もう3か月前のことですが、以下の発言がよく報道されていましたよね。
菅総理大臣は 4月23日の記者会見で、「開催はIOCが権限を持っております」と強調した。
しかし。もとをただせば、2013年に東京でのオリンピック開催を求めたのは、同じ日本国の総理大臣、当時は安倍晋三さんだったはずです。同年9月7日 ブエノスアイレス で行われた 国際オリンピック委員会 総会の最終プレゼンテーションで、 この前首相は 福島第一原発 の状況を「アンダー・コン トロール 」だと主張したのでしたよね。
しかし。2011 年3月11日午後7時3分にさらに以前の総理大臣、菅直人さんが発した原子力緊急事態宣言は、2013年9月7日の時点で、解除されてはいませんでした。
それどころか、この宣言は2021年7月15日現在も、解除されておりません。
(2021年7月23日追記)
よりによって、その「嘘でオリンピックを誘致した張本人」である元総理大臣は、
今夜のオリンピック開会式を欠席するそうです!
なんだか、はっきりしない ・・・
私の点描練習より
ここで、日本国における核発電廃止と2020オリンピックの中止とを、
パターン比較してみましょう。
…………………………. 2020 (2021) オリンピック 核発電(原発)
一般市民多数派 中止 ……………………………. 廃止
の要望
推進・開催の 偽りあり ……………………… ごまかしだらけ
正当化 ………………………………………………………….. (本ウェブサイトの各ページで説明)
中止・廃止の よく分からない …………….. よく分からない
決定権限 (あるいは、総理大臣が
…………………………………言葉を濁した)
結局は … 部分修正(無観客)で …….. 部分修正(安全基準の改定など)
…………………………………開催 …………………………… で推進継続
このソフトウェア、Tabも多数スペースの連続も受け入れてくれないので、
どうも作表ができないのですが・・・
まあ要するに、
まやかしが最初から付きまとっており、
責任の所在はよく分からず、
部分修正だけで従来からの方針を続ける
一般市民の意見は、そうやって無視される
というパターンが両者に共通で見られますよね。
では、核発電をやめるには、どこで・どういう決定を下せばよいのか?
国会で決議すればよいのか?
そのあたりは、日本国の政界・官界に詳しい方々に、ぜひご教示いただきたいです!
詳しい方は、
yadokari_ermite(at)yahoo.co.jp
までお知らせくださいな!
そうした最終決定が実際に下される時が、もし来たら ・・・
その場合には、核発電推進側から「潜在的核抑止力」が必要だという
主張が登場するのは、まあ明らかです。
ある意味、その場合に備えて、つまり「潜在的核抑止力」の
ナンセンスさを訴えるために、この「やかんをのせたら~~」を
書き続けております。
(2021年7月23日追記)
もう1つの共通項として私が強く感じるのは、
戦後日本の”若かりし頃”への、高齢政治家のノスタルジア
です!
日本初の核発電所が臨界に達したのは1965年、稼働を始めたのは1966年のこと
でした。(本ウェブサイトの、ページ e) でも申しました)
東京でオリンピックが「まともに行われた」のは、1964年でした。
高齢政治家の皆さんにとっては、高度経済成長中の1960年代の「メモリー」ですよね。
実際、例の「党首会談」において菅総理大臣は、枝野代表に対し、
話の本筋を全く離れて「メモリー」を長々と語ったと報じられていました。
もう1960年代半ばから55年ほど経過し、日本の経済や社会は明らかに劣化しました。
2021年現在の日本には、もう「まともに」オリンピックを主催する能力などない
ことは、数々の不祥事からも明らかです。
ところが、成功体験を伴うノスタルジアというのは、現実に目を閉ざし
昔通りに物事を進めればうまくいくという幻想を生みやすいものですよね。
「原子力(平和利用)」という「まやかし」は、まさにそうした
「高度成長期ノスタルジア カルト」を象徴している存在の1つでしょう!
過去の成長へのこだわりや幻想を捨てて、
今後どうやって平和に貢献し、
エネルギー源を確保しながら環境も保全していけるのか
に発想を切り替えましょうよ。
* A Song for Europe
ROXY MUSIC – A Song For Europe – YouTube
↑ リンク先に、Roxy MusicというバンドのA Song for Europe という
曲の演奏があります。
歌詞は西欧の凋落をうたったもので、最初に英語、そしてラテン語と
フランス語でそれを繰り返しています。1970年代中頃の曲です。
ここ25年くらい、私にはこの曲が、A Song for Japanに聞こえてならないのです。