- As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
here.
(In case I leave this world behind before the website remake — you know, we are in the middle of a pandemic — just pardon me!) - 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
(なお、反核サイトへの作り変えより先に私が他界した場合には ・・・ 現在、我々はパンデミックの中にいます ・・・ あしからずご了承くださいな!)
****************************************************************************ここで、当然、次の疑問が生じるでしょう:
本来の用途であるプルトニウム製造用原子炉 = 軍事利用
それに蒸気タービン発電機をつなげたら = 平和利用
という理解困難な区別が、なぜ蔓延ったのか??私自身も、よく分かりません! 1950年代から60年代にかけての
日本での核エネルギーに関する言説を取り上げた書物なども
読んだのですが~~1954年3月には、ビキニ環礁での水爆実験による第五福龍丸の悲惨な事故があり、
「放射能モンスター」の映画「ゴジラ」も出来たわけですが。
その翌年には、第8回新聞週間の代表標語として「新聞は世界平和の原子力」という標語が選ばれたりしています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mscom/84/0/84_KJ00009002044/_pdf/-char/ja
もちろん、「核兵器は悲惨を招く、核を使うなら平和利用を」という
願いも広く社会にあったのでしょう。でも、その「平和利用」の実体が、
上記のようなものだと~~そして10年後
1965年5月には日本最初の核発電所、東海発電所が臨界に達しています。
こともあろうに、その原子炉はコルダ―ホール型でした。
そんなことは、日本語版Wikipedia にも明記してあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
もちろん、日本導入に当たり改良を加えはしましたが、主に耐震性の問題です。コルダ―ホール型 (Magnox) 原子炉が本来、どういう用途のものであったのか?
それは、ここでも「英国の「初期」原子炉」で述べましたが、英語版Wikipedia をご覧になっても、明らかです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Magnox— the Magnox was designed with the dual purpose of producing electrical power and plutonium-239 for the nascent nuclear weapons program in Britain —
とありますから、Magnox (コルダ―ホール型)原子炉とは本来、
発電と兵器用プルトニウム製造という二重用途のためのものです。すると、なぜあまり反対がなかったのか??
不思議でしょうがないです。日本社会をあげて、「平和利用」に浮かれていたのでしょうか??
導入しようとしている「原子炉」が本来どういう性質のものだったのか、反核団体なども調べなかったのでしょうか??
もちろん、当時はインターネットなどはありません。でも、書物は多数出回っていたはずです。原子炉のメカニズムがまったく公表されていなかったとも、思えません。