2023年2月
(French Nuclear Programの後半)
結局、当初はキュリー博士があれだけ平和
利用を訴えていかにもかかわらず、
結局は核兵器に ・・・ その悲しい経緯を
見てまいりましょう。
French Nuclear Program – Nuclear Museum
French Nuclear Program
の紹介を続けます。
いつもどおり、
私による抜粋・日本語化
< > 内は、私からの補足説明
です。
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軍事化: 1958-1966
1958年までに、フランス政府はForce
Nucléaire Stratégique (FNS) <戦略核兵器
軍備> にリソースをつぎ込むようになって
いた。これにはforce de frappeという別称
もあり、文字通りには 「攻撃力」 という意味
である。だが、フランスの原爆開発に関する
疑問があっても、それらはすべて第5
共和国 <1958年以前にはフランスは
“第4共和国” で、アルジェリアなどの
植民地を有していたのですが、植民地の
独立の波を受け、国家が揺らぎました。
そこで愛国主義的なド・ゴールが再登場、
国家体制を変革して第5共和国にしたわけ
です> の制定と愛国主義大統領シャルル
ド・ゴールの復帰の中、忘れ去られた。
英米のパートナーシップからフランスが
排除されていることに業を煮やしていた
ド・ゴールは、フランスをNATOから独立した
国家とし、その主な手段として核兵器を開発
しようとした。ド・ゴールの説明によれば、
「核兵器を保有していない大国は、他に
保有国がある限り、自分の運命を自分で
決められない」 (Pagedas 5)
1957年、フランスはアルジェリア <の中部>
にあるレガヌという町の近郊に核実験場を
設営した。これはサハラ砂漠の中にある
オアシスだ。フランスの行った最初の核
実験は Gerboise Bleue というコードネームで
青いトビネズミという意味だった。トビネズミ
とは、サハラ砂漠に生息するネズミの一種で
青はフランスの国旗から取った。この核実験は
1960年2月13日の午前7:04 に実施
された。高さ約100mの塔のてっぺんで
爆破させ、その爆発力はおよそ60-70キロ
トン。広島を破壊したLittle Boy の、約4倍
の威力だ。ド・ゴール大統領は 「フランスに
栄光あれ!この朝、フランスはよりたくましく、
誇り高き国となった」 と宣言した。実際に
原爆がフランス軍で使用できるようになった
のは、1964年のことだ。
フランスの公式報告書によると、「この核
爆発は低い高さで起こったため、土砂や水、
各種の破片類が ・・・ 鉛直方向の柱の
ようなものを形成しており、太陽と灼熱の
気体の玉のようなものとの間に形成されて
いた。この気体の球は雪のような外見をして
いた」 核実験が始まった直後、フランス軍は
急いでレガヌの周囲半径150㎞を 「汚染
地帯」 と指定した。フランス議会上院は 「これ
により、核実験近辺の一部地域がかなりの
放射性物質を浴びたことが確認できた」 と
述べている。さらに上院は、アルジェリアが
独立して以降は、核実験周辺地域での放射性
物質汚染に関しての情報を集めておらず、
サハラの風や自然な浸食活動のため、「今
となっては放射性物質の検査が現実的には
不可能である」 と発表した。Al Jazeeraに
よる2015年のある報道によれば、
フランスはサハラのどこかに核実験
以外の放射性物質を埋めたのだが、
やはり風のためもはや調査ができない
そうだ。
フランスはアルジェリアでの核実験を1966年
まで続けており、これはアルジェリアが独立
してから約4年間も続けたことになる。
レガヌではさらに大気圏内核実験が3回
実施され、アフリカの数か国で糾弾や抗議が
発生した。さらにアルジェリア南部にある
エケルという村の近辺では、地下核実験が
幾度も実施された。レガヌの核実験場は、
1967年1月15日までアルジェリアの
支配下に変換されなかった。<アルジェリア
の独立は1962年のこと> 1961 年と
1966年に、フランスは地下核実験を13回
実施している。
自国開発の核兵器の実験を終えたフランスは
米英の核兵器共有プログラムへの参加を
求めた。だがアメリカはあくまでNATOの
枠組み内でのみ核に関する機密情報を共有
するつもりだった。多国籍軍 (MLF)、NATO
の多国籍乗員が乗った弾道ミサイル軍用船
や潜水艦をアメリカは考えていたようだ。
ド・ゴールはこうした提案を、アメリカが
フランスの核兵器を政治的にコントロール
しようとする狙いだと拒絶、「重大な問題に
おいては、主権国家は単独で主権を行使
するものだ」 と断言した。(Pagedas 84)
このMLFは実を結ぶことなく、Tom Lehrer
というシンガーソングライターの 「The MLF
Lullaby」 (MLFの子守歌) という歌で
笑いものにされた。1966年3月にはついに
フランスはNATOのブリュッセルに本拠を
置く統合司令部からは脱退した。フランスが
正式に復帰したのは、2009年のことだ。
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ド・ゴールの宣言で明らかなように、核兵器を
持つことが 「大国の証明」 であると錯覚して
いた時代があったわけですね。実際は、
大量破壊兵器を持つなんてのは、生命に
対する冒とくでしかありませんよね。そして
核発電は、核兵器の隠れ蓑になってきました。
(その実例を、「やかんをのせたら~~」で
アレコレ紹介してきました)
要するにこれからは、「核兵器と核発電は、
国の恥」 という認識を世界で共有すべき
ですね。
では、次章へ。
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フランス領ポリネシアでの核実験:
1966-1996
1960年までにド・ゴール大統領は、フランスが
アルジェリアを失うことを見通していた。そこで、
ほかに適切な各事件の場所を探し始めた。
それから短期間で、核実験場の建設が南
太平洋で始まった。ムルロアのトゥアモトゥ
環礁とファンガタウファでのことだ。そこでの
最初の核実験は、1966年7月22日に
行われた。それ以降、フランスはフランス領
ポリネシアで、さらに192回もの核実験を
実施したのであった。
フランス政府はこれら諸島の先住民たちに対し
危険はないと約束していた。ムルロアの島々
は人口がまばらで、人口が多いタヒティからは
およそ1500kmも離れていたためだ。しかも
核実験を実施するのは人が住む島々から
離れる方向に風が吹いている時だけだと
保証していた。加えてフランス政府は、
適切な非難を実施し、安全のための指示も
配布すると確約していた。だが、結果としては
フランス領ポリネシアの全域に少なくても
ある程度の放射性物質が降り注ぐことになった
のだ。1974年のある核実験では、タヒティ島
だけでも許容される放射線被ばく量の500倍
もの被ばくをした。近年実施された医学調査
によれば、この島の住民にがんの発生が
増加したのは、核実験によるものだとの結論
が出た。
・・・・(この後、略)
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ほんとにもう ・・・
どうしても核実験をやらかしたいのなら、
他人様の住んでるところじゃなくて、
自国の本来の領土内で、核保有に賛同
している自国民ばかりが住んでいる地域
でやれよ! (できるのならば)
皆様もご存じのとおり、核実験や核攻撃
では、被爆した方々の健康被害が隠蔽
され、ごまかされてきました。
おかげでいまだに、放射線の健康影響
はある意味、百鬼夜行・複雑怪奇な
問題系になっちゃってますよね。
良心的な独立系放射線医学の専門家
の方々が、いずれ事実を明らかにして
くださることを祈っております!
では、次の章に。
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核実験の影響
フランスの核実験のため、健康に関する各種
の問題と環境汚染の両方が発生した。
International Physicians for the Prevention
of Nuclear War (IPPNW、核戦争防止国際
医師会議) では死の灰の影響を判定する
ための調査を実施した。 アルジェリアのベリル
での核実験が一例となる。この実験が行われ
たのは、1962年の5月1日のことだ。この
実験では、溶けた岩石やエアロゾル、気体
生成物が大気中に放出された際に、死の灰
が拡散した。フランス領ポリネシアでの核
実験では、雨に流されて死の灰が広がって
しまった。核爆発からの微粒子が、雨を形成
していたのだ。
フランスの医学研究機関Insermの結論に
よれば、核実験場から半径1,300km以内の
住民の間では、甲状腺がんの増大が見られた。
さらに核実験のため環礁海洋生物にも影響が
あり、生物多様性が減少し一部の鳥類や
爬虫類が見られなくなった。ムルロア環礁には
核ゴミが保管されていたのだが、1981年に
同地をサイクロンが襲った際、その核ゴミが
周囲の諸環礁に拡散してしまった。・・・
(中略) ・・・ 地下核実験の際には、地滑り
や津波、自身も発生した。
2008年には、フランスの退役軍人の協会
であるAvenが、核実験に関わった退役
軍人たちの調査を実施した。この調査の
結論として、調査対象となった退役軍人の
35%が何らかの種類のがんに罹患しており
1/5近くは妊娠させる能力がなかった。
核プロジェクトに携わった退役軍人の間では
白血病や心臓血管系の疾患が多数発生して
いた。彼らの子供たちや孫たちにも、同様の
健康問題が見られた。
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やっぱりね・・・ 核実験をやらかした諸国は、
押しなべてその被害についてはシカトしたの
ですが、フランスも例外ではありませんでした。
ひどい!!
“Behind the Masked Smile”
私の作品
では、最後の章へ。
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現在へ
現在フランスが保有している核兵器は、
使用可能な核弾頭数では、世界第3位だ。
およそ300個もの核弾頭を有している。
潜水艦発射弾道ミサイル (SLBM) や原爆を
運べる戦闘機などを配備している。2006年
にはシラク大統領が、テロとの戦いでフランス
は核兵器の使用を検討すると宣言している。
「フランスに対しテロを仕掛けてくる諸国の
指導者たち、大量虐殺の使用を考えている
指導者たちは ・・・ フランスからのそれに
匹敵する対応を受けるということを、わきまえ
ておくべきだ」 と断言した。2008年には、
ニコラス サルコジ大統領がフランスの保有
する核兵器数を最大でも核弾頭数で300個
までに削減すると発表した。彼の後継者
フランソワ オランデ大統領もこの立場を
維持した。
2009年にはフランス議会は、フランスの
核実験プログラムによる影響を認める法案を
通過させた。この法案では、退役軍人たちに
対するいくらかの補償を定めている。核実験
への関与のために健康上の問題を起こした
退役軍人たちに対するものだ。この法案で
定めた補償の総額は、1,000万ユーロで
あった。退役軍人たちによれば、この法案の
補償では不足であり、軍人と民間人の両方を
考えると核実験に参加した人数は15万人を
超えたからである。国防大臣のエルヴェ
モリンによれば、放射線が人体に及ぼす影響
を調べた実験に参加させられた兵士は、
100名ほどに達したことが確認されている。
モリンはこれが 「別時代の出来事であり」、
2010年の視点で歴史上の出来事を分析
すべきではないと語った。
フランス政府は、核事業は安全に実施された
という主張を変えていない。2010年には
Le Parisienというフランスの新聞が、軍部の
機密報告書をすっぱ抜いた。それによれば、
放射線の人間に対する影響を調べるための
「戦術的実験」 に、フランスの兵士たちが利用
されていた、というものだ。そうした実験の1つ
が1961年に実施されたもので、核爆発の現場
近くで軍部の人員が作業を行っており、しかも
核爆発の直後のことであった。<← 文字色
強調は、私>
Électricité de France (EDF) は今もフランス
全土で58基の原子炉を運用しており、それ
がフランスの電力のおよそ75%を発電して
いる。発電コストが安いため、フランスは世界
最大の電力の純輸出国となっており、電力
販売で毎年数十億ユーロの収益を得ている。
だが、コストの上昇と原発の老朽化のため、
近年では原発数か所を閉鎖せざるを得なく
なった。フランス政府は目下、2025年までに
フランスの電力に占める原発電力の比率を
50%にまで下げる法案を検討している。
<2017年の文書です。2023年2月現在、
ウクライナ危機などを受け、これがどうなる
かは予断を許しません>
・・・ (以下、略) ・・・
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長くなりましたが、核発電と核兵器とが
不可分であることの実例をさらに1つ知る
うえで、重要な文書でしょ?
次回アップロードでは、
から見ていく予定です。
フランスのページが多くなりますが、何も
フランスに恨みがあるわけじゃ、ござい
ません。上をお読みくださっていて感じら
れたかもしれませんが、部分的にどこか
日本の核発電導入と似たようなパターンを
感じるからですね。
同じようなパターンを踏襲して日本も核兵器
保有に至ってしまうことがないよう、祈ります!