では、その論文

ではその、http://scienceandglobalsecurity.org/archive/sgs19diakov.pdf
にある The History of Plutonium Production in Russia (ロシアでのプルトニウム製造の歴史)という論文を手短に見てまいります。

冒頭の記載によれば2011年の発表で、ロシアの Center for Arms Control, Moscow Institute of Physics and Technology, Moscow Region (直訳すると、「モスクワ物理学・技術研究所、
モスクワ地区、軍縮センター」)のアナトリ ディアコフという方の著作です。

本文の最初の段落に “For almost 50 years, the production and processing of weapon
fissile materials was the primary mission of the Soviet nuclear complex. The cloak
of secrecy on all nuclear weapons activities was lifted in 1995. However, the Soviet
Union did not declare the amount fissile-material that it produced for military purposes, and —” とありますよね。
つまり、
・ 旧ソビエトの核関連体制の主な仕事は核兵器用の核分裂性物質の製造であった
・ 機密事項として覆われていたが、1995年に公開が許可された
・ だが、軍事用に製造した核分裂性物質の量については、旧ソビエトは
発表していない
ということです。

ですから、この論文で取り上げているプルトニウム製造量などは、
推定によるものです。

そうした導入の後で、Design and Operation of the Production Reactors
(プルトニウム製造用原子炉の設計と稼働)という部分が続き、それによれば
ソビエト連邦には黒鉛減速・水冷却式のプルトニウム製造用原子炉が14基
あって、
・ 6基がウラル地区の「マヤク」という施設に
・ 5基がシベリアのセヴェルスク(以前は「トムスク – 7」と呼ばれた)
・ 3基がゼレズノゴルスクの鉱業・化学コンビナートに、
それぞれあったそうです。

合計14基のうち、
・ 12はPu 製造用
・ 2はトリチウムその他の同位体の製造用
だったとのこと。

勘の良い読者の皆様なら、「ははあ、1954年のオブニンスク稼働開始の
前に、かなりの Pu 製造用原子炉があって、それで1949年の原爆実験を
したのだな」と、お察しのことでしょう。

では次回、実際のPu 製造の様子をこの論文から見てまいりましょう。

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