旧ソビエトの初期原子炉での Pu 製造

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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マヤク核施設

http://scienceandglobalsecurity.org/archive/sgs19diakov.pdf
にある The History of Plutonium Production in Russia (ロシアでのプルトニウム製造の歴史)という論文から、PLUTONIUM PRODUCTION(プルトニウム製造)という個所の手短な紹介をします。

Mayak Production Association (Chelyabinsk-65) という個所をご覧いただくと、マヤクの核施設にはプルトニウム製造用原子炉 (production reactors) が5基あったと、冒頭に明記されています。
このマヤク核施設ですが、ウラル東部地域にあったもので、1945年から48年にかけて大急ぎで建設されたもののようです。しかし、長らく「秘密都市」とされていたので、詳細は私には分かりません。(https://en.wikipedia.org/wiki/Kyshtym_disaster 参照。日本語版Wikiでは、「マヤーク核技術施設」)

原子炉A

そのマヤクでの最初の原子炉「原子炉A」については、この論文の Reactor A の箇所に説明があります。1948年6月に稼働開始、1987年6月まで稼働を続けたそうです。(Table 1)
論文のP33上部にあるように、当初1日あたり0.1kg のPu を製造でき、ウラン燃料1トンに中性子線を浴びせて平均 o.1kg のPu を作ったようです。
最初に金属 Pu を製造・分離したのは、1949年4月16日のことだったとあります。
旧ソビエト連邦による最初の原爆実験RDS-1 が実施されたのが 1949年8月29日のことで、
セミパラチンスク(現在のカザフスタンにあります)でのことでしたから、スターリンがいかに
原爆開発を焦っていたか分かりますよね。

マヤクでの、その他の Pu 製造原子炉

AV原子炉と呼ばれたものは3基あって、1950年から52年にかけて稼働を開始しました。
それぞれ稼働初年には、1日につき260g ほどのPu を製造したようです。
またAV-3 原子炉はPu だけではなくトリチウム(水爆に使われる物質)も製造しました。

またAI-IR原子炉も1952年に稼働を開始しましたが、これはもともと
トリチウム製造用に設計したもので、Pu も作りましたが原爆に使えない同位体
(Pu 240)の含有量が多かったため、兵器にはその Pu を使わなかった、とのことです。

この論文にはマヤク核施設にあったその他の原子炉も紹介されていますが、
4基あった重水型原子炉(後日、説明します)のうち最初のものは
本来 Pu 製造用に設計されたものでしたが、1953年にウラン233や
コバルト60、トリチウムの製造に転用されたそうです。(発電では、なかったのです)
残る3基も、兵器用トリチウムなどが用途でした。

ずっと後に1979年6月、軽水炉も稼働を開始しました。「軽水炉」というと
我々は「発電」を連想しやすいのですが、トリチウム製造が用途だったそうです。
やれやれ~~

その他の核施設

トムスクー7や鉱業・化学コンビナートにもPu 製造用原子炉があったのですが、
もう充分に怖い話が続いたので、さらにお知りになりたい方はこの論文本文を
ご覧ください。

要するに ・・・

東西冷戦のいずれ側においても、最初期の原子炉とは
発電設備などではなく、原爆に使う Pu の製造設備だったことが、
ご納得いただけましたでしょうか?

なお、マヤク核施設は1957年に大事故を起こしており、
次回はそれを短く紹介します。

About FrancisH

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