英国の「初期」原子炉

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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では、英国の「初期」原子炉なのですが、
ブリテン島の西岸、アイリッシュ海に面する
Windscale Piles – 1, 2 というのが英国最初の実用原子炉でした。
稼働開始はPile -1 が1950年10月、-2 が1951年6月のことでした。
(シカゴ大学の実験用原子炉がChicago Pile – 1 と呼ばれていたように、
Windscale も pile と呼ばれていました。なぜか?たとえば
https://www.atomicheritage.org/history/chicago-pile-1
などにある写真を見れば、明らかですよね)

なお、Windscale という地名は、1981年に Sellafield と改名されています。
そのあたりの事情は、日本語の書籍であれば、秋元健治、「核燃料サイクルの闇」
(現代書館、2006)に解説があります。

で、どんな「原子炉」だったのか??

James Mahaffey, “Atomic Accidents” (Pegasus Books, 2014) という
核事故の歴史を概略した書物のpp。162-163 に、Windscale Piles の
構造図があります。
Webであれば、かなり略式の図が
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Windscale-reactor.png
にあります。

p. 162 の図には water duct なるものがありますが、これは図のすぐ下の
説明にある通り、”The water duct was used to cool off the used fuel as —”
ということですね。つまり、使用済み燃料を冷却するためのものでした。

「え! 冷却水を使っていなかったの??」

はい、原子炉の冷却水システムはありませんでした。
「空冷式」原子炉だったのですね。
「なんだあ、じゃあ水のパイプとかなくて当然だね」と
安心しないでください!
発電用原子炉であれば、原子炉を冷却する水システムが
必ずあって、原子炉で水が高温の蒸気になり、その蒸気を
使って発電用タービンを回します。(今までのところ、
発電用原子炉はすべてそういう仕組みです。なんらかの
水システムで蒸気を発生 → 発電用タービンを回す、
というメカがないと、発電できません!

つまり、Windscale Piles は発電用じゃなかった

ということですね。じゃあ、何のために使っていたのか?
それはもう、たとえば
https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_Piles
のReactor usage という個所をご覧になるだけで、分かります。
Plutonium production(プルトニウム製造) と明記されていますね。

なお、Windscale Pilesは1957年10月に大事故(火災)を起こし、
廃炉へと向かいます。その事故の原因などについては、
上述の “Atomic Accidents” の pp. 173 – 183 を、
周辺地域の放射性物質汚染については上述の
「核燃料サイクルの闇」の第III章を、それぞれ
ご覧ください。レベル5 だったようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_fire)

要するに「原爆製造のための施設」

もうお分かりと思いますが、Windscale Piles も
初期原子炉の例にもれず「原爆製造のための施設」
だったわけです。
「原発と原爆が頭の中で結びつく ・・・」のは、
こうした歴史上の事実をわきまえるなら、
むしろ当然のことです。「結びつかない」で
考える方が、事実に反しております。

したがって、Windscaleに至るプロセスには、
英国の核武装計画はもとより、Manhattan Project も
「KGBのスパイ」も関わっていたのですが、
それらについては次回。

 

About FrancisH

A freelance painter, copywriter, and beading artist
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