- As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
here.
(In case I leave this world behind before the website remake — just pardon me!) - 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
(なお、反核サイトへの作り変えより先に私が他界した場合には ・・・ あしからずご了承くださいな!)
****************************************************************************誰かによる「査察」があっても、核兵器が製造されてしまった実例として、Dimona の実例を紹介しました。
もう1つの例として、北朝鮮のヨンビョン(ニョンピョン)核施設があります。北朝鮮のヨンビョン核施設での、IAEAによる査察の場合これはIAEA が査察に入っていたので、当のIAEA のウェブページを見てみましょう。
https://www.iaea.org/newscenter/focus/dprk/chronology-of-key-events
に、北朝鮮とIAEA に関連した年表があります。まず、2008の箇所をご覧ください。
13 October 2008, DPRK grants IAEA access to Yongbyon facilities.
とありますから、2008年10月に北朝鮮政府はいったん、IAEA がヨンビョン核施設を査察することを認めたわけですね。ところが。その翌年、2009の箇所を見ると、
14 April 2009, IAEA Inspectors Asked to Leave DPRK. The Democratic People’s Republic of Korea (DPRK) has informed IAEA inspectors in the Yongbyon facility that it is immediately ceasing all cooperation with the IAEA.
とありますので、2009年4月には北朝鮮政府がIAEAの査察団に、一切の協力をやめるから出ていけと命じたわけですね。
実際、
16 April 2009, IAEA Inspectors Depart DPRK.
その翌々日には、査察団は出国したわけです。そして核兵器
結局、北朝鮮が核ミサイルを保有していることは、今では広く報道済みの事実となっています。
これじゃ、「IAEA は何のためにあるのだ~~」といったつぶやきも世界中で ・・・しかし大まかに言ってしまえば、IAEA (核発電は進めるが、同時に核兵器の拡散は食い止めようとする)や「核の平和利用」つまり “Atoms for Peace” といったスローガンそのものが、
ある無理な「取引」を狙ったものです。簡単に言ってしまえば、その「取引」とは ・・・
「核兵器をあきらめたら、核発電やらせてあげるよ」ってことです。
”核発電やりたいかい? やりたいなら、「核兵器は、あきらめます」と
約束しな。約束を守っているか確認するため、IAEA が監視するからね”
ってことです。(あくまで、すごく簡略化した表現ですよ)“Atoms for Peace” 演説をアメリカのアイゼンハワー大統領が国連でしたのは、
1953年12月のことでした。それから、「核の平和利用」というスローガンが
世界に蔓延ったわけですが~~もともとこれは、上記のような「取引」で核兵器の拡散を抑えようとしたものでした。
しかも、アメリカ自体は核兵器の優位性を維持したまま。
(これについては、すでに各種の研究の書物が出ております)要するに「ピストルをあきらめたら、オモチャあげるよ」みたいな~~
ところが、その「オモチャ」たるや、改造すると核兵器開発に使えるオモチャ
であることは、ここまでに紹介した通りです。つまり、この「取引」では、結果として核兵器の拡散を防止することは、
できなかったわけです。やはり、「核兵器も核発電も」廃絶するしか ・・・
・・・ 現実には核による破局を回避するための方策は、ないようですね。
どうも日本では、核兵器への反対と核発電への反対と、2つの勢力に分かれて
のが実情だと見受けます。
もう、両勢力が力を合わせるべき時なのでは?
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