処理工場を建設した際にも、中国
からの支援があった」
<* ウラニウムは自然状態では固体なの
で、そのままでは遠心分離もしづらい ⇒
化学反応させて6フッ化ウラニウムに
すると、およそ摂氏57度あたりで気体に
なるので、遠心分離器にかけやすい ・・・
というわけで、ウラニウム濃縮では6フッ化
ウラニウムを使うことが多いのです>
**********************************
さらに現在、中国ではCFR-600というFBR
の建設も進めているようです。
もんじゅやSuperphenix もそうですが、FBR
には 「ブランケット」 と呼ばれる個所が炉心
周辺にあって、ここでU-238をPu-239に
核種変換します。こうしてブランケットでできる
Pu-239は、使用済み核燃料中のものなどと
比べ、「実に使いやすい」 Puなのです~~
核兵器に、ですよ。ページ tw-1) も参照。
そんなこんなで、アメリカが中国の核に
神経質になっているのも、当然の結果で
しょうか。
右の 「アーカイブ」 下の 「2021年7月」
をクリック ⇒ 7月21日、23日、25日の
各記事もご覧くださいませ。
いかがでしたか?
「御多分に漏れず」 核発電の導入に核兵器
開発あり、というのが中国にも当てはまって
いた ~~ ということでしょう。
「日本は違うぞ! 日本には原発はあるけど、
核兵器はない!」 という俗信が、しばらく日本
ではまかり通っていました。日本で原発を導入
する際には、とにかく核兵器とのイメージ分離
を社会に浸透させる必要があったので、CIA
なども絡んであれこれ工作をやったのですね。
その洗脳効果が、まだ消えない方々もいらっ
しゃいます。
この 「日本でのイメージ工作 (原発広報)」
については、将来、固定ページを設けたいと
思います。
では何が真実なのかは、上の黒いメニューで
ページ シリーズ g-x) をお読みくだされば。
結論として~~
核兵器保有5か国の過去の経緯も、日本の
実情も見てきました。
結論は極めて単純、どこの国かを問わず、
現実には
「核兵器と核発電は不可分」
ってことですね。
付録 w-4) で紹介したアル ゴア元副大統領
のインタビューが、いかに本質をついている
かも、お分かりですよね。
もうイヤになった ~~
私の20分クロッキーに、5分程度で背景をつけたもの
では、次回の固定ページ アップロードでは、
b-8) (原子炉の正体) 中国2 として、アメリカ
が中国の核をどう見ているのか、近年の論調
の例を紹介しますね。