1950年代の日本での核発電(原子力)に対する市民多数派の認識について、私にはわからない点があるので、ページ g-2) で読者の皆様からのご教示をお願いしております。
端的に言えば、日本初の商用原発である東海発電所(東海第一原発)の建設工事は1960年1月に始まり、初臨界は’65年5月のことでした。そして、しつこく繰り返しますが(ページ e) 参照)、この原子炉はコルダ―ホール型という「二重用途」(つまり、発電+プルトニウム製造)だったのです。
広島・長崎を経験している1950年代の日本で、コルダ―ホール原子炉の導入に対して目立った反対運動が見られなかったことが、私にはどうも解せません。
以前にも申し上げたように、
・ CIAをすら巻き込んだ世論操作が、そこまで効果を発揮したのか??
・ 単に、反核市民団体などが「二重用途」であることを知らなかったのか??
そういった疑問が私には以前からあって、いまだに解明できずにいます!
どなたか参考情報をご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ私までお知らせくださいませ!