- As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
here. - 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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アメリカのHanford Site 以外での「初期」原子炉(1943年から、1950年代末あたりまで)を
いろいろ探っていくこともできますが、Hanford だけでも
充分に背筋が凍りついたことと思います。
ここでは「初期の」原子炉とは何のためのものだったのかを探っている
わけですから、「冷戦」の相手であった旧ソビエト連邦に移りましょう。
インターネットでサーチしてお調べになる場合、production reactor という
フレーズを入れることをお勧めします。
そうしないと、どうも「世界初の商用原発だったオブニンスク原発」
(1954年に運転開始)の話がサーチ結果に表れやすいのですね。
オブニンスクは「平和利用の皮きり」として当時は大いに称賛され、
世界各国の指導者たちが視察に訪れたそうです。
もっとも、オブニンスクの原子炉は後のRBMKという黒鉛減速原子炉
の前身でして、チェルノブイリの大惨事にもつながっていくのですが~~
それと、旧ソビエト連邦はすでに1949年8月に、同国としては
始めての原爆実験をセミパラチンスクで実施していました。
(これは、「セミパラチンスク」でサーチすれば、すぐに出てきます)
その原爆はRDS-1 という名前で、長崎で人々を焼き殺した
Fat Man に類似したものでした。つまり、何らかの形で
旧ソビエト連邦も、1949年までには兵器グレードの Pu を
製造していたことになりますよね。
(そこには、実はKGB のスパイ活動も関与していたのですが、
それはまた後日)
https://en.wikipedia.org/wiki/RDS-1 をご覧になれば
Plutonium for the bomb was produced at the industrial complex Chelyabinsk -40
とありますから、その Pu はチェリヤビンスク – 40 という施設で
製造していたようです。
当然、そこには何らかの「プルトニウム製造用原子炉」(production reactor)が
あったはずです。
そんなわけで、production reactor にフォーカスを絞って
サーチしてみると、
http://scienceandglobalsecurity.org/archive/sgs19diakov.pdf
に The History of Plutonium Production in Russia という論文が
見つかると思います。
次回、この論文を手短に紹介いたします。