「歴史的に明らか」なのですが~~

* So, from this onwards, until I remodel this whole website,
I’ll occasionally post some things about the “inseparability
between nuclear weapons and nuclear power (reactors)”,
in Japanese.
Needless to say, my intention is to bring together the
“anti-weapon camp” and the “anti-power camp” of Japan.

* そんなわけで、今日から始めて、私がこのサイト全体を
改装する日まで、「核発電(特に原子炉)と核兵器の
不可分性」について、時折ここに日本語の記事をアップロードする
ことにします。
狙いはもちろん、日本の「反核兵器」運動と「反原発」運動の
相互協力や合流などを求めていくことにあります。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

歴史的には、つまり今までの事実を見る限りは、
「核発電(特に原子炉)と核兵器の不可分性」って、
明らかなのですね。

具体的な過去の事例を取り上げましょう。

「世界で最初に臨界(核分裂が維持される)に達した
原子炉って、どこのなんという原子炉だったのか?」

日本語のWikipediaを見るだけでも分かるように、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AB1%E5%8F%B7
Chicago Pile – 1 という原子炉でした。アメリカのシカゴ大学にあったもので、
初臨界は1942年12月のことでした。

このChicago Pile – 1 は翌年、マンハッタン計画に組み込まれ、
ワシントン州のHanford Site にChicago Pile – 1 を大型化した
「B原子炉」が建設されました。

Chicago Pile – 1 も{B原子炉」も、発電設備を伴っておりません。
発電目的では、なかったのです。
では、何のためのB原子炉だったのか??
Pu 239 (プルトニウム 239)製造が、目的だったのです。
では、「B原子炉」で出来た Pu 239を、何に使ったのか?
Fat Man の核分裂材料となり、長崎で数えきれない人々を
焼き殺したのでした。

「原子炉」の起源とは、そもそも上記のようなものだったのです。

ところが。2011年頃の反原発集会などで、Chicago Pile – 1 という
名前すらご存じない方々と出くわし、驚いたことがありました。
別に、そうした方々のことをバカにしてるんじゃ、ありませんよ!

上記のような過去の事実を見る限り、(少なくても今までの原子炉による)
核発電を「平和利用」と呼ぶのは ”まやかし” に過ぎないのですが、
少なくても日本では「平和利用というまやかし」がまかり通っていたのですね。
そのため、「反核兵器」陣営と「反核発電」陣営の分離が生じ、
この分離が2011年になっても作用していた、と見るべきでしょう。

そう見ているのは、何も私だけじゃありません。
たとえば、勉誠出版の「終わらないイラク戦争」(2013年3月20日)に
収録されている、森瀧春子さんという方の「核開発がもたらしたもの
― 核と人類は共存できない」という文章のP178を見ますと、
「1956年頃から、米国とそれに追随推した日本の政府・大資本により喧伝された
「原子力の平和利用」の夢、・・・ 「軍事利用」と「平和利用」は別ものだとする
レトリックに、平和運動も含めて、おおむね絡めとられてきた ・・・」
とあります。

おそらく森瀧さんも、『「軍事利用」と「平和利用」は別ものだ』という
まやかしが、平和運動などの現場でもまかり通っている現実に、
かなり悩まされたんじゃないかと想像しています。

ついでながら、2019年2月の経団連の中西会長による
「原発と原子力爆弾が頭の中で結びついている人に『違う』ということは難しい」
という発言も、では上述のような歴史上の事実をどう理解すれば良いのか、
説明を加えるべきでしたね。(そんな説明ができるので、あれば)

もっと言えば、この「頭の中での結び付き」をとことん否定したいのであれば、
中西さんの会社で、従来の原子炉を使わない新型の ”原子力発電技術” を
開発してから、上記の発言をなさるべきでした! (そんな開発ができるので、
あれば)

About FrancisH

A freelance painter, copywriter, and beading artist
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

Comments are closed.