2020年に入ってからの事例

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
    (In case I leave this world behind before the website remake — just pardon me!)
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
    なお、反核サイトへの作り変えより先に私が他界した場合には ・・・ あしからずご了承くださいな!
    ****************************************************************************
    「核発電」と「核兵器」の不可分性が明らかになった過去の事例を紹介してまいりました。
    他にもそうした事例はあって、インドとパキスタンのケースなど有名ですし、リビアも手を出したことがありました。

    今年(2020年)のことです

    最近の事例だと、今年(2020年)の1月5日の各種報道によれば、イランがウラニウム濃縮などに関する2015年の合意による制限を破棄したそうです。

    bbc.comの記事を見てみましょう。
    https://www.bbc.com/news/world-middle-east-51001167
    にあります。

    Iran has declared that it will no longer abide by any of the restrictions imposed by the 2015 nuclear deal.
    In a statement, it said it would no longer observe limitations on its capacity for enrichment, the level of enrichment, the stock of enriched material, or research and development. —–
    Tensions have been high over the killing of Iranian General Qasem Soleimani by the US in Baghdad.

    2015年の合意で、イランはその核施設の稼働などについての制限を受け入れていたのですが、それを破棄すると宣言したわけですね。ガセム ソレイマーニ司令官が殺害されたことに対する対応なのでしょう。

    特に、ウラニウム濃縮の濃度や量に関する制限を破棄するとしたのが、重大です。天然ウラニウムはほとんどがU238で、分裂性のU235はわずかしか含まれていません。そのままでは発電や原爆に必要な核分裂を起こせないので、精製・濃縮して使用します。U235の濃度を90%以上にすると、兵器グレード、つまり原爆用のウラニウムになります。(広島型)

    これを受けて、反原発団体も「核兵器と核発電の不可分性」そして「両方の廃絶」を求めて声を上げるべきだったと私は思うのですが、日本ではあまり聞こえてきませんでした。そして現在のコロナウイルス パンデミックが来て、イランの核問題も北朝鮮からのミサイルも、巷では忘れ去られてしまっています。

    「伝染」の危険性

    さらに、どこか一国が核武装すると、周辺諸国にまで「伝染」してしまう危険があります。
    2011年の福島第一メルトダウンの後で出た書物で、最新情報ではないのですが、
    Charles D. Ferguson, “Nuclear Energy — What everyone needs to know” という
    本があります。著者は物理学者・核エンジニアで、アメリカ国務省などで核に関する政策に関わった方です。

    その書物の67ページに、以下の記載があります:
    Many Middle Eastern and North African countries with large Arab population —- Nonproliferation experts have observed that these countries’ announcements of interest in nuclear power plants are strongly correlated with the growth of Iran’s nuclear program. Even if the Arab states are not now explicitly trying to obtain nuclear weapons, they may try to leave the option open as a future deterrent against nuclear attack if Iran decides to acquire nuclear weapons.

    核兵器の不拡散に関する専門家たちによれば、アラブ人口が多い中東と北アフリカ諸国の場合、核発電所への食指とイランの核プログラムのと間に、強い相関性が見られる、ということですね。現時点では核兵器を保有した意図は明示していなくても、イランが核兵器保有に踏み切った場合には、核攻撃を抑止するため、周辺のアラブ諸国も核兵器保有に踏み出す恐れがある、という専門家の観察でした。

    ついでながら、2013年ごろ、日本国の総理大臣が中東諸国に日本の原発のセールスに出かけたのも、覚えてらっしゃるでしょう。(たとえば、https://biz-journal.jp/2014/01/post_3746.html ) 上記の不拡散専門家たちの観察を考えれば、まるで「死の商人」のように見えてしまいかねない ・・・

    「次回以降」があれば~~

    上記以外にも、インドVSパキスタンの実例なども紹介できるのですが、もう充分に不安が募っていると思うので、事例紹介はこの辺にしましょう。

    パンデミックのただ中、東京では適切な対応が遅れに遅れ、検査もままならぬ現状です。ですから私がいつまでこの世にいるか分からないのですが、次回を書けるようであれば、次回からは核発電所のメカニズムそのものに見られる「核兵器と核発電の不可分性」に、話題を進めますね。

     

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「平和利用」という夢から目覚めよう

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    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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    ****************************************************************************「核の平和利用」と「軍事利用」とは別物だ → 「発電」と「兵器」は違う、というマヤカシに騙され、核兵器には断固する人々の一部も、「核発電」には反対していなかった ・・・ そんな事実が確かにあります。

    なお、放射線の医療利用や、サイクロトロンなどの研究利用については、使う放射性物質があまりにも微量なので、ここでは問題にしておりません。
    放射性物質をかなりの量 使用するといえば、現在ある限りでは、やはり「兵器」と「発電」ですよね。

    「核発電は軍事利用ではない、平和利用だ」というマヤカシがいまだに根強く、「核兵器」には(少なくても日本では)たいていの人たちが反対するのに、「核発電」となると、賛否の議論が生じてしまいます。
    しかし、実際にはこの2つが不可分であることは、ここまでに紹介してきた歴史上の実例が示しています。「原子炉」とはもともと、原爆製造のための機械だったのですから。

    「平和利用というマヤカシ」を指摘しているのは、私だけではありません

    一例として、森瀧春子という方が、「終わらないイラク戦争」(勉誠出版、2013)という書物の177ページから178ページにかけて、次のように述べておられます:
    「1960年代後半から・・・・顕著になってきた日本を含めた世界での原発建設問題にも取り組むようになったが、根強い「核の平和利用」支持論によって日本の反核運動全体の課題とはなり得なかった。・・・・・「軍事利用」と「平和利用」は別ものだとするレトリックに、平和運動も含めて、おおむね絡めとられてきたからだった」

    原発事故の被害を取り上げることも大切ですし、自己の被害を受けた方々への支援は必ず続けるべきです。
    同時に、「核発電」の「核兵器との不可分性」を訴えることも、もっと本格的に展開していかないと ・・・

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「ピストル諦めたら、オモチャあげるよ」では~~~

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    誰かによる「査察」があっても、核兵器が製造されてしまった実例として、Dimona の実例を紹介しました。
    もう1つの例として、北朝鮮のヨンビョン(ニョンピョン)核施設があります。北朝鮮のヨンビョン核施設での、IAEAによる査察の場合

    これはIAEA が査察に入っていたので、当のIAEA のウェブページを見てみましょう。
    https://www.iaea.org/newscenter/focus/dprk/chronology-of-key-events
    に、北朝鮮とIAEA に関連した年表があります。

    まず、2008の箇所をご覧ください。
    13 October 2008, DPRK grants IAEA access to Yongbyon facilities.
    とありますから、2008年10月に北朝鮮政府はいったん、IAEA がヨンビョン核施設を査察することを認めたわけですね。

    ところが。その翌年、2009の箇所を見ると、
    14 April 2009, IAEA Inspectors Asked to Leave DPRK. The Democratic People’s Republic of Korea (DPRK) has informed IAEA inspectors in the Yongbyon facility that it is immediately ceasing all cooperation with the IAEA.
    とありますので、2009年4月には北朝鮮政府がIAEAの査察団に、一切の協力をやめるから出ていけと命じたわけですね。
    実際、
    16 April 2009, IAEA Inspectors Depart DPRK.
    その翌々日には、査察団は出国したわけです。

    そして核兵器

    結局、北朝鮮が核ミサイルを保有していることは、今では広く報道済みの事実となっています。
    これじゃ、「IAEA は何のためにあるのだ~~」といったつぶやきも世界中で ・・・

    しかし大まかに言ってしまえば、IAEA (核発電は進めるが、同時に核兵器の拡散は食い止めようとする)や「核の平和利用」つまり “Atoms for Peace” といったスローガンそのものが、
    ある無理な「取引」を狙ったものです。

    簡単に言ってしまえば、その「取引」とは ・・・

    「核兵器をあきらめたら、核発電やらせてあげるよ」ってことです。
    ”核発電やりたいかい? やりたいなら、「核兵器は、あきらめます」と
    約束しな。約束を守っているか確認するため、IAEA が監視するからね”
    ってことです。(あくまで、すごく簡略化した表現ですよ)

    “Atoms for Peace” 演説をアメリカのアイゼンハワー大統領が国連でしたのは、
    1953年12月のことでした。それから、「核の平和利用」というスローガンが
    世界に蔓延ったわけですが~~

    もともとこれは、上記のような「取引」で核兵器の拡散を抑えようとしたものでした。
    しかも、アメリカ自体は核兵器の優位性を維持したまま。
    (これについては、すでに各種の研究の書物が出ております)

    要するに「ピストルをあきらめたら、オモチャあげるよ」みたいな~~

    ところが、その「オモチャ」たるや、改造すると核兵器開発に使えるオモチャ
    であることは、ここまでに紹介した通りです。

    つまり、この「取引」では、結果として核兵器の拡散を防止することは、
    できなかったわけです。

    やはり、「核兵器も核発電も」廃絶するしか ・・・

    ・・・ 現実には核による破局を回避するための方策は、ないようですね。

    どうも日本では、核兵器への反対と核発電への反対と、2つの勢力に分かれて
    のが実情だと見受けます。
    もう、両勢力が力を合わせるべき時なのでは?

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「不透明にしておこう」… ならびに核の拡散

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    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
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    核兵器保有の有無に関する情報公開についてのイスラエル政府の姿勢は、
    前掲の “Uranium” の p. 108 に簡略に記されています。
    “The prime minister who succeeded Ben-Gurion, — formulated a policy of “nuclear policy,” or “opacity,” that remains state doctrine today. In short, Israel will not publicly confirm or deny that it has the bomb, —-”
    要するに、イスラエル政府は核爆弾の保有の有無については、公式に「持っている」とも「持っていない」とも言わない、ってことですね。

    IAEAなりアメリカ政府なりは、なにを??

    アメリカ政府は核兵器の拡散を嫌っており、だからこそAtoms for Peace (1953年12月の、国連での演説)という方針を打ち出して世界の核利用をコントロールしようとしたわけですね。IAEAの設立も、そうした狙いがあったわけです。
    じゃ、そのアメリカ政府あるいはIAEAは、このDimona 核施設をほったらかしておいたのか??
    いえ、査察には行ったのです。IAEAではなく、アメリカの調査者たちが。1965年1月、またその他の時期のことでした。
    英語版Wikipedia の “Shimon Peres Negev Nuclear Research Center” というページで、History —> Inspections という個所をご覧くださいませ。
    https://en.wikipedia.org/wiki/Shimon_Peres_Negev_Nuclear_Research_Center
    にございます。
    イスラエル側は国際的査察団ではなくアメリカの査察団が来ることを要求、そこでアメリカは査察団を派遣したのですが、イスラエル側が査察の出来る区域を限定、真実は確認できなかったようです。そこでアメリカ側は1969年に査察を打ち切りました。もちろん、「おそらく、核兵器を隠してるなあ~~」と睨んだわけですね。

    YouTubeでもご覧になれます

    Nuclear Threat Initiativeという団体が、Negev Nuclear Research Center – Israel というビデオをYouTubeに公開してくださっています。
    https://www.youtube.com/watch?v=MbsNGkMgC0Y
    にあります。

    英語で、もちろん日本語字幕などは、ありません。

    反核(もちろん、反原発も含む)市民団体などでNuclear Threat Initiative と
    交渉して、日本語字幕をつけたバージョンを作成しては、いかがでしょうか ・・・

    ・・・ そんなことを言うとすぐに、「人材がいない! 資金もない!」

    といった反応が返ってくるのですが、そういった情報発信も長期的に展開していかないと、
    そもそも反核市民団体が存在している意味が、どこにあるのでしょうか??
    単に「反原発デモに参加してます」だけじゃ~~
    デモというのは、それをしている間に周囲に声が聞こえるだけで、しばらくすると忘れ去られてしまいやすいものです。実際、2011~12年ごろには日本であれだけ見られた反原発デモは、2020年4月の今、どこに消えたのでしょう?? コロナウイルスのパンデミックでデモができないのなら、ネットでの情報発信などは??

    情報発信をするための情報収集人材や linguists、ビデオ編集者、国際団体などとの交渉担当者などの人材を絶えず募集し、育成するということを怠ってきた市民団体が少なくないように思います。(私自身、以前は反原発市民団体と関わっていたから、これを言ってるんです!)

    それと、エラソーナことをヌカすようですが、そうした市民団体の多くで長期的な戦略が欠落しているように思いました。
    1930年代あたりからの現代史を溯れば、このDimona 核施設の実例も物語る通り、原子炉と核兵器は不可分です。それを歴史上の実例をたどって広く社会に示し、「核発電(原発)は、単に電力と環境(それも、重要ですが)だけの問題じゃない、核兵器という死に至る問題が絡んでいるんだ!」と訴えていく ・・・ そういう市民団体と、私は関わったことがありません。「核兵器と核発電の関わり」を唱えている団体は多いのですが、具体的な事例やメカニズムを紹介していないのですよ!

    現在のコロナウイルスによるパンデミックの中、私がいつまでこの世にいるか分かりませんが(もう、まったく若くないので)、この世にいる限りはこの「不可分性」の事例を、ここで日本語で紹介していきたいと考えております。

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“Research”(研究)と言ってるけど ・・・そして、ハニートラップ

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    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
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    ****************************************************************************

    今度は、そのイスラエルが「隠し持っている」と見られる核兵器製造施設のお話です。
    同国が出来たのは1948年のことですが、その前後から核武装を目論む人たちが暗躍していたそうです。現時点(2020年4月)で40歳代以上の方々であれば、1991年の湾岸戦争のことを覚えてらっしゃるでしょう。アメリカが中心となった同盟軍がイラクを攻撃、イラクが占領していたクウェートから撤退させた戦争でしたね。
    そのとき、イラクのサダム フセインがスカッドというミサイルを、イスラエルめがけて発射させました。アラブ諸国をアメリカとの同盟軍から寝返らせ、イラクと共にイスラエルを攻撃させようとしたのでしょうね。スカッドの攻撃を受けたイスラエル軍は、爆撃機をいったん出発させました ・・・それを聞いて、背筋に悪寒が走ったのは、私だけではなかったはず。なにしろ、イスラエルは核兵器を保有しているというのが、すでに「公然の秘密」になっていましたから。で、Tom Zoellner, “Uranium” (Viking, 2009) という書物が出ており、おそらく今でもAmazon (USA) から入手できると思います。本文320ページ程度で一般向けに分かりやすく書かれており、ウラニウムに関する各種の歴史上の出来事を一通り紹介してくれています。英語の書物を読みなれている皆様で、そうした出来事の入門書をお探しの方にはお勧めです。で、同書の103ページから113ページの記載を、以下にかいつまんで紹介しますね。

    建国の前後

    既にその頃、今のイスラエルのネゲブ砂漠に少量のウラニウム鉱が見つかっており、それを重水型原子炉(後日、説明します)で反応させれば、原爆の材料ができる~~ということを、イスラエルの初代大統領ベン グリオンが耳にしたそうです。かくして、イスラエル版のマンハッタン プロジェクトが始まります。その施設は、「合成肥料工場」だとされていました。

    「スエズ動乱」直後

    そのプロジェクトが本格的に進んだのは、1957年からのこと。フランスは最初の原爆実験を1960年に実施していますから、57年には原爆技術も材料もそれ相応に持っていたはずです。
    そのフランスからの援助を受けてネゲブ砂漠に地下施設ができ、「繊維工場」だとされていたそうです。フランスはさらに、ウラン鉱石を生成したもの、つまりイエローケーキも供給していた模様です。1956年の「スエズ動乱」(第二次中東戦争)でフランスとエジプトの関係がこじれ、フランスは中東に友達が欲しかったようですね。

    U-2から見ると、「怪しい」

    この「地下繊維工場」の周辺では、おかしな地殻の動きが検知されていました。CIA は1960年当時、U-2というスパイ偵察機を世界中で飛ばせていたのですが、それが検知したそうです。しかもその近くの動きのパターンが、フランスのプルトニウム工場「マルクール」(Marcoule)周辺での動きに似ていたのです。(なお、マルクールでは炭酸ガス冷却の黒鉛炉や、トリチウム(水爆の材料として、よく使われます)製造用原子炉が稼働していました)

    「内部告発ヒーロー」の登場

    もう上記だけで、「かなり怪しい」ですよね?しかし、イスラエル政府は「無理な白を切りとおして」いたのですが、1986年、ついにネゲブ砂漠の当の施設にいた人物が、内部告発に踏み切りました。Mordechai Vanunu(モルデカイ ヴァヌーヌ)という技術者でした。
    彼はもともと、イスラエルの愛国者でユダヤ教徒だったのですが、自国の政策に嫌疑を抱くようになり、世界を旅するうちにキリスト教に改宗しています。(ユダヤ教から見れば、裏切り行為)
    そのモルデカイさんがネゲブの施設の盗撮写真を撮り、施設の詳細情報を英国のSunday Times という新聞社に密告したのです。同社は、核兵器や発電の専門家たちに、密告内容を確認してもらっていました。

    ハニートラップ

    その確認作業の間、Cindy という若い女性がモルデカイさんに近づき、二人は急速に仲良くなったそうです。デートを重ねるうちに、Cindy はモルデカイさんをローマ旅行に誘いました。
    ローマのアパートに彼が入ると、待ち構えていた2名の男(モサドのエージェント)につかまり、薬剤を注射され、テルアビブに輸送されてしまったそうです。Cindy もモサドのエージェントだったのですね。教科書的な「ハニートラップ」でした。
    あわれ、モルデカイさんは国家への裏切り行為で18年間の投獄に処されました。

    Sunday Times のほうは??10月5日号に、Revealed: The secrets of Israel’s Nuclear Arsenal(暴露: イスラエルの秘密核兵器)というヘッドラインの記事を掲載しました。

    それでも白を切る

    ここまで来たら、核兵器開発を認めそうなものですが、イスラエル政府はなお、白を切り続けました。それについて、次回。

    このモルデカイさんの内部告発に関しては、たとえば英国のBBCがドキュメンタリーを放送しており、YouTubeでもご覧になれます。
    Nuclear Secrets 4 of 5 Vanunu and the bomb という番組で、
    https://www.youtube.com/watch?v=aO9n0gXYkpw
    にございます。もちろん、英語です。日本語字幕など、ありません。
    日本の反核団体などがBBCと交渉して、日本語字幕を付けたものを
    YouTubeなどにアップロードしてみては、と思うのですけどね。

 

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果樹園(Orchard)の収穫は、核兵器??

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    やはり、イスラエル軍による「核施設と見られた施設」への爆撃・破壊です。
    今度は2007年9月、シリアのアレッポの東60kmほどの位置にあった施設への爆撃です。
    (Al Kibar (アル キバール)と呼ばれているようです)英語版Wikipediaでは Operation Outside the Box (枠から外れた作戦)と呼んでいる爆撃作戦で、https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Outside_the_Box  に記載があります。昔は Operation Orchard (”果樹園作戦”)と呼んでいましたし、日本語では今でも「オーチャード作戦」と呼んでいる場合が多いようです。

    この Operation Outside the Box については、どうも日本語での情報が少ないです。なぜなのか、私には分からないのですが。

    覚えてらっしゃるのでは?

    先日紹介したバグダット近郊での爆撃の場合とは異なり、Operation Outside the Box の場合には国際的なイスラエル非難は見られませんでした。2007年のことでしたから、読者の皆様も30歳代以上の方々なら、覚えてらっしゃるでしょう。

    で、このウェブサイトのフォーカスである「核兵器と核発電の不可分性」という視点からは、この爆撃された施設が核施設であったのかどうかが問題になります。
    これについては、IAEA が何年も調査を実施、2011年4月に「原子炉であった」と公式に確認しています。(https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4062001,00.html)
    https://www.armscontrol.org/act/2009-03/iaea-syrian-reactor-explanation-suspect にも、関連した記載があります。
    シリア政府は核施設であったことを否定してきたのですが、その根拠となる情報を IAEA に対して開示していなかったようですね。

    「どこの国か」なんて、気にしません!

    断っておきますが、私は何もイスラエル側を支持しているわけじゃ、ありません。イスラエルの秘密核施設についても、後日取り上げます。
    このウェブサイトの方針として、どこの国だろうが、どの団体だろうが、上記の「不可分性」の例証となるものは紹介してまいります。日本の東京でこれを書いていますが、日本の原爆開発計画についても後日、紹介するつもりです。(二次大戦中に、陸軍と海軍でそれぞれ実施されたのですが、まったくリソースが足らず原爆製造には至りませんでした)

    話を戻して~~

    再び英語版Wikipediaによれば、2008年4月28日、当時のCIAのHayden 長官の発言として、爆撃されたシリアの原子炉は「毎年、原爆1個あるいは2個程度分のプルトニウムを製造する能力があった」とのことです。さらに、北朝鮮のヨンビョン核施設(の原子炉)と「規模や技術が類似している」そうです。

    さらにアメリカの雑誌 The National Interest のウェブサイト
    https://nationalinterest.org/blog/the-buzz/north-korea-built-nuclear-reactor-syria-israel-destroyed-it-23922) には、次の記載があります。
    In 2002, the first North Korean components, technicians and scientists had arrived in Syria. The construction work, however, was concealed quite well — any communication to the outside was strictly prohibited.
    2002年に、北朝鮮から(同原子炉用)機材や技術者、科学者がはじめてシリアに到着した、というわけですね。でもそれは、厳密に隠蔽されていた、と。
    ただ、上記の2つは情報ソースがアメリカ政府寄りなので、どこまで公正な記載なのかは~~

    もっとも、英語版Wikipediaのほうにも、冒頭右のCasualties の箇所に、この爆撃による死者として
    10 North Korean nuclear scientists allegedly killed
    とあります。北朝鮮の核科学者10名が死亡した模様、というわけですね。

    すでに使っちゃった技術は、消せない

    先日、「原子炉グレード」と「兵器グレード」のプルトニウムについて、ごく短く言及しました。さらに言うなら、現在「発電」で主流となっている軽水炉(沸騰水型か、加圧水型化を問いません)では、特殊な稼働をしない限り、兵器グレードのPu は作れないのですね。
    すると、
    「じゃあ、原子炉と原発の ”不可分性” なんて、過去の話じゃないか!」という批判がすぐに発生しそうですね。でも、この「果樹園」爆撃は50年代や60年代の事件じゃありません。今世紀に起きた事実です。
    そして実際、ヨンビョンには空冷式・黒鉛原子炉が今もあります。
    https://www.armscontrolwonk.com/archive/502504/why-does-north-korea-have-a-gas-graphite-reactor/
    もともと「原子炉」とは原爆用プルトニウムを製造するために作ったもので、実際にそのために使用されていたのですから、その技術は消し去ることができません。いつか・どこかで、「本来の用途」の原子炉がこっそりと建設されてしまうリスクは、常に残っているわけですね

    では、次回は ”公正のためにも”、イスラエルのネゲヴ核研究センターにまつわる出来事を。

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爆撃オペラ

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
    ****************************************************************************

    私はアマチュアですが、ソプラノ カウンターテナー(男声ソプラノ)でして、
    依頼を受けると人前でオペラのアリアなど歌う場合もあります。
    だから、軍事作戦の名称に opera などと付けてほしくありません。
    しかし、今日取り上げるイスラエルによる空爆作戦の名称は、Operation Opera と
    いうものでした。「オペラ」のあらまし

    詳しくは、英語版 Wikipedia の “Operation Opera” というページに、詳細があります。1981年6月7日のことでした。イスラエル空軍が、イラクのバグダット近郊にあった
    Osirak (フランスでの名称、イラク側はTammuz 1、2 と呼んでいたそうです)という
    工事中の原子炉を爆撃し、使用不能にしたのでした。
    軽水炉で、1979年に建設工事が始まったものでした。

    イスラエル側の主張によれば、この原子炉が稼働を始めると、兵器グレードのプルトニウムの
    製造が可能になるため、そうなる前にぶっ壊さないとイスラエルの安全を守れなかったそうです。
    * プルトニウムには「兵器グレード」のものと「原子炉グレード」のものがあって、Pu の同位体のうち239が原子炉などで製造されると、同位体240なども生じて混在するのですが、240は核分裂性ではないので、239の純度が高くないと(多くは、93%)原爆に使いにくいのですね。そうした高純度のPu を「兵器グレード」と呼んでいます。「原子炉グレード」のものは、239の純度がずっと低いのです。
    なお、使用済み核燃料の再処理でのウラニウムから兵器グレードのPu を製造でき、そのため
    IAEAなどでは再処理には目を光らせてきているわけですね。(「じゃあ、なんで、日本の
    六ヶ所村には再処理工場が?」という疑問が生じますが、日本だけ例外扱いに
    なっているのです。詳しくは、また後日)

    「正体」がよく分からない

    しかし、このOsirakはフランスから購入したものだったのですが、そのフランスはそれが
    科学研究用の平和利用に限定されたものであったと主張しています。しかも、フランスの技術者が現場で指導を努めていました。(そのうち一人が、爆撃で死亡されました)

    ですが、IAEAの検査官であったRoger Richterという方の1981年10月の証言によれば、
    Osirak施設の一部しか、IAEAの査察を受けてはいなかったそうです。しかしIAEAの当時の事務総長Eklundさんはそれを批判、RichterはOsirakの現場を検査していないと述べていました。

    しかも、上記のWikipediaのページの”Iraq’s nuclear program” という個所には、
    — The purchase also included —the sale of 72 kilograms of 93% enriched uranium and the training of personnel.
    とあります。通常の原子炉で使うには93%濃縮ウランなんて不要で、核分裂性のU235の純度は数%のものが、発電には使用されるのですが。90%を超えるのは、基本的には原爆用のウラニウムです。なんでこんな高濃縮ウラニウムが必要だったのか、何を調べても分かりません。
    どなたか、ご存知でしたらご教示くださいませ。(heeday*jcom.home.ne.jp <– * を @ に置き換えてくださいませ)

    この爆撃はもちろん、国際的に非難を浴びました。
    ただ、それから10年後、1991年にアメリカ率いる連合軍がイラクを攻撃しました。
    (Operation Desert Storm) その際、「この81年のOperation Operaがイラクの各施設を
    ぶっ壊してくれたおかげで、連合軍はイラクが核兵器を隠し持っているんじゃ?という
    心配なしに攻撃ができた」という意見もありました。

    やれやれ~~ いったいこのOsirakが本当に平和目的だったのか、軍事用とも兼ねていたのか、それはいまだ確認できていないわけです。

    ただし:

    原子炉を悪用すると、原爆開発につながりえる
    という危険性は、明らかですよね。だからこそ、イスラエルはわざわざ
    Osirakを爆撃したのですから。国際的非難を浴びることも覚悟の上で。

    そうした「原爆を作らせないための、予防的爆撃」の例はもう1つありました。
    次回は、それを。

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英国核武装の紆余曲折、そしてKGBのスパイ

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
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  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
    ****************************************************************************

    英国の核武装化とそれに伴う原子炉建設の動きは、紆余曲折してました。
    核武装に関する略史は、英語版Wikipedia の “Nuclear weapons and the United Kingdom”
    https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_weapons_and_the_United_Kingdom
    というページにあるのですが、流れが二転三転した歴史だったので、年表形式で極めて
    簡略にまとめてみます:1939 - 英国のバーミンガム大学で二名の物理学者が、ウラニウム235 を核爆発させる
    には、10㎏程度以下で可能であることを推定。
    * 本来、この発見は軍事利用を前提としたものではなかったようですが、第二次大戦中
    が始まり、連合国側には「ヒットラーが先に新型超爆弾を実用化したら ・・・」という
    強力な不安があり、当然のように軍事利用の努力が始まることになります。
    アメリカは S-1 Project という核兵器開発プロジェクトを開始しましたが、当初は貧弱なものでした。(でも後に、これが有名な Manhattan Project に発展していきます)1940 - この時点では英国の核兵器技術の方がアメリカより進んでいたので、
    英国はアメリカの S – 1 に技術情報を提供。情報交換が進む。1941 - 英国独自の原爆開発を進めるため(カナダも協力)、Tube Alloys
    という局を設立。しかし英国には開発プロジェクトのための
    リソースが不足していた。→ 両国の原爆開発プロジェクトが融合していった。

    1943 - 両国はこの核開発での協力に合意し、Quebec Agreement(ケベック合意)を
    交わす。
    * そうして英国は物理学者や技術者をアメリカに派遣しますが、その中にすでに、
    旧ソビエト連邦のスパイが潜入していました。(後述)

    1945 - 広島と長崎を原爆で破壊。第二次大戦終了。
    * これで、核兵器開発での協力の必要性そのものに、疑問が呈されることになりました。
    英国は「最重要の緊急課題」として、自国の原子炉とプルトニウム抽出との施設の
    新設を承認。

    1946 - アメリカのMcMahon Act(マクマホン法)が成立、協力が解消。
    * 上記のスパイ潜入も、この解消に至る大きな要因であったことは、言うまでもありません。
    英空軍のTedder 参謀長、1957年までに推定で200発の原爆が必要になると推定。

    1949 - 旧ソビエト連邦が、原爆実験に成功。
    * 西側は、あわてます。英国はアメリカとの協力再開に努め、Windscaleでできる Pu とアメリカの濃縮 U235 との交換などを提案したのですが、結局合意には至りません。

    1950 - Windscale Pile 1、稼働開始。

    1951 - Windscale Pile 2、稼働開始。

    1952 - オーストラリア西部の Monte Bello 諸島で、英国が原爆実験に成功。
    それ以降、Blue Danube (青きドナウ)という自国製原爆を実戦配備。

    1957 - 旧ソビエト連邦、史上初の人工衛星「スプートニク1号」の発射に成功。
    * これでアメリカが大いにあわてたのは、有名な話ですね。
    それを機に、米英両国は核兵器での協力を再度模索、アメリカはマクマホン法を
    改正し ・・・

    1958 - ・・・ 英米両国は、相互防衛協定を締結。

    ま、あくまで上記は、かなり概略化した年表です。
    それでも、原子炉と核兵器の不可分な結びつきが窺えますよね。

    スパイが入り込んでいた!

    スターリンは、おバカさんではありませんでした。
    マンハッタン プロジェクトの中枢だった Los Alamos 研究所に、
    少なくても 3人もスパイを潜入させていたのです。

    J. Mahaffey, “Atomic Awakening” という著作の p. 203 から
    かいつまんで紹介すると、

    ・・・ Klaus Fuchs は英国から派遣されてきた物理学者、Ted Hallは
    シカゴ大学の物理学者、David Greenglass は機械技術者だった。
    ・・・ 彼らから集めた情報をもとに、旧ソビエト連邦は1946年、エンリコ
    フェルミのChicago Pile によく似た原子炉を作成していた。Arzamas-75
    という名称だ。・・・

    なお、この3名のスパイのうち、Hall 以外の2名は二次大戦後に逮捕され、
    服役したそうです。Hall の正体が確認されたのはかなり後で、
    1997年のことだったそうです。

    1949年の旧ソビエトによる原爆実験は秘密裏に行われましたが、その
    原爆は長崎を焼き滅ぼしたFat Manに類似したものだったそうです。
    やはり、原子炉と原爆の関連が現れた事実の例ですね。

    なお、「ソビエトのスパイが~~」などと記すと、
    「ゴルゴ13 かなにかの、読み過ぎじゃないの??」とか
    言われそうですが、上述の “Atomic Awakening” は
    核関連の歴史を科学者が記した書物でして、
    スパイ小説でもなんでもございません。
    Webなら、Atomic Heritage Foundation のウェブサイトにも
    Fuchs に関するページがあって、
    https://www.atomicheritage.org/profile/klaus-fuchs
    でご覧になれます。
    BBCのテレビ番組でも以前にFuchsのことを紹介しており、
    https://www.youtube.com/watch?v=FEa1izkc0pw
    でご覧になれます。

    フランスや中国は??

    フランスや中国での核兵器開発と原子炉の不可分な関係を
    調べて取り上げることもできますが、この「不可分性」の
    実例としては、これまでの3国で充分じゃないでしょうか??

    次回からは、イラク、シリア、イスラエル、イラン、北朝鮮、南アフリカ、
    リビアといった諸国での実例を、それぞれかいつまんで
    見ていきたく思います。

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英国の「初期」原子炉

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では、英国の「初期」原子炉なのですが、
ブリテン島の西岸、アイリッシュ海に面する
Windscale Piles – 1, 2 というのが英国最初の実用原子炉でした。
稼働開始はPile -1 が1950年10月、-2 が1951年6月のことでした。
(シカゴ大学の実験用原子炉がChicago Pile – 1 と呼ばれていたように、
Windscale も pile と呼ばれていました。なぜか?たとえば
https://www.atomicheritage.org/history/chicago-pile-1
などにある写真を見れば、明らかですよね)

なお、Windscale という地名は、1981年に Sellafield と改名されています。
そのあたりの事情は、日本語の書籍であれば、秋元健治、「核燃料サイクルの闇」
(現代書館、2006)に解説があります。

で、どんな「原子炉」だったのか??

James Mahaffey, “Atomic Accidents” (Pegasus Books, 2014) という
核事故の歴史を概略した書物のpp。162-163 に、Windscale Piles の
構造図があります。
Webであれば、かなり略式の図が
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Windscale-reactor.png
にあります。

p. 162 の図には water duct なるものがありますが、これは図のすぐ下の
説明にある通り、”The water duct was used to cool off the used fuel as —”
ということですね。つまり、使用済み燃料を冷却するためのものでした。

「え! 冷却水を使っていなかったの??」

はい、原子炉の冷却水システムはありませんでした。
「空冷式」原子炉だったのですね。
「なんだあ、じゃあ水のパイプとかなくて当然だね」と
安心しないでください!
発電用原子炉であれば、原子炉を冷却する水システムが
必ずあって、原子炉で水が高温の蒸気になり、その蒸気を
使って発電用タービンを回します。(今までのところ、
発電用原子炉はすべてそういう仕組みです。なんらかの
水システムで蒸気を発生 → 発電用タービンを回す、
というメカがないと、発電できません!

つまり、Windscale Piles は発電用じゃなかった

ということですね。じゃあ、何のために使っていたのか?
それはもう、たとえば
https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_Piles
のReactor usage という個所をご覧になるだけで、分かります。
Plutonium production(プルトニウム製造) と明記されていますね。

なお、Windscale Pilesは1957年10月に大事故(火災)を起こし、
廃炉へと向かいます。その事故の原因などについては、
上述の “Atomic Accidents” の pp. 173 – 183 を、
周辺地域の放射性物質汚染については上述の
「核燃料サイクルの闇」の第III章を、それぞれ
ご覧ください。レベル5 だったようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Windscale_fire)

要するに「原爆製造のための施設」

もうお分かりと思いますが、Windscale Piles も
初期原子炉の例にもれず「原爆製造のための施設」
だったわけです。
「原発と原爆が頭の中で結びつく ・・・」のは、
こうした歴史上の事実をわきまえるなら、
むしろ当然のことです。「結びつかない」で
考える方が、事実に反しております。

したがって、Windscaleに至るプロセスには、
英国の核武装計画はもとより、Manhattan Project も
「KGBのスパイ」も関わっていたのですが、
それらについては次回。

 

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マヤクでの爆発

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では、そのマヤクでの大事故について。

James Mahaffey という核発電推進派の科学者による、”Atomic Accidents” (Pegasus Books, 2014) という書物があります。
その283-284ページによれば、マヤクの核施設で
・ 1956年、あるタンクにつながる冷却水パイプが破裂したが、地面を掘って故障個所を見つけ修理をするのは大変なので、そのパイプへの給水を止めてほったらかした。
そのタンクの中には放射性物質も多量に含まれ、それを冷却する水が絶たれたことになる。
・ タンクの中で、放射性物質が崩壊熱により高温に達した。タンク内には、硝酸アンモニウムとアセテートも混在していた。(日本語版Wikipediaの「アンホ爆薬」というページも参照)
(一種の爆弾タンクが出来ていて、それが放射性物質の崩壊熱で高温に達したわけですね)
・ 1957年9月29日、それがついに爆発。黒鉛と破片が、大空高く1kmほどまで飛んで行った。

結局、70から80トンほどの放射性物質が放出されたそうです。
近隣住民全員に退去命令が出され、爆発から2年以内に約10,000人が移住したようです。
汚染地域は今では「ウラル東部自然保護区」に指定されていますが、この悲劇の
隠蔽のためであることは見え見えですよね。
同書の265 – 266ページによれば、この事故については長らく隠蔽されており、ソビエト連邦の崩壊後の情報公開で、ようやく明らかになったものです。実際、1960年5月には有名な U-2 というスパイ飛行機がマヤクの上空を飛んで調査をしていたのですが、撃ち落とされたそうです。

隠蔽・・ 軍事機密

そもそもこのマヤク核施設の存在そのものが長らく極秘とされており。そのためこの爆発も
Kyshtum disaster といった名称で呼ばれるようになりました。Mayak という名称が、
長らく知られていなかったわけですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kyshtym_disaster  によれば、マヤクは当時の地図にも
掲載されていませんでした。そこで働く人たちにも、「何の施設なのか」などは極秘とされて
いました。(上記の書物の265ページ)

東西を問わず、軍事活動には秘密が伴うものです。
原子炉とはもともと、その軍事用の設備であり、特に
初期には「最先端兵器技術」のためのものでしたから、
国家機密として覆われてしまうことが普通でした。
(アメリカの Hanford Site も、そうでしたよね)

Hanford の場合、敷地の周辺に住んでいた人々およそ2,000人が、
核施設建設に先立ち立ち退きを命じられました。
(たとえば、https://www.atomicheritage.org/history/civilian-displacement-hanford-wa
マヤクの場合、上記のとおり、爆発で10,000人ほどが移住を余儀なくされました。

* なお、INESによる核事故のスケールでは、このマヤクの惨事はレベル6 とされています。
福島第一とチェルノブイリがレベル7ですから、かなり悲惨な事故だったのですね。
(英語版Wikipediaの”Kyshtym disaster” というページ)

無視された被害者たち

・ 真実も告げられず、「逃げろ」と命じられ、
・ それまでの生活基盤やコミュニティを失う
50-60年後の福島第一のメルトダウンでも似たような悲劇が起きてしまったのは、
皆様もご存じのとおりです。

以上、東西冷戦の西側においても東側においても、
原子炉は本来、「発電機器」ではなく「プルトニウム製造設備」
であったことを見てきました。

では、米ソ以外の原子炉は??
気が重くなりますが、次回は英国の初期原子炉を見てまいりましょう。

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