2021年2月
ページg-3) では、「核情報」という日本語のウェブサイトが収集してくださった石破さんの発言から、日本政府がこだわる「核の潜在的抑止力」について説明しました。
今回も、同じ「核情報」さんのページhttp://kakujoho.net/npp/ishiba.html
を参照して、そこにある日本政府関係の発言や文書から、「潜在的抑止力」へのこだわりを見てまいります。
鈴木篤之 日本原子力研究開発機構 理事長さん
「原子力ですから、安全性や核不拡散が重要なことは言うまでもございません。これらの問は、通常のエネルギー技術と違って、国内問題にとどまらず、国際的次元でも考えなければならないという宿命が原子力にございます。したがって、どこの国も原子力を単なる普通のエネルギー技術としては見てないようであります。
どちらかというと、エネルギーセキュリティを超えた国の安全保障の一環としてとらえている国が多いのではないでしょうか。この国の安全保障から見た原子力の位置づけをできれば今度の大綱ではご議論いただきたいと・・・」
この日本原子力研究開発機構は防衛や軍事関係の団体ではなく、核エネルギー技術の研究開発を行う機関です。その理事長さんが「核不拡散」や「国の安全保障」といった概念を持ち出さないといけないという事実そのものが、「核発電の裏にあるもの」を物語ってますよね。そもそも、この研究開発機構そのものが、日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構が2005年に統合されて結成された組織ですから、「ふげん」、「もんじゅ」といった高速増殖炉の「夢のまた夢物語」に日本政府がこだわり続けている「本音の理由」も透けて見えてきそうな ・・・・
★ 外務省 外交政策企画委員会
「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器の製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する。又核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する。」
NPTとは、「核不拡散条約」のことですね。掣肘(せいちゅう)とは、中国の故事にちなむフレーズで、人の自由な行動を横から妨害すること。
この引用箇所を読んでまず思うのは、「おいおい、そんな重大なこと、一般市民の間での議論なしに、勝手に省内で決めるなよ!」ってことですね。
そして、この委員会の記録は1969年9月のものですので、少なくてもその頃から、日本政府には「潜在的に核を持てるようにしておこう」という意図があったことが、明らかです。
★ 「参考」の下に列挙されている文書のうち、市村孝二巳さんのもの
「・・・・・ 当時、経済産業大臣を務めていたのは、故・中川昭一氏だった。中川氏は自民党の政務調査会長となった2006年、北朝鮮の核実験を受け、非核三原則を前提としながらも、日本の核保有について「議論は大いにしないといけない」と発言し、物議を醸した。
生前、中川氏に聞いたことがある。プルトニウムを含む核廃棄物を再処理する工場を日本国内に置く意義がある、と。ある経産官僚も「中川氏は、いわゆる『潜在的核保有論』による抑止力を意識していた」と述懐する。日本が核燃料サイクルを続けていれば、いつでも核兵器を作れる、という潜在能力を暗示することになる、ということだ。中曽根康弘元首相から連綿と連なる自民党の保守勢力には、どうしても核燃料サイクルを推進したいという政治的思惑があったのだ。」
この「中川昭一氏」とは、2003年9月から小泉改造内閣で経産大臣を務めた中川氏のことです。
重要なこととして、この抜粋の最後の部分に、日本政府が核発電も核燃料サイクルもあきらめない「本音」が端的に出ていますよね。
そうした「本音」が脈々と流れてきたのであれば、本「やかんをのせたら~~」のページ e) (運動のあり方) で問題にした、「日本最初の商用原子炉は、”二重用途”を持つMAGNOX型炉だった」という事実も、理解しやすくなります。もちろん、「導入の首謀者」であった正力さんがアメリカと揉めてしまったことも、大きな要因の1つではありましたが。
そうであっても、そうした「二重用途」原子炉の導入に対して市民から反対の声が上がったという記録が見当たらないのは、やはり問題です。私たち市民も、こうした動きをしっかり見張っていないと。
さらに言えば、私たち日本の市民が本気で核発電も核兵器も持たない日本に暮らしたいのなら、それに見合った投票行為が必ず必要になるのですね。
「核情報」以外にも ~ 佐藤正志研究員の研究ノートより
「「原子力平和利用」と岸信介の核政策思想」
( https://ci.nii.ac.jp/naid/120005550677 からアクセスできます)
この種の問題の研究者でいらっしゃる佐藤正志さんという方の研究ノートも、戦後日本の保守政治勢力に流れる核政策思想を論じる際に、日本最初の商用原子炉がコルダ―ホール型であった点を問題にしています。ちょっとお手数ですが、上記のリンクからこのノートをお読みくださいな。
ここでは、PDFファイルのノンブルではなく、原著の各ページ下にあるノンブルで、P40の下の段落から抜粋します:
「・・・その正力が最初の原子炉導入において選択したのはイギリスであった。アメリカが提供しようとしていた原子炉は、濃縮ウラン利用型の原子炉であり、同国は濃縮ウランの供給量などを厳しい管理のもとにおこうとしたため、日本側との交渉は難航した。これに対してイギリスの原子炉はコルダーホール型原子炉で、稼働を開始して間もないものであったが、天然ウランを使用し発電用として利用した後に原子炉の中に軍事的転用が可能となるプルトニウムを含む 二次産物を生成する(30)。イギリスとの交渉において日本側が固執したのは、プルトニウムをはじめ照射済み燃料の保留であり、それを通して「核兵器開発に直結しうる道を開き、それをオープンにし続けておくというオプションが意識的にとられていたのではないか」(31)との推測が可能になる。・・・」
さらに、P41下からP42上部の段落より抜粋すると:
「・・・岸とマッカーサー大使との間で作成された「機密討論記録」は、核搭載艦船の通過・ 寄港を事前協議の対象とせず、容認する「核密約」であった。その存在は歴代保守内閣にも確認され継承された。核被害に対する「国民の反核エネルギーの強さ」が発火、爆発して60 年の安保闘争に見られる「民意の憤怒と反発、そして離反が輻輳して、回復しがたい政治的ダメージ」を恐れたため、保守政権や官僚機構を「極度に慎重にさせ、事なかれ主義」を生じ、「密約と核持ち込みの完全否定体質」となった。このことは、「親米保守政権の崩壊と反米革新政権の誕生を心底恐れた」米国にとっても都合が良く、「同国は日本の政官が演じる『非核』の虚構を看過」することに繋がったのである(33)。」
ページg-3) と g-4)を全体的に見ればもう、ある程度見えてきますよね?戦後日本の保守政治の基本路線として、
・ 表面上は「非核」を装いながら、
・ アメリカの核の傘を利用し、
・ 同時に自らの「潜在的な」核抑止力として核技術を保持するため、核発電は維持する
ということですよね。
これが国家防衛の基本にある限りは、福島第一メルトダウンの被害にあった方々がこれだけ苦しんでいても、国は「国家防衛のため」核発電を捨てようとは、しないわけですね。
ですから私たち反核勢力の市民としては、原発をなくせと訴える限りは、「核抑止」の効果についても問題にせざるを得ないわけですね。「核抑止」って、本当に必要なのか??それをいずれ将来、この「やかんをのせたら~~」でも、取り上げます!
そもそも、「潜在的核抑止」が本当に核戦争防止のために有効であるのなら、世界中の多数諸国が原発や再処理施設をもって稼働させ、「いざとなったら、核兵器を製造できるぞ」と睨みを利かしあえば、世界中で核戦争のリスクを軽減できるはずです。
でも現実には、そんな事態になったら、「いつの間にやら」核兵器を持ってしまう諸国が増える~~そんな結果になってしまうだけでは?
では、次回のページg-5) では、核発電所に対するテロ攻撃の危険性について考えます。