u-4) (ウクライナ) 侵略開始以前からロシアのエージェントが
2022年8月
かなり長くなるのですが、Reutersによるスペシャル レポートを
日本語化して紹介します。
今年3月にロシア軍がいったんチョルノービ原発を占拠したとき、
ほとんど 「無血開城」 でしたよね。
不思議に思いませんでしたか??
やはり、ロシアによるスパイ網が作用していたようです。
それを詳しく調べた、ロイターによるレポートです。
重要なレポートだと思いますが、なぜか日本語版が見当たりません。
そこで、私が日本語化して下記に紹介します。
かなり長いレポートなので、何回かに分けてお読みくだされば。
How Russia spread a secret web of agents across Ukraine (reuters.com)
(ウクライナ全土に、ロシアが秘密のエージェントのウェブを張り巡らせていた様子)
2022年7月28日
Reutersの調査・報道:
チョルノービ原発がすぐに陥落したワケ。今年2月の侵略開始以前から
ロシアのスパイが潜入、侵略と占拠の準備をしていた
チョルノービ原発に限らず、ロシアは2月下旬の侵略開始以前から
エージェントを送り込み、ウクライナ国内で「工作」を進めていた
ことを、Reutersが明らかにしました。
こうした事実を考えるなら、対軍事侵攻・対テロという側面で、
原発の 「安全を確保」 するなんて、実際に可能なのでしょうか??
特に、TEPCOの柏崎刈羽での対テロ対策の 「体たらく」 が
報じられている現在 ・・・
では、Reuters 事態のウェブページから、この報道を私の抜粋・
日本語化で紹介しましょう。
いつもどおり、< > 内は私からの補足説明です。
Go nuke, go broke
私のTシャツ作品
******************
2022年2月24日
ロシアからの侵略部隊の先頭装甲車両がチョルノービ中心部に到達したとき、
この悪名高き原発の防衛に当たるウクライナの部隊と直面した。
それから2時間
戦闘はなかった
ウクライナ国家親衛隊の169名からなる部隊は、武器を置いたのだ。
ロシア軍は、チョルノービを掌中に収めた。そこには何トンもの核物質があり、
またキーフに進軍するうえでの重要な集結地点でもある。
・・・・(中略)・・・・
ロイター スペシャル レポート
ウクライナ全土に、ロシアが秘密のエージェントのウェブを張り巡らせていた様子
「国外からの敵に加え、困ったことに国内にも敵がいた。しかも、この内部の
敵の危険性は、国外の敵に劣るものではなく ・・・」
Olexsiy Danilov
ウクライナ国家安全保障・国防会議長官
ロシア軍がウクライナを侵略するかなり以前から、ロシア政府は
<ウクライナ国内に> 秘密のエージェントのネットワークを広げて
いた。侵略を潤滑に実施するためだ。ロイターが実施した調査により、
このエージェント網は、調査以前に認識されていたよりも遥かに深く
入り込んでいた。
<訳注: 侵略開始以前からウクライナ国内に深く、ロシアの
エージェントが入り込んでいた、というロイターによる調査レポート
です。
この地域の歴史を学んでらっしゃらない方にとっては、「なんで、
そこまでロシアのエージェントがウクライナに深く入り込んで
いたんだ??」と不思議かも。この2国、1991年12月の話し合いで
旧ソヴィエト連邦が解体・終了したときに、それぞれ独立したものです。
1991年11月までは、この2国は同じ 「ソヴィエト社会主義共和国連邦」 を
構成していたわけです。(つまり、チョルノービ原発の大事故が
発生した1986年4月の時点では、この2国はまだ1つの共和国連邦を
構成していました)
仮に、東京圏と大阪圏がそれぞれ独立国になったと仮定してみてください。
独立後も、大阪に東京国民が、東京に大阪国民が、それぞれ多数いることは、
容易に想像できるでしょ? 当然、お互いに相手国内にスパイ網を形成
しやすいですよね。
そもそも、世界的に見て主要国間でスパイ活動は昔から広く繰り広げられて
きておりますし。 マンハッタン計画にもソヴィエトのスパイが潜入しており、
そこから情報が盗み出されてソヴィエトが核兵器を開発・製造するに至った
ことは、有名です。たとえば、
Spies of The Manhattan Project. How Soviet spies stole the secrets of… | by Bryan Finck | History of Yesterday を参照>
記者: MARI SAITO(キーフ)、MARIA TSVETKOVA(パリ)
2022年7月28日
ロシアからの侵略部隊の先頭装甲車両がチョルノービ中心部に到達したとき、
この悪名高き原発の防衛に当たるウクライナの部隊と直面した。
それから2時間、戦闘はなかった。ウクライナ国家親衛隊の169名からなる
部隊は、武器を置いたのだ。
ロシア軍は、チョルノービを掌中に収めた。そこには何トンもの核物質が
あり、またキーフに進軍するうえでの重要な集結地点でもある。
この、世界史上最悪の核発電災害の現場であるチョルノービの陥落は、
今回の5か月になる戦争での異常な事態として目立っている。その他の
地域での戦闘では、ロシア軍部隊が残忍非道に進軍、その電撃作戦を
ウクライナ軍がしぶとく食い止めているのだが。
今回のロイターによる調査の結果、チョルノービでのロシア軍の楽勝は
決して偶然の産物ではないことが判明した。ウクライナ国内に秘密の
エージェントを深く潜入させておくという、ロシア政府の長期的作戦が
成功したのだった。
ロシア政府の今回の戦争への準備のことを良く知る5名の人物によれば、
ヴラディミール プーティン大統領の側近にいる戦争計画立案者たちは、
こうした秘密のエージェントたちの協力により、大した戦力を必要と
せずにロシアは数日でウクライナのヴォロディミル ゼレンスキー政権を
解体、国外逃亡ないしは捕虜にできると考えていたようだ。
<今回の調査では> ロシアならびにウクライナの高官数十名を
インタビューするとともに、チョルノービで勤務していた人々の行動に
関する調査に関連したウクライナの法廷文書や調査官に対する供述
内容を調べた。その結果ロイターは、このロシアによる秘密
エージェントの潜入が、それまで一般に認められていたよりもはるかに
深いものであったことを突き止めた。インタビューした高官たちとしては、
ロシア軍による侵略計画についてのブリーフィングを受けていた
在ロシアの役人、またスパイの追跡を任務とするウクライナの調査官の
両方を含んでいる。
「国外からの敵に加え、困ったことに国内にも敵がいた。しかも、
この内部の敵の危険性は、国外の敵に劣るものではない」 と語るのは、
ウクライナ国家安全保障・国防会議長官のOlexsiy Danilovだ。
Danilovによれば、侵略開始の時点でウクライナの国防や安全保障、
法執行関連諸機関にはロシアのエージェントが入り込んでいた。Danilovは
そうしたエージェントたちの氏名を挙げることは拒否したが、そうした
<ウクライナにとっての> 裏切者たちをどのような代価を払ってでも
「無毒化」 せねばならないと述べた。
ウクライナの国家調査局では、<チョルノービの> 国家親衛隊が敵軍に
武器を差し出して降伏したのは、規則に違反するのか否かという調査を
行っていると、地元の役人がロイターに述べた。調査局は、この件に
ついてはコメントを拒否している。国家親衛隊はチョルノービでの現場
ユニットの行動を擁護しており、その理由としては原発で戦闘を行う
ことのリスクを挙げている。
本記事で初めて公開される法廷文書や証言からは、チョルノービの安全
保障担当ヘッドValentin Viter が演じた役割が判明する。Viterは目下、
拘留中で <チョルノービが攻撃された際に> 職務を離れていた件に
ついて取り調べを受けている。公判前取り調べの国家登録局による記録を
ロイターは確認したが、その抜粋によればViterはさらに国家反逆罪の
容疑も抱えており、彼の弁護士たちはこれは根拠のない容疑だと言っている。
調査官たちへの言明においてViterは、チョルノービへの侵略当日、
彼は国家親衛隊の司令官と電話で話したという。Viterはこの司令官に対し、
部隊を危険に曝さないよう 「兵員の安全を守れ」 助言したそうだ。
ロシア政府の侵略計画を直接に知っていた、ある情報筋がロイターに
述べたところによれば、チョルノービには既に昨年、ロシアの
エージェントが入り込み、関連する役人たちに賄賂を握らせ、
同原発を無欠で選挙できるよう地ならしをしたそうだ。この主張の
詳細をロイターは独自に確認することはできなかった。だが
ウクライナの国家調査局によれば、同局では以前の諜報部員
Andriy Naumov に対し、国家反逆罪の嫌疑による取り調べを
行っているそうだ。チョルノービのセキュリティに関する機密
情報を外国に知らせた、という嫌疑である。 Naumov の担当
弁護士は、コメントを拒否している。
国家レベルでは、クレムリンの侵略計画に詳しいいくつかの
情報筋によれば、ロシア政府はウクライナのセキュリティ関連
機関に潜伏しているエージェントたちの活用を目論んでいた。
ロシア政府はホテル経営者のOleg Tsaryovを、キーフ
<にロシアが作り上げることを目論んでいた> 傀儡政権のリーダーに
仕立てようともくろんでいたようで、西側の諜報機関による
報告はそのように述べており、上述の情報筋もそれを確認している。
さらにウクライナの前検事総長が6月にロイターに述べたところでは、
プーティンの友人でもあるウクライナの政治家Viktor Medvedchukは
暗号通信用の電話を保持しており、これはロシアが渡したもので、
ロシア政府とのやり取りのための電話だという。
Tsaryov はロイターに対し、 ロシア政府の工作全体がどのように
展開したのかを説明してくれたが、「現実とはほぼ無関係な
ところで行われた」としていた。Tsaryovは、自分がロシア政府と
どう関係しているのかについては、触れなかった。Medvedchuk の
担当弁護士は、コメントを拒否した。Medvedchuk はウクライナの
刑務所におり、ロシアによる侵略開始以前の時点での国家反逆罪の
容疑による裁判を待機中だ。
ロシアはチョルノービを手に入れたものの、キーフを掌中に収めるという
計画は失敗した。ロシアとウクライナの複数の情報筋によれば、
多くの場合、ロシア政府が仕込んだ潜伏エージェントは任務を
果たせなかった。ウクライナ国家安全保障会議のDanilov長官に
よれば、潜伏エージェントもその指導役もウクライナは弱体国家だと
考えていたが、これは「まったくの事実誤認」であった。
ロシア政府がエージェントとしてウクライナに擁していた人物たちは、
今回の侵略が始まるまでの間、自分たちの影響力を過信していたようだと、
ロシア側の侵略準備を知る4つの情報筋は述べている。ロシア政府の
計画は、「道化師たちを頼りにしていた。この道化師たちには多少の
知識はあったのだが、お偉いさんたちの聴きたがることしか言わ
なかった。そうでないと、報酬が得られないのだ」 そう
述べたのは、その4つの情報筋の1つだ。ウクライナ東部の
親ロシア分離派の指導層である。
今ではプーティンは長期にわたる全面戦争にはまり込んでおり、
わずかな領土を得ようとして巨大な代価を支払っている。
ただし、ロシアの諜報活動は1点では成功していた。ウクライナ
国内に不信を募らせ、ほぼ3万人を擁するウクライナ保安庁(SBU)の
欠点を暴き出したのだ。SBUのロシアとの関係の歴史は入り組んだ
もので、現在では裏切者や共謀者たちの逮捕に努めている。
このウクライナ国内での矛盾が垣間見られたのが、7月17日の
ゼレンスキー大統領による国民へのヴィデオ演説だった。
長年の知人であるSBUヘッドのIvan Bakanov を停職処分にしたのだ。
SBUのスタッフ大勢に反逆の容疑が持たれている、というのが
その理由だ。ウクライナの法執行機関がロイターに述べた
ところでは、一部のSBUスタッフはロシアの侵略開始後に
Bakanovに連絡を取ろうとしたが数日間連絡不通であったと、
質疑応答で回想していた。キーフでの当時の混沌状況が窺える。
Bakanovはロイターからのコメント要請にも応えていない。
さらにZelenskiy によると、ウクライナの法執行や検察庁の
関係者たちの関係で、国家反逆や共謀の容疑での訴訟が651件
発生しているそうだ。ロシア軍に占拠されている地域内では、
SBUと検察本庁の役人60名以上が、ウクライナに反する行動に
出ていると、ゼレンスキーは述べている。
ロイターでは今回の調査結果に関して、ウクライナの大統領府、
SBU、検察本庁にコメントを求めたが、回答はない。<ロシアの>
クレムリンのスポークスマンDmitry Peskov は、「こうした質問の
いずれも、我々には何ら関係しない。したがって、何もコメント
することはない」 と述べた。ロシアの諜報機関であるFSBと
国防省とは、ロイターからの質問に答えていない。
KGBとのつながり
ロシア政府のスパイ組織には、何十年も前からチョルノービと
絡み合っている。1986年の原発災害では、原子炉が爆発して
全ヨーロッパに放射性物質をばらまいた。この際、旧ソヴィエトの
KGBが関与を始めた。ウクライナ政府の大臣に宛てた1991年の
内部メモが公開されたが、それによればこの大災害の後始末には
KGBのスタッフが1,000名以上参加していた。当時のKGBのトップで
あったViktor ChebrikovはKGB職員たちに対し、同原発のスタッフの
中からエージェントをリクルートせよと命じている。さらに別の
メモによれば、同原発のセキュリティ担当のナンバートゥーに
KGB職員を任命せよと指示していた。こちらのメモは、
KGB内部の連絡メモで、1986年のものだ。
1991年にウクライナが独立した後も、ロシアのスパイ チーフたちは
ウクライナ国内で権力を保持し続けた。ウクライナの国内諜報
サービス機関の初代ヘッドはNikolai Golushkoであったが、彼の
キャリアは旧ソヴィエト ロシアで始まった。ウクライナの諜報機関を
指揮する以前には、旧ソヴィエトKGBのウクライナ支部を
率いていた。Golushkoの指揮の下で、ソヴィエト時代の
KGB職員の大半はそのまま同じ職位にとどまったと、Golushkoは
2012年の回想録に記している。
ウクライナでのスパイたちのチーフとして4か月勤務した後、
Golushko はモスクワに戻りKGB本部に再び勤務した。1993年には
ロシアで新たに創設された 連邦対諜報サービスのヘッドに
就任した。これは、現在のFSB <ロシア連邦保安庁> の前身だ。
モスクワでGolushkoは当時のウクライナ国家安全保障サービスの
副ヘッドからの訪問を受けたと、Golushkoは回想録に記している。
彼の記録によると、ウクライナの副ヘッドであったOleg Pugachは、
ウクライナの諜報員たちのユニフォームを制作する際、その布地を
探すのにGolushkoの助けを求めている。さらにGolushko が記して
いるところによれば、ウクライナには独自のリソースや専門技術が
なかったため、SBUはロシア政府と諜報情報を共有することに
同意した。ロシアが、調査のための必要物や技術、専門家による
支援を提供した。ロイターではGolushkoにコメントを求めた。
諜報局の退職局員たちのグループがあり、その同僚がロイターに
述べたところでは、現在85歳になるGolushkoは健康がすぐれず、
質問に答えられないとのことであった。ロイターではPugachに
連絡を取ることができず、Golushkoの供述を独自に確認することは
できなかった。
チョルノービに勤務する諜報員たちが正式にウクライナの
セキュリティ機関の一部となったのは、1991年のことだった。
だがその後も引き続きモスクワからの指示を受けていたと、
今回の侵略のことを直接に知っていた某人物は語っている。
「まだこの諜報局員たちは、実質的には <ロシアの諜報機関の>
FSBの職員だった」 チョルノービやロシア諜報機関との歴史的
関係についてSBUに尋ねたが、回答はなかった。
チョルノービお原発は、広大な施設だ。1986年の大災害の爆心地で
あった第4号基は、巨大な鋼鉄製の構造物の中に納まっている。
ベラルーシとの国境からは、最近で10㎞しか離れていない。
放射線の高いうっそうとした森の中で、ロシアの作戦立案者たちは
チョルノービを占拠することが戦略的に重要だと思索していた。
これは、西側の軍事アナリストたちによれば、ロシア軍がキーフに
向かううえでの最短距離に、チョルノービがあるためだ。
今回の侵略計画を直接に知る情報筋によれば、2021年11月に
ロシアは秘密諜報エージェントのウクライナへの配備を開始、
そうしたエージェントたちの任務は、チョルノービ原発を占拠する
任務を負った職員たちとの連絡を確立することであった。
その目的とは、ロシア軍部隊が侵略してきたとき、武力による
抵抗がなされないようにすることであった。この情報筋によれば、
チョルノービはさらに、SBU本部からの文書を渡す地点にも
なっていた。報酬を受け取る代わりに、ウクライナの職員たちは
ウクライナ軍の現状に関する情報をロシアのスパイたちに
渡していたのだ。
この情報筋からの情報詳細を、ロイターでは独自に確認することは
できなかった。ウクライナの国家調査局もSBUも、ロイターからの
質問には回答していない。だがウクライナ側の証言や法廷文書、
地域役人とのインタビューからは、チョルノービで勤務していた
人員の行動に関して、ウクライナ政府が少なくても3件の調査を
実施していることが分かる。調査の結果、ロシアのエージェントに
情報を提供したり、あるいは同原発の奪取に協力したウクライナ側の
人物が最低でもいることが判明したと、こうした文書にはある。
(Viter の写真)
VALENTIN VITER
チョルノービのセキュリティ担当ヘッド
(写真への説明)
Viterは、職務放棄の容疑でウクライナにて拘留中である。ロイターが
確認した法的記録によれば、法施行機関はViterへの2度目の調査を開始して
おり、今回は国家反逆の容疑だ。Viterの弁護士は、この容疑を否定している。
ウクライナの検察と調査局が、ロシア軍部隊に協力したとの容疑を
向けている人物の一人が、Valentin Viterである。47歳の、SBUの大佐だ。
ロシアによる侵略開始時点では、Viterは同原発の物理的な保護を担当する、
副総監督を務めていた。
2021年5月にViterは通常の訓練演習を監督していた。これは武装した
破壊工作員たちによる攻撃をシミュレートしたものであった。
国家親衛隊のチョルノービ防衛担当部隊の武装隊員が武力で武装攻撃を
退けるためのリハーサルを行っていた。チョルノーピ原発の
ウェブサイトでこの直後に公開されたヴィデオ インタビューを見ると、
Viter によればこの演習はうまくいった。さらにViterは、
チョルノービのセキュリティ チームが 「現実の状況の中で身につけた
知識やスキルを、実際に使用する必要が決してない」 ことを願っている、
とも語っていた。
Viter は2019年半ばにSBUからの配置転換で、チョルノービ原発の
セキュリティ担当チーフとして勤務するようになったと、本人が
調査官たちに述べている。そうした供述の中で、今年の2月18日、
つまりロシア軍の侵略が始まる6日前には、Viterは呼吸器系の問題で
病気休暇を取ったと語っている。
その時点までに、ロシアは侵略に備えてベラルーシにいた部隊を
強化していると、当時アメリカ高官たちは述べていた。アメリカの
衛星画像企業Maxarによる2月15日の画像によると、チョルノービの
北にあるベラルーシのプリピヤト川を渡る軍用舟橋が建設中である
様子が窺える。ウクライナの警察とSBUは、ロシアからの脅威に
対応して警戒度を高め、国家警察のヘッドはその時点での声明で、
チョルノービ原発のセキュリティを強化したと述べていた。
ロシアによる侵略が始まった2月24日の朝、Viterはキーフにある自宅に
いたと調査官たちへの供述で述べている。Viterはチョルノービの国家
親衛隊部隊長に電話をした。体調は、任務に就いていた。その時点までに
同原発の人員たちは、ロシアの装甲車の隊列が同原発めがけて
近づいていることに、気づいていた。
Viterがウクライナの調査官たちに対して話した証言によれば、
Viterは隊長に向かってロシア語で 「人員の安全確保を図れ」
と述べた。国家親衛隊に対しては、Viterには正規の権限は
ない。結局、隊長はロシア軍の侵略者たちと話し合ったうえで
降伏したのだが、それはViterの指示に従ってのことであったのか、
どうか。ロイターでは、それを確認できていない。国家親衛隊の
発表によれば、この部隊の隊長はYuriy Pindakであった。
選挙が36日続いたのち、ロシア兵たちはチョルノービを最終的に
去っていったが、その際にPindakとその舞台の大半を捕虜として
連行していった。ウクライナの主張では、これらの隊員たちは
ロシアあるいはベラルーシに拘留されているそうだ。この部隊の
消息については、ロシアの高官たちはコメントを拒否した。
ウクライナの国家調査局では、国家親衛隊が投降して法律に違反した
のかどうか調査を実施中だと、スラヴティッチ市のYuriy Fomichev
市長は言う。チョルノービの従業員たちの大半、同市に住んでいる。
Fomichevは、誰も追及を受けた人物を知らないという。この問題に
ついて、ロイターでは国家調査局に質問を投げかけたが、回答はない。
国家親衛隊は、チョルノービの防衛を任務とする部隊の隊員や
個々の隊長の行動に関しては、コメントを控えるとしている。
「ジュネーヴ条約により、核施設での戦闘は禁じられている」 と
したうえで、チョルノービ原発で大した戦闘がなかったのは、それが
「理由の1つだ」 としている。調査に関する質問はすべて、調査局に
お願いする、としている。
ジュネーヴ条約の追加議定第56条には、原発やその他危険な施設には、
攻撃を加えてはならないとある。
Viter はウクライナ西部で逮捕され、現在裁判に備えて同地で拘留中で
ある。職務放棄の容疑だ。その法定記録をロイターは確認したが、
法執行機関ではViterを別の容疑でも取り調べている。「侵略国家つまり
ロシア連邦がウクライナに対し錯誤した行為を行う上で、その侵略国の
軍部隊を意図的に援護した」 ことによる国家反逆の容疑である。
当局はまだ、Viterとロシアの特殊活動局の間のつながりを示す証拠を
発見していない。
法廷供述でViter は、チョルノービ原発が制圧されてから2日後に家族の
安全のためにきーふを離れたが、同原発の同僚たちとの連絡は取ろうと
努めていた、と述べている。
Viterの弁護士Oleksandr KovalenkoによればViterが職場に否かった理由は
正当なものであり、 チョルノービにいるべきだったという必要性を
していなかった、という。この弁護士によれば、どのような反逆罪の
容疑も根拠がなく、まだ彼に対しては容疑書が出されていない。
追及が始まる前に通常は、この書類が提出されるのだ。同じくこの
弁護士によれば、Viterが 「人員の安全確保を図れ」 と述べたのは、
国家親衛隊の体調の両肩には、多数の人命がかかっているのだという
ことを思い起こさせるためだった。Kovalenkoによると、 Viterは
降伏するかどうかを話してはいなかった。さらにこの弁護士によれば、
調査官たちはまだViterに、チョルノービでのいかなる文書のやり取りに
ついても質問をしていない、
キャッシュとエメラルド
ロシアがチョルノービの奥深くまで潜入していたことを受け、
ウクライナ当局の関心はViterが勤務していた機関であるSBUに
向かったと、情報筋は述べている。特にViterのケースを担当している
軍部検察官たちは、彼のAndriy Naumovという元ウクライナ官僚との
関係に注目していると、本件の取り調べのことを知る情報筋は
語っている。この情報筋は、ロイターも確認したViterとの質疑の
やり取りの記録の内容をも知っている。
(NAUMOVの写真)
元諜報機関のトップ
(写真の説明)
Naumovは、ロシアによる侵略が始まる前に姿をくらました。
6月にセルビアで発見され、その時乗っていた自動車はキャッシュと
エメラルドで満杯だったと、警察の声明にはある。ウクライナの
国家調査局は、国家反逆罪の容疑でNaumovの裁判前の取り調べを
実施中だと述べている。Naumovの弁護士は、コメントを拒否している。
Naumovは元はウクライナの検察当局に勤務していた官僚で、
2018年までにはCOTIZのヘッドに任命された。COTIZとは、
チョルノービ周辺の放射線避難地域の土地管理を担当する国営企業だ。
COTIZの主な任務の1つとして、避難地域内のツアーという
「エクストリーム ツーリズム」の促進があったが、チョルノービ地域の
セキュリティ確保も任務の1つであると、同社のウェブサイトにはある。
チョルノービでの任期を終えたNaumovは、SBUの国内セキュリティ部門の
ヘッドに就任した。この部門は、他の政府機関の職員に対する犯罪活動
容疑の調査を任務とする。この部門は昨年、SBUの職員たちによる
Naumov殺害を未遂で終わらせたという。その後Naumovはこの部署の
ヘッドを解任されたと、ウクライナのメディアであるUkrainska Pravda や
法執行関連の情報筋は語っている。
今回の侵略が始まる少し前にNaumov は姿を消したと、法執行関連の
ある人物は述べている。その次に彼が発見されたのは、6月にセルビアでの
ことだった。6月8日付のセルビアの警察からの発表によると、同警察と
汚職防止機関とがウクライナ国民を逮捕したが、その氏名のイニシャルは
”A N” であるという。場所、セルビアと北マケドニアの国境地帯だ。
Naumovは、セルビアから北マケドニアへと国境を越えようとしていた
ところであった。彼が乗っていたBMWを捜索したところ、キャッシュで
124,924ドルと607,990ユーロ、さらにエメラルド2個が発見されたそうだ。
その逮捕された人物と氏名非公開のBMW運転手とはともに拘留されたが、
上述のキャッシュとエメラルドのランドリーをやろうとしていた容疑で
ある。警察は、このキャッシュと宝石とは犯罪行為で手に入れたものだと
みている。在セルビアのウクライナ大使Volodymyr Tolkachは、この
逮捕された人物がNaumovであることを公に確認している。
あの国境を越えれば ~~
私の20分クロッキーより
ある地方メディアの報道によれば、ウクライナの国家調査局では
国家反逆罪の容疑で公判に先立つ取り調べをNaumovに対して
行うそうで、この調査局もこれを確認している。彼が
チョルノービ原発そしてSBUで勤務中に同原発での
セキュリティ配置に関する情報を収集したのかどうか、
それを外国に手渡したのか否かを調査中だという。この声明からは、
機密情報の漏洩やロシアとのつながりを示す証拠として何が
あるのかは不明である。
3月 31日、ゼレンスキー大統領は大統領令を発令、
Naumovの准将という階級をはく奪した。その同日、同大統領は
感情を出した演説を行い、Naumovとさらにもう一人のSBUの将軍とが
祖国を 「裏切り」、ウクライナに対する忠誠の誓いを破ったと述べた。
この際、ゼレンスキーはチョルノービについては言及しなかった。
Naumov は今もセルビアで拘留中であり、コメントを求めることは
できなかった。セルビアでの彼の弁護士であるViktor Gostiljacも、
コメントを拒否している。SBUも、Naumovに関する質問には返答
していない。
降伏せず
ロシアの戦争作戦立案者たちにとっては、チョルノービ制圧は
大きな目的実現のためのステップの1つに過ぎなかった。つまり、
キーフに首都を置くウクライナの国家政府を制圧することであった。
キーフでも、権力の中枢に配置した秘密のエージェントたちが重要な
任務を果たしてくれるものとロシア政府は期待していたと、
この計画のことを知る情報筋は述べている。
ウクライナの検事総長を2016年から19年まで務めたYuriy Lutsenkoが
ロイターに述べたところでは、彼がその職務を退任した時点で、
国防省の職員 「数百名」 が監視対象になっており、それを省も
認めていた。こうした職員たちには、ロシア国家政府とのつながりが
疑われたからだ。Lutsenkoは、他の小児も同程度の人数のスパイ
容疑者がいたと語っている。
ロシアの作戦立案者たちはその他にも協力者を当てにしており、
ウクライナを乗っ取ることができるものと考えていたと、
情報筋は述べている。
VICTOR MEDVEDCHUK
(MEDVEDCHUKの写真)
ウクライナの反体制派基盤 FOR LIFE党の指導者
(写真の説明)
Medvedchukが国家反逆罪の容疑を受けたのは、2021年5月11日の
ことであった。その当時、SBUの調査官たちによれば、Medvedchukは
ウクライナ軍の部隊に関する機密情報を ロシアの政府職員たちに
漏洩していた。Medvedchukは、この容疑を否認している。
最も目に見えた親ロシア分子の一人がViktor Medvedchukであった。
彼はウクライナの反政府勢力の基盤であったFor Life党の指導者だった。
実際、Medvedchukの子供の一人の名付け親(洗礼父)を、プーティンが
務めているくらいだ。2014年以来、Medvedchukはウクライナ国内で
EUとの結びつきを強めようとする民衆の政治活動に対し、目立つ
反対者となっている。
Medvedchuk が国家反逆の容疑を受けたのは、2021年5月11日のことで
あった。当時のSBUの調査官たちは、Medvedchukがウクライナ軍部隊の
機密情報をロシアの政府職員に漏洩し、さらにウクライナのエージェントを
リクルートし、ひそかにウクライナの政治を左右しようとしていたのでは、
との容疑をかけていた。侵略開始の前日、Medvedchuk はキーフにあった
自宅を離れて国外脱出を試みていた。これは彼の保釈条件への違反だと
SBUは述べている。
Medvedchukが拘留されたのは4月12日のことだった。ゼレンスキーは
同日、この拘留のことを公表した。大統領は直ちに、手錠をかけられた
Medvedchukの写真を公開した。ウクライナ軍の軍服を身にまとい 疲労
しきった姿であった。Medvedchuk はそれ以来今まで拘留中である。
Medvedchuk は反逆の容疑を否定しており、捏造であり自分を貶めようと
する政治的策略の一環だと主張している。ロシア政府のスポークスマン
Peskov が4月13日に記者団に述べたところでは、Medvedchukはロシアの
指導層との隠れたやり取りは全く行っていないという。
ウクライナの元検事総長Lutsenkoがロイターに述べたところでは、
ロシアによる侵略の開始以前にMedvedchukは暗号化された電話を
使っていた。これはロシア政府が支給したもので、これを使用できるのは
ロシア交換の中でもトップ クラスの人たち、そして 親ロシアの分離主義
集団のリーダーたちだけだという。Lutsenkoによると、ウクライナの
調査官たちはこの暗号化電話システムのハッキングに成功したが、その
成果となる発見内容は公開されていない。
Medvedchukの弁護士Tetyana Zhukovskaは、このケースでの判決を
法廷が下すまでは、コメントはできないとしている。ウクライナの検察局も、
コメントを拒否している。
OLEG TSARYOV
(TSARYOVの写真)
ホテル経営者
(写真の説明)
2月24日早く、Tsaryovはソーシャル メディア(SNS)で、自分が
キーフの政府の支配下にある地域に入ったと発表した。「キーフは、
ファシストの支配から解放される」 ロシアの計画に通じた3種類の
情報筋によれば、ロシア政府はTsaryovを、<ロシアによるウクライナ
政権の転覆後の> 一時的傀儡政権の指導者として選んでいた。ただし
Tsaryovが言うには、このロシアの戦略全体に関するロイターの説明は、
「現実とほとんどかみ合っていない」。
ロシアの計画に通じた3種類の情報筋によると、もう一人の主要人物が
Oleg Tsaryovだ。四角い顎をした52歳になる男性で、以前はウクライナ
議会の議員であった。こうした情報筋によれば、ロシア政府の侵略計画
立案者たちはTsaryovを、<ロシアによるウクライナ政権の転覆後の>
一時的傀儡政権の指導者として選んでいた。今年早くThe Financial Timesが
報じたように、アメリカの諜報機関はロシア政府がTsaryov を<侵略後の>
キーフの傀儡政権で指導的立場に就任させようとしていたと見ていた
のだが、この見方をロシア内部から確認できたのは、これが初めてである。
Tsaryov は2014年以来、ウクライナとアメリカの両国から個人制裁の
対象とされている。この年、彼はウクライナ大統領選に出馬しようと
したが失敗、「Novorossiya」 つまり 「新ロシア」 という団体を
立ち上げ指揮した。この団体は、ウクライナ南東部をロシア支配下の
新たな独立国家に作り替えることを願っていた。今年初めまでに、
Tsaryovはロシアが占拠中のクリミアにおり、そこで2つのホテルの
オーナーをしていた。
今回の侵略が始まった2月24日早朝、TsaryovはTelegram <という
ソーシャル メディア> の20万人以上の フォロワーに対して、自分が
ウクライナ政府の支配する地域に移ったと投稿していた。「自分は今、
ウクライナにいる。キーフはファシストの支配から解放される」
だがゼレンスキーは降伏しなかった。モスクワでは、ゼレンスキーが
キーフから逃げ去るか、交渉に応じてロシアからの要求に譲歩する
ものと見ていたのだが、現実はそうはならなかった。ロシア軍は
キーフをめがけて進行したが、ウクライナ軍はそれを阻止した。
Tsaryov も、キーフに到着することはなかった。6月10日、彼は
Telegramでの自分のフォロワーたちに対して広告を発し、クリミアに
ある自分のシーサイドのホテルを宣伝した。1番の宿泊で、
一人1,500ルーブル(28米ドル)かかる。Tsaryov杯までは主に
クリミアにおり、時折モスクワを訪ねていると、彼自身のソーシャル
メディア <SNS> での投稿からは分かる。
妄想と不信
だがウクライナ国内にエージェント網を張り巡らせようとするロシアの
作戦は、ウクライナ国内のあるレベルでは確かに嫌疑や不信を作り出し、
特に今回の侵略の最初の数日間には、ウクライナの統治力を弱めた。
キーフの権力構造の内部での緊張感を高めた、荒涼たる実例として、
今年3月初旬のDenys Kirieievの死亡があった。いくつかの情報筋に
よれば、彼は元、銀行のエグゼクティブであった。2月28日に始まり
短命に終わったウクライナとベラルーシ間の国境に関するロシア
交渉担当官との会談では、彼はウクライナ代表団の一員であった。
ある写真を見ると、交渉のテーブルでウクライナ代表団の中に
Kirieiev が座している。
ゼレンスキー政権の顧問の一人がオンラインのインタビューで
述べたところでは、SBUの職員たちがKirieievをロシアのスパイと
して逮捕しようとした際に、彼を射殺したそうである。
だがウクライナ軍の諜報機関によれば、Kirieievは同機関の諜報
担当職員であり、ウクライナを守るためのある特殊な任務の
遂行中に英雄として死亡した。ウクライナ軍に近い情報筋が
ロイターに述べたところでは、Kirieievは実はウクライナのスパイと
して働いていた。ロシアのトップ指導層とも接触でき、ロシアに
よる侵略やその他の問題に関する重要な情報をキーフにもたらして
いたと、この情報筋は述べている。
IVAN BAKANOV
(BAKANOVの写真)
ウクライナの安全保障サービスの元ヘッド
7月17日、ゼレンスキー大統領はヴィデオ演説で、Bakanovの職権を
一時停止した。大統領とBakanovは、長年の友人であった。SBU職員の
中に、国家反逆の容疑がかけられたものが大量にいることが、職務停止の
理由であった。ロイターからの質問に、Bakarovは回答していない。
今回の戦争の初期段階における混とんとした状況の中で、当時SBUを
率いていたBakanovは少なくても3日間、ロシア軍の侵略開始後に
キーフを離れていたと、ウクライナの法執行機関の職員3名が述べて
いる。その3名のうち2名によれば、SBUのスタッフ数名の記憶として、
ロシアの侵略が始まってから数日間、Bakanovと連絡が取れなかった
という。7月17日にBakanovを停職処分にした際、ゼレンスキーは
ウクライナ陸軍の放棄を引用していた。それによれば、陸軍軍人が
不適切な行動により人命の喪失やその危険性を招いた場合には、
解雇しうる、とある。
Bakanov と SBU は、ロイターからの質問には回答していない。
ゼレンスキーは演説で、侵略に苦しむウクライナがロシアからの
スパイ侵入に悩まされたことを強調していた。母国を裏切ったとの
非難を受けている職員が多数いると述べた。
「国のセキュリティの根底を脅かす一連のこうした犯罪行為のため ・・・
関連する指導者たちには真剣な疑いの眼が向けられている」 と、
ゼレンスキーは述べている。
「こうした疑問それぞれに対し、しかるべき回答が得られるはずだ」
ウクライナ東部での裏切り者追及が進むなか、不安と疑い
Mari Saito記者、ウクライナのKutuzivka <ハルキウの東近郊>
ウクライナは裏切り者たちを追い求めているが、首都を遠く離れた
東部ではロシアのスパイの浸透の深さに対する不安が広がっている。
ここウクライナ東部では、妄想的な不安が特に深くはびこっている。
地元の住民たちによる国家反逆行為の嫌疑のため、Kutuzivkaのような
ロシアに占領されていた村落が分裂に陥っている。ハルキウの東にある、
もともとは眠気を催すほど穏やかな集落であった。今では、最近まで
ここを占拠していたロシアの存在を示す兆候がいたる場所で見られる。
今年5月終わりにロイターの記者たちがこの集落を訪れた時点では、
北側からロシア軍の砲撃がほとんどひっきりなしに行われており、
ウクライナ軍がそれに反撃する騒音が頭上で響き渡っていた。壊れた
窓ガラスの向こうから、野良犬の吠える声が聞こえた。
3月初旬にロシア軍部隊がKutuzivkaに到着したとき、傀儡の自治体を
急いで設定した。
この村で農場を所有している55歳になるNataliia Kyrychenkoは、
ロシア軍部隊が自宅のドアをノックしたとき、隣人数名と一緒に
自宅に隠れていた。村人たちによれば、ロシアの指揮官がKyrychenkoと
隣人たちを道路に連れ出し、これからは地元のNadiia Antonovaという
女性が新たにこの村の指導者になると話した。
Kyrychenko によると、義理の息子に関してロシア部隊から2日間に
わたる尋問を受けたそうだ。義理の息子は、ウクライナの法執行機関に
勤務していた。Kyrychenkoがロイターに述べたところでは、ロシアの
兵士たちは Antonovaが兵士たちに義理の息子のことで情報を知らせた
そうだ。また、Kyrychenkoはウクライナ軍のためのスパイ摘発に
携わっており、ロシアの兵士たちの動きを追跡する任務を引き受けて
いたと、兵士たちから罵倒された。
「ロシア軍の兵士たちが私を連れ出した時には、正直なところ、生きて
帰ってこれるとは思えなかった。同じ村の誰かが、自分をロシア軍に
引き渡したのだが、信じられなかった」 と、Kyrychenkoは述べている。
Kyrychenko は結局、釈放された。クレムリンのロシア高官たちは、
彼女のケースに関するロイターからの質問には、回答していない。
4月下旬、ウクライナ軍はロシア軍を押し返すことに成功、
Kutuzivkaを解放した。Antonova は直ちに拘留され、ロシア軍兵士に
協力したのではという容疑で犯罪調査を受けた。有罪が確定した場合、
彼女は10年を超える懲役刑に服すことになる。彼女の弁護士は、
ロイターからの質問には回答していない。
今月行った演説でヴォロディミル ゼレンスキー大統領は、ロシアの
スパイ網の浸透がウクライナにどれだけの被害を及ぼしたかについて
述べた。彼が特に強調した最高レベルの反逆行為以外にも、グレイ
ゾーンのケースが多数ある。そうしたケースの例としては、ソーシャル
メディア <SNS> でロシアよりの投稿をした者たちから、選挙中の
ロシア軍に何らかの形で協力した者たちまで、多様なケースがある。
「市民の皆さんが、警察への通報や破壊工作車に関する警報など、
大変大きな役割を演じてくれた」 と語るのは、ウクライナ内務省の
第1次官Yevhen Yeninだ。国家警察を監督する立場にある。
ウクライナ セキュリティ サービス (SBU) は確かに、公式にはこうした
ケースの調査を担当しているのだが、情報収集実務の多くは警察が
担当していると、Yeninは述べている。
内務省によれば、国家警察は現時点までに1,000名を超える人物を
拘留しており、ロシア当局のための破壊工作や偵察活動の容疑だ。
ロシアとの国境から40㎞ほど離れたカルキフでは、この5月下旬に
夜間外出禁止が始まる10時になると、4名の警官が夜間パトロールを
開始していた。AK小銃をこれ見よがしに持ち、防弾チョッキを身に
まとった警官たちは、カルキフの暗くなった通りを歩き疑わしい人間が
いないか探していた。
「誰かに立ち止まるよう求める場合には必ず、その居住地や身柄、
ウクライナ語を話すか否かを確認している」 と語るのはTymur
<という警官> だ。ラスト ネームは、名乗ってくれていない。
空襲警報のサイレンが頭上に響き渡ると、彼らの警察車両は速度を上げた。
警官たちは地下鉄の駅に逃れた。15分後再び地上に現れ、夜明けまで
人気のない通りのパトロールを続けた。
<上述の> Antonovaのケースは、ロシアで衆目を集めている。ロシアの
国営テレビのRTの編集長Margarita Simonyanがテレビで語ったところでは、
<上述のKutuzivka でロシアにより市長に任命されていた> Antonovaは
ロシアの工作に協力し、現在は不当な処罰を受けているという。
「救済できる人たちを救い、報酬を与えるべき人には払うことが必要だ」 と
Simonyanは述べている。
こうしたケースの複雑性を示す例として、が糾弾されているのは不当だと
主張する村人たちもいる。彼らによれば、Antonova は村人の食料を確保し、
ロシア軍による選挙の間には村人がロシア軍から不当な扱いを受けないよう
配慮していたそうだ。
「ロシア軍が彼女の背中に銃口を突き付けていた状態で、協力などと
呼べるのか?」 と、住民の一人がある幼稚園の外で叫んだ。そこには
今も、12名の村人が隠れ住んでいる。
だが地域の検察長官Oleksandr Filchakovによれば、Antonovaが
ロシアに情報を流していたことを示す証拠を、調査官たちはつかんで
いるそうだ。この情報漏洩のため、ウクライナ人の死を招いた。
Filchakovは、一部の村人たちの同情のことは認識してはいるものの、
ウクライナ人は公正な裁きを必要としていると述べている。
Flichakovは言う。「Antonovaの責任は、追及しないわけにいかない」
***************
大変長いレポートでしたが、それをあえて紹介したのは、
原発のセキュリティ担当の職員たちをスパイ網が篭絡していた
⇒ チョルノービ原発を、侵略者ロシア軍は “無血開城” させてしまった
というパターンが、実際に発生したようだからですね。
このパターン、侵略者が国家の “正規軍” でなくても、テロリスト組織でも
起こりえます。(つーか、2022年8月時点でのロシア軍は、テロ組織と
呼んでも問題なさそうですよね)
で、たびたび報道されているように、柏崎刈羽原発 (発電容量で、
世界最大です)でのTEPCOの対テロ策は、問題だらけ。
自爆テロ組織が同原発を占拠したら、どう対処できるのでしょうか??
もちろん、自衛隊にはロケットもミサイルもあります。でも、
原発めがけて発射するわけには ・・・
警官や歩兵が強行突入するしかない ・・・ でも、自爆テロリストの場合、
外部電源供給の回路と非常用ディーゼル発電機そばで爆弾抱えた
自爆テロリストたちが構えていたら??
原発は、こうした 「対応不能な」 事態を招きかねない難物なのです。
(上の黒いメニューにある、ページ g-5) と g-6) も参照)
それと、どうも日本では昔から
右翼 = 原発推進 VS 左翼 = 原発反対
という単純化しすぎたステレオタイプがあるようです。
しかし、上述のような現実を考えるとき、「国防」 と原発は
相対立するのでは?
本当に “国を愛する” のなら、ステレオタイプに拘泥せず、
本当に “国のためになる” エネルギー源が何なのか、
考えるべきでは??