g-2) (ジャパン) 1950年代の謎

1950年代の日本で、核発電導入への市民の反対が局所的なものにとどまったのは、なぜか? それが、私にはわかりません ~~

有馬哲夫教授の「原発・正力・CIA: 機密文書で読む昭和裏面史」や「CIAと戦後日本 ・・・」、「原爆と原発 ・・・」といった著書も私は読んでいますし、ですから当然、日本の市民多数派の「原子力」に対するイメージを変えようとCIAなどが暗躍した様子についても読んでおります。

しかし。それでもなお、1950年代の日本社会の多数派が「原子力」に対して抱いていたイメージについて、今でもどうも分からないことが私にはあります。

どなたかお詳しい方がいらっしゃれば、「XXX氏の”YYY” という著作を読め!」とかご教示いただければ幸いでございます。
hidecius*jcom.zaq.ne.jp  (<– * を @ に変えてくださいませ)

ではその、「1950年代の日本の核エネルギー”平和”利用に関する私にとっての謎」を、下記に。

この1文を入れろ!

この1文を入れろ!


その1

自由民主党の「党の政綱」

基本的に、50年代以降の日本の「原子力」政策を推進してきた政府与党といえば自由民主党ですし、同党はpost-Fukushima時代となった今でも、「原子力」推進という基本方針を変えてはおりません。

その自由民主党のウェブサイト(日本語)を見ると、「立党宣言・綱領」というページがあって、そこの「立党」という項目の右にある+をクリックしていただくと、「立党」というページが現れます。そこでしばらくスクロールダウンすると、「党の政綱」という項目があります。その三をご覧ください。
https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/ )

三、 経済自立の達成
通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成を・・・」
とありますよね。この段落の最後に、突如として

「原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる。」

と記されています。この段落全体を頭から読んでいくと、なんやらこの「原子力 ・・・」の部分だけとってつけたような感じがするのは、私だけでしょうか??まあ、この種の文章ですから、箇条書きに近いテキストだということなのかも。
しかし。内容を考えるとき、「原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え・・・」というのは、今(2021年)から見る限りは、明らかに「原子力」というものへの過剰な期待の表れとしか思えません。すでに「やかんをのせたら~~」のページ d-1) で説明したように、基本的に「原子力」から得られるのは膨大な熱エネルギーだけです。それで水蒸気を発生させて、発電タービンを回すわけですね。それが、「中軸」となり、「産業構造の変革」を招いてくれるのでしょうか??

どうも、
・ 何らかの圧力を受けて、「取って付けた」一文   あるいは
・ 「原子力への過大な期待」に酩酊して書いた一文

ではないかと、私は思うのですが ・・・

いったい、どういう事情でこの一文が出来たのでしょうか??
どなたか、この文章の成立秘話などご存じの方がいらっしゃれば、教えてくださいませ!

「平和利用」ですからね ・・・

「平和利用」ですからね ・・・

その2

「平和利用」といわれて、コロッと騙されたのか??

これは実は、「やかんをのせたら・・・」のページ e) ですでに申し上げたことなのですが ・・・

1945年 - 広島長崎に原爆投下 → 日本社会の多数派には、核に対する憎しみ

1954年 - 第五福竜丸の被ばく → 核に対する憎しみの再燃、映画「ゴジラ」

1965年 - 日本最初の商用原子炉が東海発電所で臨界に ~~ よりによってMagnox(コルダ―ホール)原子炉(本来、発電と核兵器用プルトニウムの製造という二重用途のための原子炉)

いったい、日本の市民たちの多数派は、「平和利用」という言葉にすっかり騙されてしまったのでしょうか??Magnoxが本来、どのような「二重用途」のための原子炉なのかも無視するほどに?それとも、Magnoxの正体を調べることすら忘れるほどに??

CIAなどによる暗躍があって、世論操作が広く行われたことは、前述の有馬教授の著作などから明らかです。しかし、そうした操作が「これほどひどく」効果を上げたのでしょうか??政党や国家機関などの暗躍に関しては、有馬教授などの研究を私でも読むことができます。しかし日本市民の多数派による「核の平和利用」に対する認識を探った研究、つまり「一般市民の意識」を探った研究となると、あまり多くは見当たりません。

そういった研究をご存じの皆様、あるいは当時の一般市民多数派の様子などを実体験でご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜび私までお知らせくださいませ!

Divide & conquer (分断させ、征服せよ)

Divide & conquer (分断させ、征服せよ)


その2を探るため、「はんげんぱつ新聞」さんのウェブサイト(日本語)に「
日本の反原発運動略年表」を見つけて、見てみました。

こうした年表を作成されるのは、大変な努力だったと思います。「はんげんぱつ新聞」さんには、心より敬意を表します。

https://cnic.jp/hangenpatsu/911 にありますので、皆様もその年表をご覧になってから、下記をお読みくだされば嬉しいです。

今までの日本の反原発運動を年表で振り返って、私が感じた問題点:

1)1957年から始まっている → 上記の自由民主党の「政綱」が1955年のものなので、55年ごろの日本の多数派は、「核の平和利用」というものを見事に信じ込んでいたのか?

もしそうなら、CIAなどによる世論操作活動が、そこまで効果を発揮したのか?

2)この年表で明らかなように、初期の反原発運動の多くは原発立地予定地とその周辺でのローカルな運動 → そうした原発からの電力は主に大都市部で消費されるわけだが、電力供給を受ける大都市部の市民多数派は、自分たちの責任を感じなかったのか??

いまだに、「原発事故の被害」=「福島の問題」といった「局地化 → 自分たちの問題じゃない」、あるいは「もう10年も前のこと。まだやってんの??」といった「無責任な区分」を、東京などで見かける。

3)ローカルな反対運動主体であったため、社会全体に働きかけるような運動となりにくかった。(局地化 → 自分たちの問題じゃない) さらに、国際的な反核の連帯行動となると ・・・・ そうした連帯運動もないと、そもそも核発電は国際的な産物(Atoms for Peace、IAEA、ウラン鉱石の輸入、原子炉はそもそも日本で設計製造したものではない、その他)なのに、日本国内での諸運動については「局地化」が助長されてしまう。

4)大事故があると反原発運動が活気づき、時間の経過とともに沈静化してしまう。

今回の福島第一メルトダウンの後も、そう。1979年のTMIメルトダウンでも、そう。1986年のチェルノブイリ大事故の後では、広瀬隆さんの著作が広く売れたりしたが、・・・ 推進側(電力会社や原子炉メーカー、エネ庁など)は一般市民の原発に関する認識と広報活動の在り方を探るため、数か国に調査団を派遣していた。(その報告書を、私が当時まとめたのでした。これについては、下の「個人的な補足」に) 反原発側も、こうした組織的な動きを続けられないのか?なにせ、推進側では巨大組織が連携しているので、反原発勢力がバラバラのまま行動したのでは~~

↑こうした問題意識を持った反核運動をしているグループなど、どこかにないのでしょうか??あれば教えて!

では、次ページ g-3) では、ある有名な政治家の方の「核心を突いた、正直な発言」を取り上げます。

金額が桁違い

金額が桁違い

個人的な補足

経緯

チェルノブイリ事故(1986年)の後の2~3年間のことでした。当時、私は東京は新宿にあったクリエイティブ エージェンシーでCCO(Chief Creative Officer、クリエイティブ業務担当の取締役)をしてました。(私は1991年春に退任してフリーランサーになり、95年にそのエージェンシーは廃業したそうです)
ある日、当時の通商産業省(今の経産省)のエネルギー庁の関係から、上述の調査団の視察報告書のデザインや編集の仕事が舞い込んできました。その仕事の出来栄えに対するクライアントからの評価がよく、それをきっかけに、原発推進の広報物作成などの仕事も入ってくるようになったのです。

当時の私は、エージェンシー(代理店)の「中立性」というものを「推進側、反対側どちらからの仕事も同じように受ける」ことだと単純に理解していたので、エージェンシーとして原発推進広報の仕事も受けていました。ただ、他の業界での仕事と比べると、同じような仕様のパンフレットを作成しても原発広報だと金額が大きかったのを覚えています。

「中立性」って~~?

そんなある日、反原発側からの仕事依頼が来ました。上記の「中立性」に基づき、私は同じように受けるつもりでした。ところが。私が判断を下す前に、セールスの人間が断ってしまいました。なぜか?イデオロギー的な理由ではまったくなく、単純明快に「金額が小さすぎる」からでした。

要するに、推進側は電力会社や原子炉メーカー、さらには旧通産省まで組んだ巨大な資金源を有していたのに対して、反原発陣営は一般市民からの寄付を集めたわずかな資金しか、なかったわけですね。

皆さん、これでは争う前から勝敗は目に見えています。反核諸団体が連帯して、継続的・組織的な情報発信や資金集めを続ける必要があるのは、明らかです。

そんなわけで ・・・

これだけ資金力や権力に圧倒的な差がある以上、「どちらの仕事も同じように受ける」では、現実上は「中立」になどなりません。「どちらの仕事も同じように~~」が中立となりえるのは、両陣営の資金力に大きな差がない場合に限られますよね。
さらに、広報の仕事であっても結局は原発の問題点を学ぶことになります。原発の大事故だけでなく、核燃料製造段階での危険、使用済み燃料の処分(いまだに、処分法は見つかっていない)、本ウェブサイトの主題である核兵器との不可分性、巨大な原発マネーをめぐる贈収賄などの暗躍、反対運動の指導者に対する実に悪質な嫌がらせやハニートラップ(← エネ庁や電力会社の方々から、「恥ずべきヒソヒソ話」をアレコレ聞きました。詳しくは、後日)、などなど。。。

そして私自身は ・・・

それ以上原発推進広報の仕事などしたくなかったので、CCOの職を辞してフリーランサーとなりました。推進広報であっても、フェアな姿勢で反原発勢力とも対話していこうという態度のものなら、私も喜んでその仕事を受けるのですが、どうも対話どころか「猫の目のように変化するマヤカシ」が目に余ったり~~~(下記参照)

かくして私は1990年ごろから今までずっと、原発には反対してきました。そうすると「だったらお前、電気使うなよ!」とかワメきだす、マインド コントロールにどっぷり浸かった連中が巷にはいらっしゃるものなので、自分の消費電力を30%ほど減らすことから始めました。(東京での原発依存率です。私は、クリーンコールや天然ガスの発電には、反対していませんからね。なお、2021年1月はじめ現在では、東京で原発に反対してらっしゃる皆様がこの30%削減を真似る必要は、ありません。東京電力地域には、現時点で原発からの電気は来ていないので。詳しくは、後日)

猫の目のように

猫の目のように

補足への補足 - 継続が大切

原発推進の広報の歴史を見ていると、推進側の「ご都合の良い言い逃れ」が明らかになります。

1979年のアメリカ、スリーマイル アイランド(TMI)原発(原子炉はPWRつまり加圧水型)でメルトダウン
→ 推進側の一部の言い分 「同じ軽水炉でも、BWR(沸騰水型)は原子炉のメカニズムが違うから大丈夫。BWRには、PWRでよく問題を起こす蒸気発生器がないので」

1986年、当時のソビエト連邦でチェルノブイリ原発が暴走し爆発
→ 「黒鉛炉には、こういう危険がある。西側の軽水炉は、大丈夫」

2011年、福島第一(BWR)でメルトダウン
→ 「加圧水型なら、大丈夫」(← おいおい、TMI はPWRだったじゃないかよ!)

加えて、現在西側の原子炉メーカーの一部が売り出そうと努めているSMR(小型モジュール式原子炉)のなかには、黒鉛炉もあります! 関連学会の内部文書を見て、確かめました。

こうした言い逃れを、推進側は以前から長年にわたって発信してきたわけですね。

それを指摘する反核陣営からの声が少ないのも、問題です。「原発の大事故発生 → 急に騒ぐ → 時間がたつと、沈静化」というパターンで動いていたのでは、こうした「数十年にわたる言い逃れ・まやかし」を明確に指摘する情報発信ができにくくなりますよね。

組織的・継続的な蓄積が大切です。その意味でも、上で紹介した「はんげんぱつ新聞」さんの年表作成には、敬意を表すものです!

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