果樹園(Orchard)の収穫は、核兵器??

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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    やはり、イスラエル軍による「核施設と見られた施設」への爆撃・破壊です。
    今度は2007年9月、シリアのアレッポの東60kmほどの位置にあった施設への爆撃です。
    (Al Kibar (アル キバール)と呼ばれているようです)英語版Wikipediaでは Operation Outside the Box (枠から外れた作戦)と呼んでいる爆撃作戦で、https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Outside_the_Box  に記載があります。昔は Operation Orchard (”果樹園作戦”)と呼んでいましたし、日本語では今でも「オーチャード作戦」と呼んでいる場合が多いようです。

    この Operation Outside the Box については、どうも日本語での情報が少ないです。なぜなのか、私には分からないのですが。

    覚えてらっしゃるのでは?

    先日紹介したバグダット近郊での爆撃の場合とは異なり、Operation Outside the Box の場合には国際的なイスラエル非難は見られませんでした。2007年のことでしたから、読者の皆様も30歳代以上の方々なら、覚えてらっしゃるでしょう。

    で、このウェブサイトのフォーカスである「核兵器と核発電の不可分性」という視点からは、この爆撃された施設が核施設であったのかどうかが問題になります。
    これについては、IAEA が何年も調査を実施、2011年4月に「原子炉であった」と公式に確認しています。(https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4062001,00.html)
    https://www.armscontrol.org/act/2009-03/iaea-syrian-reactor-explanation-suspect にも、関連した記載があります。
    シリア政府は核施設であったことを否定してきたのですが、その根拠となる情報を IAEA に対して開示していなかったようですね。

    「どこの国か」なんて、気にしません!

    断っておきますが、私は何もイスラエル側を支持しているわけじゃ、ありません。イスラエルの秘密核施設についても、後日取り上げます。
    このウェブサイトの方針として、どこの国だろうが、どの団体だろうが、上記の「不可分性」の例証となるものは紹介してまいります。日本の東京でこれを書いていますが、日本の原爆開発計画についても後日、紹介するつもりです。(二次大戦中に、陸軍と海軍でそれぞれ実施されたのですが、まったくリソースが足らず原爆製造には至りませんでした)

    話を戻して~~

    再び英語版Wikipediaによれば、2008年4月28日、当時のCIAのHayden 長官の発言として、爆撃されたシリアの原子炉は「毎年、原爆1個あるいは2個程度分のプルトニウムを製造する能力があった」とのことです。さらに、北朝鮮のヨンビョン核施設(の原子炉)と「規模や技術が類似している」そうです。

    さらにアメリカの雑誌 The National Interest のウェブサイト
    https://nationalinterest.org/blog/the-buzz/north-korea-built-nuclear-reactor-syria-israel-destroyed-it-23922) には、次の記載があります。
    In 2002, the first North Korean components, technicians and scientists had arrived in Syria. The construction work, however, was concealed quite well — any communication to the outside was strictly prohibited.
    2002年に、北朝鮮から(同原子炉用)機材や技術者、科学者がはじめてシリアに到着した、というわけですね。でもそれは、厳密に隠蔽されていた、と。
    ただ、上記の2つは情報ソースがアメリカ政府寄りなので、どこまで公正な記載なのかは~~

    もっとも、英語版Wikipediaのほうにも、冒頭右のCasualties の箇所に、この爆撃による死者として
    10 North Korean nuclear scientists allegedly killed
    とあります。北朝鮮の核科学者10名が死亡した模様、というわけですね。

    すでに使っちゃった技術は、消せない

    先日、「原子炉グレード」と「兵器グレード」のプルトニウムについて、ごく短く言及しました。さらに言うなら、現在「発電」で主流となっている軽水炉(沸騰水型か、加圧水型化を問いません)では、特殊な稼働をしない限り、兵器グレードのPu は作れないのですね。
    すると、
    「じゃあ、原子炉と原発の ”不可分性” なんて、過去の話じゃないか!」という批判がすぐに発生しそうですね。でも、この「果樹園」爆撃は50年代や60年代の事件じゃありません。今世紀に起きた事実です。
    そして実際、ヨンビョンには空冷式・黒鉛原子炉が今もあります。
    https://www.armscontrolwonk.com/archive/502504/why-does-north-korea-have-a-gas-graphite-reactor/
    もともと「原子炉」とは原爆用プルトニウムを製造するために作ったもので、実際にそのために使用されていたのですから、その技術は消し去ることができません。いつか・どこかで、「本来の用途」の原子炉がこっそりと建設されてしまうリスクは、常に残っているわけですね

    では、次回は ”公正のためにも”、イスラエルのネゲヴ核研究センターにまつわる出来事を。

About FrancisH

A freelance painter, copywriter, and beading artist
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