f-2) (これから) イランの核、1990年前後まで

ニュースを理解するには、その背後にある歴史を

「トランプ大統領、JCPOAからの米の離脱を宣言」といった趣旨のニュースが、2018年5月に世界を駆け抜けました。まだ覚えてらっしゃる読者の皆様も、少なくないでしょう。しかし、いったい何がそんなに問題だったのか、よく分からなかった方々も、少なくなかったのでは?

こうした出来事の意味を知るには、それに至る歴史をわきまえておかないと ・・ そんなわけで、「イランの核開発疑惑」の歴史をごく短く紹介していきますね。現在のサウディアラビアや湾岸諸国による原子炉導入にまでつながっていく歴史です。

でも、長くなるんです。何ページかに分けて話を進めますね。

 

あ~あ・・・また長い話?? 私の10分クロッキーより

あ~あ・・・また長い話??
私の10分クロッキーより

 


もともとは、アメリカが自らまいた種


・・そもそも、Atoms for Peaceとは

1953年12月でした。当時のアイゼンハワー米国大統領が国連総会でAtoms for Peaceなる演説をしたのです。いかにも「核エネルギーの平和利用」を世界に訴える演説のようなタイトルですが、お時間がおありの時に原文全体をよくお読みください。たとえば、IAEAのウェブサイトの
https://www.iaea.org/about/history/atoms-for-peace-speech
に原文がございます。

このスピーチのテキストそのものをお読みいただけば すぐにお分かりになるように、その内容の大半は核戦争の恐怖と当時の冷戦構造などに関するものです。「平和利用」の詳細を論じているものじゃ、ありませんよね。終わりに近づいてようやく、国際的な核エネルギー組織を発足させ、発電などの平和目的での核エネルギー利用を世界的に進めようじゃないか、というアピールになっています。

そして1957年には、国連の傘下にIAEAが設立されました。(参照: https://www.iaea.org/about/overview/history )

こうしたアメリカ主導の動きは、一面では確かに発展途上諸国にエネルギーをもたらしたり、新たな医療技術を開発しようとするものでもありました。しかし、そうすることでアメリカの同盟諸国を増やそうという意図も、明らかでした。なにせ当時は「冷戦」という世界構造で、旧ソビエト連邦をリーダーとした社会主義諸国と、アメリカ合衆国率いる資本主義諸国とがにらみ合っていたのです。どちらも、核兵器を持って。当然、「仲間」つまり同盟諸国を得ることは、重要になりますよね。

誰かが見てる! 私の20分クロッキーより

誰かが見てる!
私の20分クロッキーより

 

・・そして、「監視団体」としてのIAEA

きわめて簡略化していえば、

・ 今の時点で核兵器を持っていない国は、今後も持つのをあきらめな。
・ そしたら、ご褒美に核発電とか「平和利用」を助けてあげる。
・ 助けてほしけりゃ、IAEAに入りな。
・ 当然、核発電技術とかウラン濃縮を軍事用に悪用してないか、IAEAが監視するからね。

ってことです。

そうやって、アメリカが核武装での優位性を保ちながら、世界の核を監視し、核兵器の拡散を防止したい。(アメリカの手を離れた拡散を防止したいのであって、「核軍縮」を目指すわけじゃないのですね)

そんなわけで、IAEAは何も「核軍縮・平和機関」なんかじゃなくて、「軍事転用防止のための監視機関」とでも理解しておくと適切でしょう。実際、日本の原発なんかにも、監視カメラを入れていますしね。(https://www.nsr.go.jp/activity/hoshousochi/houhou/houhou2.html )
(下の「脱線」もご覧くださいな)

* 脱線ですが・・・

東京電力の担当エリアでは、基本的に、柏崎刈羽原発が停止した2012年春以降、原発からの電気は来ていません。(そして、2020年の今に至るまで、東京で大規模な停電などは発生しておりません) それを2014年でしたか、反核の知人に話したところ、「いや、東電のことだ、実はどこかでこっそり原発を動かしているんじゃ・・・」という反応でした。ジョークだと私は思ったのですが、その知人はマジな顔でしたので、私は呆れました。内緒の原発って・・・原発は巨大な施設で、隠しておくことは現実上不可能ですし、上記のとおり既存の原発などにはIAEAの監視カメラや査察が入っているのです! 反核活動を続けるのなら、そうした現実も学んでいきたいものです。

で、さっきの話は?? 私の20分クロッキーより

で、さっきの話は??
私の20分クロッキーより

 

・・で、イランの話はどうなったの??

まあ、あせらないでくださいな。
上述のような背景の中ではじめて、1979年まではイランの核発電や研究をアメリカが自ら支援していた事実も、理解可能になるからです。

イランは長い歴史ある王国で、1925年から1979年までは「パーレヴィ」という王朝が治めていました。その王様(「シャー」と呼ばれた)は西側寄りで、アメリカの同盟国でした。

するともうお察しのことでしょうが、Atoms for Peaceの御旗のもと、アメリカはイランに核技術や原子炉などの支援をしていたのです。
早い話が、今のイラン核兵器開発疑惑も、もともとの種はアメリカが自らまいたものなのですよ~  “’ (>へ< ;;;)

1967年にはアメリカがイランに、テヘラン核研究センターを作ってあげており、そこには5MWの小型研究用原子炉も含まれていたそうです。それくらいの研究用原子炉なら、問題にならない・・・とお考えかもしれませんが、この研究用原子炉、核燃料はHEUつまり高濃縮ウラニウムだったのです(U235の比率が20%以上)。実際、この「研究用」原子炉は、1年に最大で600グラムのプルトニウムを製造できたそうです。そして後年、イランによるプルトニウム製造やウラン濃縮が国際的な大問題になりました。

73年になるとシャーは、20世紀終わりまでにイラン国内での核発電量を23,000MWにするという巨大な計画を設定しました。そのため、Atomic Energy Organization of Iran (AEOI、イラン核エネルギー組織)も設立したのです。それからイスラム革命前年の78年まで、イランはフランスのウラン濃縮工場やアフリカ南部のナミビアという共和国にあるウラン鉱山などに投資を実施、南アフリカのイエローケーキ(ウラン鉱石を生成したもの。それをもとに、転換や濃縮工程を進める)の購入なども進めたのでした。

* 南アフリカは、1989年に核兵器開発プログラムをやめています。「やめた」ということは、それまでは進めていたってことですね。参照: https://en.wikipedia.org/wiki/South_Africa_and_weapons_of_mass_destruction#:~:text=South%20Africa%20ended%20its%20nuclear,to%20the%20treaty%20in%201991. )

ペルシャ湾岸のブシェールという場所には原発を建設、ドイツのKraftwerkという企業(テクノのバンドとは、関係ないですよ)が、ブシェール原発に予定されていた2基の原子炉のうち1基をほぼ完成させていたころ、下記のイラン革命が勃発、工事は中断したのでした。

もうお分かりのとおり、もとをただせばアメリカが始めたAtoms for PeaceとIAEA体制が、1990年代以降(後日、説明)に backfireしたというわけですね。(つまり、イランが秘密裏に核兵器開発を進めているのではという疑惑が膨らみ、アメリカが騒がねばならない羽目に陥った)

No one else to blame but myself --- 私の15分クロッキーより

No one else to blame but myself —
私の15分クロッキーより

 

急展開1979

現在(2020年)60歳前後以上の方なら、79年のイラン革命のことを覚えてらっしゃるでしょう。お若い方でも、中東や歴史を学んでらっしゃれば、ご存じですよね。

「そんな40年以上も前の遠い中東のことなんか、学んでどうすんだ!?」という反応が多い昨今の日本社会ですが、79年のこのイラン革命をきっかけに世界は「第2次オイルショック」に見舞われ、原油価格が高騰して日本の経済も大変な目にあったのですよ!

で、この革命でイランは「イスラム共和国」に生まれ変わり、シャーは国外に逃亡したのでした。79年11月には革命支持の学生たちがテヘランのアメリカ大使館を乗っ取り、それから444日にわたり外交官などを人質にする、なんて事件もあったのです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Iran_hostage_crisis )
そのため、アメリカとイランはまともに敵対するようになり、現在に至っています。

こうして
・ アメリカからの核支援がなくなり、
・ 西側諸国と疎遠になり、
・ イラン革命後の最高指導者ホメイニ師が当初は核を「反イスラム的」とみなした(80年代半ばから、態度が変わっていきました - やはり、後述のイラクとの長期戦争が影響したのか??)
・ 1980年、イラン革命のような動きが他のイスラム諸国にも広がることを恐れた隣国イラクがイランに進攻、以降この戦争は膠着し、1988年8月まで続きます。

といった事情から、いったんは停止したイランの核開発。
しかし、1990年前後から、核開発が再開されます。西側諸国との対立から、今度は新たなパートナー諸国(あるいはネットワーク)を得たのでした。

その様子は、次のページ f-3) で!

こいつと別れて、あの子と付き合お~~ 私の油彩作品より

こいつと別れて、あの子と付き合お~~
私の油彩作品より

 

要するに、Atoms for Peace体制の自己矛盾の一例

上述のとおり、IAEAが代表する1950年代からの核体制とは、

a) アメリカが核武装での優位性を維持したまま、
b) 新たに核武装をしないことを約束した諸国には、「平和利用」というアメを与える。同時に、IAEAによる監視で軍事利用を防止。
c) 違反した諸国には、経済制裁などのムチを浴びせる
d) そうやって、核兵器の拡散を防止する(決して、世界的な核廃止を目指しているのでは、ない)

というものですよね。

もうお分かりのとおり、核エネルギーを「軍事利用」と「平和利用」に単純に二分するのは、「平和利用」が発電を含む限り、まったく現実的じゃありません。核発電のメカニズムそのものが、そうした二分化を許容していません。(本ウェブサイトの d-x) で説明)
実際に核発電が核武装に結び付こうとした、あるいは結びついた実例をこのウェブサイトでは紹介してきました。(ページ c-x)) 上記のイランの疑惑も、そうした一例です。

上の b) の「平和利用」というアメそのものが、実は軍事利用に容易に変わるものであれば、この「核体制」つまりAtoms for Peace体制そのものが、現実には意味をなさないはずです。
やれやれ、麻薬や覚せい剤以上に危険なアメがあったものです!

しかし、何らかの「アメ」がないと、そもそもこの体制に参加する国があるのか??

もうお分かりのとおり、現実にはこうした自己矛盾をはらんだ体制を克服するための方向はただ1つ  —
「核兵器」と「核発電」の両方を廃絶することですよね。

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