Hanford のB以外の原子炉

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
    ****************************************************************************

    まず、Hanford Site の B原子炉以外の原子炉から見てまいりましょう。
    発電するためのものだったのか?それとも ・・・

    これは、すぐ下の記事でも紹介した米国エネルギー省の Hanford Site ウェブサイトで、About Us –> Projects & Facilities というページをご覧になれば、すぐに分かることです。

    たとえば、B Reactor のすぐ次にあるサブ項目、C Reactorをクリックしてみると:

    — was built in the late 1940’s and early 1950’s, and started operations in 1952
    とありますので、1940年代末から50年代初頭にかけての建設だと分かりますね。
    さらに、
    — was the first of Hanford’s nine plutonium production reactors to be placed in Interim Safe Storage —
    とあります。Interim Safe Storage というのは廃炉後の原子炉の保管方法の1つです。
    その保管対象となる「プルトニウム製造用原子炉」が9基あって、C がその最初のものだった、というわけですね。

    なお、https://en.wikipedia.org/wiki/Columbia_Generating_Station にあるように
    現在ではColumbia Generating Stationという商用の核発電所もHanfordにあるのですが、これは1984年に発電を始めたものです。
    つまり、それ以前にHanford にあった原子炉はいずれも、「発電用」じゃなかったってことですよね。つまり、Hanford とは基本的に、「原子爆弾用プルトニウムの製造施設」だったわけです。

    この「死と破壊のための施設」にあった、その他の原子炉を同ウェブサイトで調べてみても、同じことをすぐに確認できます。
    たとえば H Reactorというサブ項目をクリックすると:
    — was the first reactor to be built at Hanford after World War II. It became operational in October of 1949 —-
    と記載されていますので、二次大戦の終了後、1949年10月に稼働を始めたことが分かります。
    さらに、
    H Reactor was built as tensions grew between the United States and Russia, ultimately ushering in the Cold War. With the continued strain on relations between the two superpowers, H Reactor was followed by DR, C, K-West, and K-East Reactors all being built within a five and a half year period.
    というわけですから、まさしく「冷戦」の申し子、東西緊張の高まる中で建設された「原爆用」原子炉であったことは明らかです。これに続き、DR, C, K-West, K-Eastと次々と「原爆用」原子炉が設けられたわけですね。やれやれ ・・・・
    Hanford Site以外のアメリカの「初期」原子炉を紹介することもできますが、読者の皆様はすでに上記だけで、充分に背筋が凍りついてらっしゃるものと想像します。

    ですから次回は、その「冷戦」の相手、旧ソビエト連邦の初期原子炉を見てまいりましょう。

    * 私自身も、上記を書いていて背筋が冷たくなりました。現在のような社会状況ですので、ウイルスをキャッチしないように気を付けます!

About FrancisH

A freelance painter, copywriter, and beading artist
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

Comments are closed.