f-8) (他にも) リビア

2020年12月

核開発が疑われているイランの周辺では、「核のにおい」が漂っていることを見ました。

では、おそらく核兵器を保有しているイスラエルの周辺ではどうか? ということで、ヨルダン、エジプト、アルジェリアについて短く紹介しましたが、こちらは3国とも「イスラエルが持つなら、我々も」という方針を今では採用しておらず、現在のところ核兵器の匂いはしませんでした。

リビアのこれまで

で、北アフリカの核事情を紹介するときには、避けて通れない国があります。ガダフィ(カッザーフィー)大佐時代のリビアですね。

簡単に言ってしまうと、

1951年の独立から1969年まで・・核開発の匂いなし。イドリス国王は1968年にNPTに署名。

1969年から2003年まで・・露骨なまでに核兵器を欲しがった。動機の1つとして、「イスラエルが核武装している」

2003年12月・・リビアの代表団がウィーンでIAEAのエルバラディ事務局長と会合、翌年1月にはIAEAによる(アメリカと英国の専門家たちも含む)リビアの核施設現地の査察が始まる。

2004年以降・・核の匂いのしないリビア。

ただし、
2011年以降現在まで・・内戦が続き、まだ終結を見ておらず、だれが政権を握るのか、新政権の核政策がどうなるのか、不明。

戦いの後で、武器は??

戦いの後で、武器は??


国際安全保障に関するロシアのジャーナルで、

Security Indexというものが出ています。その No. 2 (87), Volume 15に、Elena Geleskulという方によるThe History of the Libyan Nuclear Program: The Reasons for Failure” という文書が

https://pircenter.org/kosdata/page_doc/p1891_2.pdf

にあり、カダフィ時代のリビアの核武装プログラムについて、短くまとめてくださっています。それをもとに、短く要約していきますね。

まずGeleskul」さんは、カダフィ大佐の下でリビアが露骨に核武装したがっていた時代を、次の3つの時期に分けています:

・ 1969-1971 既にある核兵器あるいはそのコンポーネントを入手しようと努めた

・ 1971-1992 核発電用プログラムで核燃料サイクルを確立して軍事に応用、プルトニウム型原発を製造しようとした

・ 1995-2003 遠心分離器によるウラニウム濃縮へと、方針を変更

挫折→方向転換→また転換

挫折→方向転換→また転換

「挫折→方針変更の繰り返し」

1971-1992の時期を見れば、核発電と核兵器の不可分性の実例の1つだと、すぐにお分かりになりますよね。使用済み核燃料を再処理すると、長崎型原爆の「爆薬」であるプルトニウム239を抽出できるのですよね。ですから、IAEAは核燃料の再処理には、特に目を光らせているわけです。原子炉とはもともとプルトニウムの製造機であったことは、本ウェブサイトのページ d-1) などでも紹介済みです。

1995-2003の時期のウラニウムの遠心分離については、ページ d-3) で取り上げました。

で、Elena Geleskulさんによると、リビアはまずエジプトから核兵器や核技術を買おうとしたそうです。意外な相手ですが、当時のエジプトはアメリカならびに中国から核兵器を購入しようとしていたようです。1971年にはリビアのジャルード首相が直接北京を訪れ、交渉にあたっています。しかし中国自体の核兵器の数量が少なく、売ってはもらえなかったようですね。

誰も売ってくれなきゃ、自分で作る!

誰も売ってくれなきゃ、自分で作る!

それを受けて、リビアは自国での核兵器開発に方針を転換しました。

そしてアルゼンチンやベルギー、インド、旧ソビエト連邦、パキスタン、フランスと核技術ならびに人材訓練に関する協定を結びましたが、そのすべてが実施されたわけでは、ありません。たとえばベルギー(フランスと並んで、原発依存率の高い国です)は、リビアの核発電導入の裏に潜んでいた「核への食指」に気づいたのでしょう、協定をキャンセルし、リビアの核プロジェクトへの関与を禁止しました。

旧ソビエトでは、政府内部でリビアの態度に対する判断が分かれ、政府内部での対立が生じたようです。結局、1982年にソビエトの核企業がリビアでの原発建設を担当することになったのですが・・・1985年あたりから旧ソビエトでは「ペレストロイカ」などの改革が始まり、リビアとの核協力は切り捨てられていきます。

また、リビアが「核ほしさ」のあまり「恥も外聞もなく」行動してしまった実例の1つとして、インドとパキスタンの両方と核開発の協力での協定を締結したりしました。70年代終わりごろのことですが、リビアがパキスタンの核開発に資金を援助し(70年代には石油ショックという原油価格の急激な高騰があって、産油国リビアの財政は潤っていました)、その成果をリビアがパキスタンから貰おうというものでした。パキスタンの核兵器の「照準」は主にインドに向いていたので、インドとパキスタンの両方と同時に核で協定を結ぶというのは ・・・ 常識を超越してますね!!

並行してリビアは世界でのテロ組織への裏支援で悪名高くなり、「表舞台」では相手にされなくなっていきます。それでも、カダフィ大佐は核開発をあきらめはせず ・・・

闇の中のつながり

闇の中のつながり


闇に潜む核

こうなると、もうどこと協力するかは察しがつきますよね。そう、本サイトのページ f-3) で短く紹介した、カーン博士の「闇の核ネットワーク」です。

Geleskulさんによれば、カダフィ大佐とリビア政府高官とがカーン博士とあったのは1984年1月のことだったと、IAEAの報告書に記されてあるそうです。遠心分離器によるウラニウム濃縮の技術も買わないかというオファーがリビアに対してあったそうですが、当時のリビアにはそれを実現できるだけの技術力がなく、実現に至らなかったようです。

それから紆余曲折を経て、カーンのネットワークがリビアに遠心分離機を売るという合意が1995年に成立、そのさらに2年後にはリビアはようやく遠心分離機の完成品20台を入手しています。そして2002年12月にば、L-2という遠心分離機のコンポーネントが大量にリビアに運び込まれるようになりました。

このカーンの「闇のネットワーク」は世界的に広がっており、実際に機器類などの製造や配送に関わった国々は13にのぼっていたそうです。Geleskulさんはその13の諸国を名前で列挙してくれています。ドイツ、スペイン、イタリア、リヒテンスタイン、マレーシア、UAE、パキスタン、韓国、シンガポール、トルコ、スイス、南アフリカ、そして日本。

結局、上述のとおり2003年にはさすがのカダフィ大佐も核開発をあきらめ、IAEAが』リビアの核施設などを査察するようになります。翌年の査察では、せっかく「闇」から届いたコンポーネントの多くは、開梱もされず倉庫で眠っていたとのこと。リビアには核兵器を作るだけの技術がなかったのですね。「金さえあれば、なんでも手に入る」わけじゃ、なかったのです。

ご存じの方は、お知らせください!

それにしても、読者の皆様の多くは、上の13か国の中に日本の名前があるのに、驚かれたのでは? リビアの核開発に日本の企業が絡んでいたのは、実はよく報道されていたことなのですが、困ったことにその企業の名称がインターネットのどこを探しても判明しません。

ご存じの方は、ぜひ私(ひで)までお知らせくださいませ。
yadokari_ermite*yahoo.co.jp です! (← * を @ に置き換えてくださいませ)

「何を見ても、名前が出ていないよ・・・」

「何を見ても、名前が出ていないよ・・・」

「これから」を考えるとき、このリビアでの実例からも、「核発電が核兵器開発の隠れ蓑になりえるし、実際にそうした悪用が行われてきた」ことがお分かりでしょう。
この惑星から核兵器を廃絶するには、合わせて核発電も廃絶することが、現実上は必要なのですね。

それと、日本に関してですが、日本企業の核開発への関与や日本政府の核兵器に関する態度、また旧日本軍による核兵器開発の動きについて、日本語による情報がどうも少ないです。日本の問題なのだからと思い日本語で探してみるとあまり得られず、英語で探したほうが多く見つかるようなケースがありました。
日本のマスメディアにはあまり期待できなくなった今、反核団体などがもっと日本語で情報発信をしないと ・・・

ページ シリーズ g-x) では、どんな話題を?

日本の事情を紹介していきます。といっても、福島第一のメルトダウンやそれによる被害などについては、すでに数えきれないメディアやSNS、ウェブサイトなどが報じてくれています。本ウェブサイトではまたもや歴史を探り、旧日本陸軍と海軍による原爆開発プロジェクトを紹介します。また、自民党の石破さんの発言も取り上げます。
私の非力のため、カバーできていない問題などにお気づきの場合には、ぜひ上記のEメールアドレスでお知らせくださいませ!

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