2020年9月
UK(英国)での初期原子炉
では、英国の「初期」原子炉なのですが、
ブリテン島の西岸、アイリッシュ海に面する
Windscale Piles – 1, 2 というのが
英国最初の実用原子炉でした。
稼働開始はPile -1 が1950年10月、-2 が
1951年6月のことでした。
(シカゴ大学の実験用原子炉が
Chicago Pile – 1 と
呼ばれていたように、Windscale も
pile と呼ばれていました。なぜか?
たとえば
https://www.atomicheritage.org/history/chicago-pile-1
などにある写真を見れば、明らかですよね)
なお、Windscale という地名は、
1981年に Sellafield と
改名されています。
そのあたりの事情は、日本語の書籍で
あれば、秋元健治、「核燃料サイクルの闇」
(現代書館、2006)に解説があります。
で、どんな「原子炉」だったのか??
James Mahaffey, “Atomic Accidents” (Pegasus Books, 2014) という核事故の歴史を
概略した書物のpp. 162-163 に、Windscale Piles の構造図があります。
Webであれば、かなり略式の図が
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Windscale-reactor.png
にあります。
p. 162 の図には water duct なるものがありますが、これは図のすぐ下の説明に
ある通り、”The water duct was used to cool off the used fuel as —”ということですね。
つまり、使用済み燃料を冷却するためのものでした。
「え! 原子炉の冷却水を使っていなかったの??」
はい、原子炉の冷却水システムはありませんでした。「空冷式」原子炉だった
のですね。
「なんだあ、じゃあ水のパイプとかなくて当然だね」と安心しないで
ください!
発電用原子炉であれば、原子炉を冷却する水システムが必ずあって、
原子炉で水が高温の蒸気になり、その蒸気を使って発電用タービンを回します。
(今までのところ、発電用原子炉はすべてそういう仕組みです。なんらかの
水システムで蒸気を発生 → 発電用タービンを回す、というメカがないと、
発電できません!)
つまり、Windscale Piles は発電用じゃなかった
ということですね。じゃあ、何のために使っていたのか?
それはもう、たとえば
https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_Piles
のReactor usage という個所をご覧になるだけで、分かります。
Plutonium production(プルトニウム製造) と明記されていますね。
なお、Windscale Pilesは1957年10月に大事故(火災)を起こし、廃炉へと
向かいます。その事故の原因などについては、上述の “Atomic Accidents” の
pp. 173 – 183 を、
周辺地域の放射性物質汚染については上述の「核燃料サイクルの闇」の第III章を、
それぞれご覧ください。
事故の程度は、レベル5 だったようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_fire)
要するに「原爆製造のための施設」
もうお分かりと思いますが、Windscale Piles も初期原子炉の例にもれず
「原爆製造のための施設」だったわけです。
「原発と原爆が頭の中で結びつく ・・・」のは、こうした歴史上の事実を
わきまえるなら、むしろ当然のことです。「結びつかない」で考える方が、
事実に反しております。
したがって、Windscaleに至るプロセスには、英国の核武装計画はもとより、
Manhattan Project も「KGBのスパイ」も関わっていたのですね。
英国核武装の紆余曲折、そしてKGBのスパイ
英国の核武装化とそれに伴う原子炉建設の動きは、紆余曲折してました。
核武装に関する略史は、英語版Wikipedia の “Nuclear weapons and the
United Kingdom”
(https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_weapons_and_the_United_Kingdom)
というページにあるのですが、流れが二転三転した歴史だったので、
年表形式で極めて簡略にまとめてみます:
1939 - 英国のバーミンガム大学で二名の物理学者が、
ウラニウム235 を核爆発させるには、10㎏程度以下で可能で
あることを推定。
* 本来、この発見は軍事利用を前提としたものではなかったよう
ですが、第二次大戦が始まり、連合国側には「ヒットラーが先に
新型超爆弾を実用化したら ・・・」という強力な不安があり、
当然のように軍事利用の努力が始まることになります。
アメリカは S-1 Project という核兵器開発プロジェクトを
開始しましたが、当初は貧弱なものでした。(でも後に、
これが有名な Manhattan Project に発展していきます)
1940 - この時点では英国の核兵器技術の方がアメリカより
進んでいたので、英国はアメリカの S – 1 に技術情報を提供。
情報交換が進む。
1941 - 英国独自の原爆開発を進めるため(カナダも協力)、
Tube Alloysという局を設立。しかし英国には開発プロジェクトの
ためのリソースが不足していた。→ 両国の原爆開発プロジェクトが
融合していった。
1943 - 両国はこの核開発での協力に合意し、Quebec Agreement
(ケベック合意)を交わす。
* そうして英国は物理学者や技術者をアメリカに派遣しますが、
その中にすでに、旧ソビエト連邦のスパイが潜入していました。(後述)
1945 - 広島と長崎を原爆で破壊。第二次大戦終了。
* これで、核兵器開発での協力の必要性そのものに、疑問が呈される
ことになりました。
英国は「最重要の緊急課題」として、自国の原子炉とプルトニウム抽出と
の施設の新設を承認。
1946 - アメリカのMcMahon Act(マクマホン法)が成立、協力が解消。
* 上記のスパイ潜入も、この解消に至る大きな要因であったことは、
言うまでもありません。
英空軍のTedder 参謀長、1957年までに推定で200発の原爆が
必要になると推定。
1949 - 旧ソビエト連邦が、原爆実験に成功。
* 西側は、あわてます。英国はアメリカとの協力再開に努め、
Windscaleでできる Pu とアメリカの濃縮 U235 との交換などを
提案したのですが、結局合意には至りません。
1950 - Windscale Pile 1、稼働開始。
1951 - Windscale Pile 2、稼働開始。
1952 - オーストラリア西部の Monte Bello 諸島で、英国が
原爆実験に成功。
それ以降、Blue Danube (青きドナウ)という自国製原爆を実戦配備。
(↓ 2023年3月追記)
1956 ー 英国初の ”原発” Calder Hall原発、
カンブリア地区にて稼働開始
「すべての人に安価でクリーンなエネルギーを」と
いう触れ込みでしたが、実は軍事用でした。
なお、正力松太郎さんが導入した日本最初の原発も、
皆様もよくご存じの通りこのCalder Hall型原子炉に
耐震強化を施したものでしたよね。
(↑ 2023年3月の追記終わり)
1957 - 旧ソビエト連邦、史上初の人工衛星「スプートニク1号」の
発射に成功。
* これでアメリカが大いにあわてたのは、有名な話ですね。
それを機に、米英両国は核兵器での協力を再度模索、アメリカは
マクマホン法を改正し ・・・
1958 - ・・・ 英米両国は、相互防衛協定を締結。
ま、あくまで上記は、かなり概略化した年表です。
それでも、原子炉と核兵器の不可分な結びつきが窺えますよね。
私の20分クロッキーより
スパイが入り込んでいた!
スターリンは、おバカさんではありませんでした。
マンハッタン プロジェクトの中枢だった Los Alamos 研究所に、
少なくても 3人もスパイを潜入させていたのです。
Mahaffey, “Atomic Awakening” という著作の p. 203 から
かいつまんで紹介すると、
・・・ Klaus Fuchs は英国から派遣されてきた物理学者、Ted Hallは
シカゴ大学の物理学者、David Greenglass は機械技術者だった。
・・・ 彼らから集めた情報をもとに、旧ソビエト連邦は1946年、エンリコ
フェルミのChicago Pile によく似た原子炉を作成していた。Arzamas-75
という名称だ。・・・
なお、この3名のスパイのうち、Hall 以外の2名は二次大戦後に
逮捕され、服役したそうです。Hall の正体が確認されたのは
かなり後で、1997年のことだったそうです。
1949年の旧ソビエトによる原爆実験は秘密裏に行われましたが、その
原爆は長崎を焼き滅ぼしたFat Manに類似したものだったそうです。
やはり、原子炉と原爆の関連が現れた事実の例ですね。
なお、「ソビエトのスパイが~~」などと記すと、「ゴルゴ13 かなにかの、
読み過ぎじゃないの??」とか言われそうですが、上述の “Atomic Awakening” は
核関連の歴史を科学者が記した書物でして、スパイ小説でもなんでもございません。
Webなら、Atomic Heritage Foundation のウェブサイトにもFuchs に関するページが
あって、
https://www.atomicheritage.org/profile/klaus-fuchs
でご覧になれます。
BBCのテレビ番組でも以前にFuchsのことを紹介しており、
https://www.youtube.com/watch?v=FEa1izkc0pw
でご覧になれます。
フランスや中国は??
フランスや中国での核兵器開発と原子炉の不可分な関係を調べて
取り上げることもできますが、この「不可分性」の実例としては、
これまでの3国で充分じゃないでしょうか??
ページ b-4) では、「核保有5か国」以外の諸国、たとえば
イラク、シリア、イスラエル、イラン、北朝鮮、南アフリカ、
リビアといった諸国での実例をいくつか、それぞれ
かいつまんで見ていきたく思います。
(以下も、2023年3月追記)
上記のようなわけで、2020年9月にはいったんフランスと中国の
ページはすっ飛ばしたのですが ~~
どうも当時、私は必要な資料などが入手できず、かなり
あせっていましたね。
それから2年半経って、いくらか資料も入りつつあるので、
すでにフランスのページは公開済みです。(上の黒いメニュー
にあるページ b-4) から b-6) )
で、英国に本部を置く反核団体に Campaign for Nuclear Disarmament
(CND) という団体があり、その団体のウェブサイトでは、
The links between nuclear power and nuclear weapons
について、大変わかりやすい英語で説明してくださっています。
技術的内容を含んだり、英文が凝っていたり長いものは、
「やかんをのせたら~~」 では私が日本語化して紹介して
いるのですが、
同時に 「やかんをのせたら~~」 では読者層として、
TOEICスコアで 500 前後以上の方々を想定しております。
そうした想定読者の皆様なら、CNDの次のウェブページの一部なら、
ご自分でお読みいただけるでしょう。
The links between nuclear power and nuclear weapons – (cnduk.org)
上半分だけでも、ご自分でお読みいただければ。