b-1) (原子炉の正体) そもそも原子炉とは ~ 出生地アメリカでは

2020年3月

そもそも「原子炉」とは ~~ その生まれた地、アメリカの場合

まずは、過去の事実を見ましょう

歴史的には、つまり今までの事実を見る限りは、「核発電(特に原子炉)と核兵器の
不可分性」って、明らかなのですね。
そこで、具体的な過去の事例を取り上げてまいりましょう。

「世界で最初に臨界(核分裂が維持される)に達した原子炉って、
どこのなんという原子炉だったのか?」

日本語のWikipediaを見るだけでも分かるように、
シカゴ・パイル1号 – Wikipedia
Chicago Pile – 1 という原子炉でした。
アメリカのシカゴ大学に
あったもので、初臨界は
1942年12月のことでした。

"A National Flag" -- 私の油彩画、1989年

“A National Flag” — 私の油彩画、部分、1989年

このChicago Pile – 1 は翌年、
マンハッタン計画に組み込まれ、
ワシントン州の Hanford Site に
Chicago Pile – 1 を大型化した
「B原子炉」が建設されました。

Chicago Pile – 1 も{B原子炉」も、
発電設備を伴っておりません
発電目的では、なかったのです。
では、何のためのB原子炉だったのか??
Pu 239 (プルトニウム 239)製造が、
目的だったのです。
では、「B原子炉」で出来た Pu 239を、
何に使ったのか?
Fat Man の核分裂材料となり、長崎で数えきれない人々を
焼き殺したのでした。

「原子炉」の起源とは、そもそも上記のようなものだったのですが~~

ところが。2011年頃の反原発集会などで、Chicago Pile – 1 という
名前すらご存じない方々と出くわし、驚いたことがありました。
別に、そうした方々のことをバカにしてるんじゃ、ありませんよ!

上記のような過去の事実を見る限り、(少なくても今までの原子炉による)
核発電を「平和利用」と呼ぶのは ”まやかし” に過ぎないのですが、
少なくても日本では「平和利用というまやかし」がまかり通って
いたのですね。
そのため、「反核兵器」陣営と「反核発電」陣営の分離が生じ、
この分離が2011年になっても作用していた、と見るべきでしょう。

私一人の意見じゃ、ありません!

そう見ているのは、何も私だけじゃありません。
たとえば、勉誠出版の「終わらないイラク戦争」(2013年3月20日)に
収録されている、森瀧春子さんという方の「核開発がもたらしたもの
― 核と人類は共存できない」という文章のP178を見ますと、
「1956年頃から、米国とそれに追随推した日本の政府・大資本により
喧伝された「原子力の平和利用」の夢、・・・ 「軍事利用」と
「平和利用」は別ものだとするレトリックに、平和運動も含めて、
おおむね絡めとられてきた ・・・」
とあります。

おそらく森瀧さんも、『「軍事利用」と「平和利用」は別ものだ』という
まやかしが、平和運動などの現場でもまかり通っている現実に、
かなり悩まされたんじゃないかと想像しています。

ついでながら、2019年2月の経団連の中西会長による
「原発と原子力爆弾が頭の中で結びついている人に『違う』と
いうことは難しい」
という発言も、では上述のような歴史上の事実をどう理解すれば良いのか、
説明を加えるべきでしたね。(そんな説明ができるので、あれば)
もっと言えば、この「頭の中での結び付き」をとことん否定したいのであれば、
中西さんの会社で、従来の原子炉を使わない新型の ”原子力発電技術” を
開発してから、上記の発言をなさるべきでした!
(そんな開発ができるので、あれば)

"Argument I -- Louder, Louder"
「要するに、反対者全員をまとめてバカにしとんのか!?」
私の、昔の完成作品より

では、Hanford Site とは??

Hanford Site について上で言及しましたが、これはアメリカの西海岸
ワシントン州の僻地にあった広大な核施設でした。
(現在は稼働しておらず、除染が進んでいるそうです)

賢明なる読者の皆様がもうお察しのとおり、マンハッタン
プロジェクトの一環となった施設でした。アメリカ政府の
DOE(エネルギー省)によるウェブサイトが
https://www.hanford.gov/
にあります。

そのウェブサイトを、実際にご覧くださいな

そのメニューで About Us –> Hanford History のページを
ご覧くだされば、この核施設の略史が分かります。
さらに同じくAbout Us で Projects & Facilities の
サブ項目 B Reactor を選ぶと、B Reactor に関する解説があります。
その冒頭部だけお読みになってもお分かりのとおり、B Reactorは
・ マンハッタン計画の一環であったこと、
・ プルトニウム製造に使われたこと、
・ その作ったプルトニウムを有名なTrinity Test という原爆実験に
使い、さらに長崎で人々を大量虐殺した原爆にも用いたこと
(まあ、やはりというか、アメリカ政府のウェブサイトですから、
— to end World War II という但し書きが付いていますけどね)
を、アメリカ政府が今では認めているわけですね。

さらに Hanford History のページの World War II Era の段落にある通り、
この施設が具体的に何のためのものなのかは、従業員たちにも
一般市民にも知らされていませんでした。いわば、この施設は一種の
「秘密都市」だったのですね。

"A National Flag"、全体(中央)

“A National Flag”、全体(中央)

 

要するに世界最初の「原子炉」とは、

・ マンハッタン プロジェクトという極秘の原爆開発計画の一環として、
・ Hanford Site という秘密都市の中で、
・ 建造されてPu を製造し、
・ そのPuが長崎で多数の方々を焼き殺した
ということですね。それを、今ではアメリカ政府も認めているわけです。

では、B Reactor 以外の「初期の」(1943年から、1950年代にかけての)
原子炉は、どのようなものだったのでしょうか?

B原子炉」以外の原子炉は?

Hanford Site の B 原子炉だけが、例外的に
「原爆用」だったのでしょうか??
あるいは、B以外は発電するためのものだったのか?
それとも ・・・

これは、上で紹介した米国エネルギー省の Hanford Site
ウェブサイトで、About Us –> Projects & Facilities という
ページをご覧になれば、すぐに分かることです。

たとえば、C原子炉

B Reactor のすぐ次にあるサブ項目、C Reactorを
クリックしてみると:

— was built in the late 1940’s and early 1950’s,
and started operations in 1952
とありますので、1940年代末から50年代初頭にかけての建設だと
分かりますね。
さらに、
— was the first of Hanford’s nine plutonium production reactors
to be placed in Interim Safe Storage —
とあります。plutonium production reactors(プルトニウム製造用原子炉)と
はっきり言ってますね。
Interim Safe Storage というのは廃炉後の原子炉の
保管方法の1つです。
その保管対象となる「プルトニウム製造用原子炉」が9基あって、
C がその最初のものだった、というわけですね。

なお、https://en.wikipedia.org/wiki/Columbia_Generating_Station に
あるように
現在ではColumbia Generating Stationという商用の核発電所も
Hanfordにあるのですが、これは1984年に発電を始めたものです。
つまり、それ以前にHanford にあった原子炉はいずれも、
「発電用」じゃなかったってことですよね。つまり、Hanford とは
基本的に、「原子爆弾用プルトニウムの製造施設」だったわけです。

H」も同じく ・・・

この「死と破壊のための施設」にあった、その他の原子炉を
同ウェブサイトで調べてみても、同じことをすぐに確認できます。
たとえば H Reactorというサブ項目をクリックすると:
— was the first reactor to be built at Hanford after World War II.
It became operational in October of 1949 —-
と記載されていますので、二次大戦の終了後、1949年10月に稼働を
始めたことが分かります。
さらに、
H Reactor was built as tensions grew between the United States
and Russia, ultimately ushering in the Cold War. With the
continued strain on relations between the two superpowers,
H Reactor was followed by DR, C, K-West, and K-East Reactors
all being built within a five and a half year period.
というわけですから、まさしく「冷戦」の申し子、東西緊張の
高まる中で建設された「原爆用」原子炉であったことは明らかです。
これに続き、DR, C, K-West, K-Eastと次々と「原爆用」原子炉が
設けられたわけですね。やれやれ ・・・・
Hanford Site以外のアメリカの「初期」原子炉を紹介することも
できますが、読者の皆様はすでに上記だけで、充分に背筋が
凍りついてらっしゃるものと想像します。

ですからページ b-2) では、その「冷戦」の相手、旧ソビエト連邦の初期原子炉を
見てまいりましょう。

 

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