b-6) (原子炉の正体) フランス III

“Unfit for Purpose” よりの抜粋・
日本語化紹介

2023年2月

フランスのページが他国より多くなりましたが
私にはなにも、フランスに恨みがあるわけじゃ
全くありません。
そうじゃなくて、フランスの初期核兵器導入
が戦略的にまったく 「的外れ」 なもので
あったとの指摘が研究者よりなされている
ので、今回はそれを紹介するわけですね。
他の核兵器保有国でも、実際の核兵器
導入と 「抑止」 戦略とが不整合であった
ケースは、少なからず見られます

英語の論文を読める方は、ぜひ原文を
お読みくださいませ:
Full article: Unfit for purpose: reassessing the development and deployment of French nuclear weapons (1956–1974) (tandfonline.com)

2018/2/4
考えることがたくさんあって 疲れた ・・・
私の昔の20分クロッキー

上の黒いメニュー (項目は基本的にアルファ
ベット順) にある g-3) やg-4) に記した
ように、日本も 「潜在的核兵器保有」 と
いう戦略を捨てておりません。
はたして、潜在的核保有は本当に適切な
戦略なのか?? そうした問題提起を高め、
よしんば政府が基本戦略を考え直して
くれるように声を上げたいものです。
この基本戦略が変われば、結局は原発
政策にも影響するはずでは、ないですか

では、毎度ながら
私の抜粋・日本語化
< > 内は私からの補足説明
です。
できるだけ短いページにできるよう、
抜粋個所は最低限に抑えたつもりですが
やはり結局は長いページになりました。
何回かに分けてお読みくだされば。
原文はCold War Historyという出版物の
2021年 Vol. 21, No.3の
243-260ページだそうです

タコなら何でもたこ焼きにできるわけじゃ、ありません。 核兵器なら何でも配備すれば、抑止できるってわけじゃありません。

タコなら何でもたこ焼きにできるわけじゃ、ありません。
核兵器なら何でも配備すれば、抑止できるってわけじゃありません。

*************************
Unfit for purpose: reassessing the
development and deployment of French
nuclear weapons (1956 ‐1974)
(目的に合わない ― フランスの核兵器
開発と導入の再評価、1056-1974)
Benoi Pelopidas, Sebastien Philippe
<両者とも、フランスの国際研究センター
CERIの研究者でいらっしゃるそうです>

2020年12月20日発表

要旨
本論文では、1974年までのフランスでの
核兵器政策の戦略的合理性と信頼性とを
再評価するが、こうした再評価としては初めて
のものである。全世界から収集した未公開で
あった一次的文書、そして専門的な分析に
より、冷戦初期のフランスの核兵器調達と
配備とが精密な全体的戦略設計や戦略的
合理性の要件とかみ合わなかったことを
示す。フランス核装備の第一世代には
さらに、技術的な信頼性もなかった。
諸外国の援助を受けていたにも関わらず。
フランスの高官数名をはじめ、同盟諸国や
敵国もそうした問題を認識していた。
こうした新発見により、<今まで例外的な
扱いを受けてきた> フランスの核の歴史
は例外的なものとされなくなった。冷戦時代
の核装備の歴史に関する従来の常識が、
覆る。
*************************
通念としてはXXXだと信じられてきた
けど、よく調べたら実は△▽△だった~~
なんてことは、少なからずあります
よね。

よく調べてみたら、浮気の証拠が ・・・ よくある話ですね

よく調べてみたら、浮気の証拠が ・・・
よくある話ですね

では、本文からの抜粋に進みましょう。
*************************

本論文では、全世界的に開示されることと
なった一次資料と新たな専門的分析により、
フランスの核導入プログラムの戦略的、
政治的、技術的側面を再検討する。特に、
1956年から1974年にかけてのフランスの
核兵器第1世代の開発と配備について、
再評価を行う。その再評価に基づき、本論
ではフランスの核武装プログラムや核武装
一般に関する学術的理解に対して重要な
意味のある2つの主張を提示する。
第1に、<フランスでの> 核武装
プログラムの発展は何ら計算された
戦略的正当性に従ってはおらず、
ド・ゴール主義の 「グランド戦略」 との
整合性もない。第2に、フランスの
force de frappe <辞書的には 「攻撃力」、
実際には核軍備> は少なくても1974年
になるまで独立した存在でも、信頼できる
抑止力でもなかった。冷戦初期当時には、
独立した信頼できる抑止力だとみなされ、
現在でもそう思われているのだが。1974年
になると、フランスとしては3機目の弾道
ミサイル搭載潜水艦が就航、<フランス軍
は> 海洋に常に配備され、<敵国からの
核攻撃を受けた場合にも> 存続して機能
しうる能力を得た。フランスのPlutonと
いう戦術核ミサイルがアメリカのHonest
John
ロケットに取って代わり、NATOは
抑止力に対するフランスの核武装の
貢献を認めるようになった。2  この事実は
広く認識されているが、まだ充分には研究
されておらず、したがってその含意も
本論文で取り上げる。
*************************
新しい技術が登場したから、とにかく
入れてみたい ・・・ でも、本当に
ニーズに合っていたのでしょうか??

新技術! たこ焼ロボット

新技術! たこ焼ロボット

では、P.245 – 246へ。
*************************

方法論的な面を述べるなら、本論における
フランスの核武装の歴史の再考により、
核武装に関する学術考察における 「実存的
抑止というバイアス」 の存在を確認できた。
つまり、適切な証拠なしでとにかく核兵器が
あれば抑止効果があるのだ、と想定して
しまうバイアスだ。<← 文字色協調は、私>
安全保障に関する研究に限らず、この
バイアスが存在している。8  本論文の結論
として、核兵器プログラムや 「核を持った国
の勝ちだ!」 といった主張の発生また永続化
がその国内に及ぼす影響についての、
さらなる研究を求めるものである。9
<8とか9といった数字は、英語本文中の
典拠を示す番号です。上のリンク先にある
原文をお読みになり、転居も知りたいと
いう方がいらっしゃる場合のために、
これら数字も入れておきます。
そうでない方は、無視なさってください>
・・・ (中略) ・・・

I. 「戦略なきプログラム」
フランスの核兵器に関する歴史や政策に
関しては、近年はあまり研究が発表されて
いないが、そうした研究を見るとフランスの
核政策を推し進めたのは戦略的合理性で
あったという想定が読み取れる。10
同様に、近年の学術研究を見ても ド・ゴール
は 「巨視的な戦略」 を描いていて、それ
には核兵器も計算に入っていたとの主張が
みられる。11 本章では、本論文の両著者は、
戦略的合理性ではフランスの核に関する
意思決定も軍事的実践も説明できないことを
述べる。

戦略的合理性は、次の3種類の要素で形成
されるものと理解できる。まず、戦略目標の
明確化。これは、それを達成するための
軍事的手段よりも先に定められ、そうした
手段をその目標に沿って進めていくことに
なる。そして、選択された手段や兵器の
システムが、そうした予め定めた戦略
目標に、適切に役立つものであるという
認識。第3に、戦略に関わる言論や主義
主張によって、これら2つの関係性を
明確に表明することだ。12 以下の
いくつかの段落では、フランスの
<核導入の> 場合には、これら3つの
いずれも欠落していたことを示す。

15-min with a ballpoint pen / ボールペンで15分
欠落 ・・・
私の昔の15分クロッキー

まず、<兵器などの> 調達プロセスが実際
に戦略的合理性にのっとって行われているの
なら当然予想されることとして、戦略がまず
明確化され、そののちに兵器などの選定と
予算確定が行われるはずだ。だが、実際に
一次資料を読んでみると、現実はその逆
だったのだ。最近まで公開されていなかった
アーカイブ文書や最近の刊行物、そして
現役のフランスの核関連高官とのインタビュー
などから明らかになったことだが、フランスの
核兵器政策と関連調達において、初期には
技術的手段が先にあり、それに合わせて
戦略的目標を決めていたのだ。13 高官の
一人はそれを、「戦略なきプログラム」 だと
述べていた。14

技術 <的制約> のためフランスの核に
関する選択にマイナスの制限が加えられた
ことが、幾度もあった。例として、核武装
関連で最初にフランスが着手したものは
爆撃機類であったが、これは長距離弾道
ミサイルを製造する技術がなかったためだ。
15 フランスの歴史家Claude Carlier は
はっきりと、ミサイル技術がフランスには
なかったため、爆撃機による原爆輸送を
既に1956年に選ぶことになったと語って
いる。16

フランスとしては初の核実験の6か月前に、
原子エネルギー委員会の代表2名のうち
一人であった高等弁務官Francis Perrinが
ド・ゴール大統領宛に直接送った1959年
7月27日付の書簡によれば、核兵器を
保有してもあまり実質的な利益はなく、
外交上の 「見栄」 を張れるだけのことだ。
しかも、フランスはむしろ脆弱になってしまう
とされている。20 この極秘とされた文書で
Perrinは大統領に、次のように警告していた。
<その警告内容は、P.247に続きます>
********************
要するに、「~~~という戦略的必要がある
から、XXXといった核兵器が必要だ」 というん
じゃなくて、「とにかく、核兵器がほしい! 戦略
とは無関係に! で、今作りえる核兵器は
○○〇だから、○○〇を作ろう」 ってわけで、
○○〇兵器を作った、というわけですね。
つまり、本当に核兵器が必要かどうかは、
実はよく検討していなかったわけです。
なんとなく、日本での核発電導入 (正力
松太郎の野望) とも、似た面を
感じませんか??

「なんでもええから、たこ焼き屋始めるんや!」

「なんでもええから、たこ焼き屋始めるんや!」

では、その「大統領への警告」 の内容の
一部を抜粋。
P.247です。上の警告の内容ですね。
********************

(冒頭部省略)
———-  本格的な戦争になった場合、
たとえフランスが侵略される脅威が生じたと
しても、核兵器を使用するという主導権を
持つわけにはいかない。戦術核でさえ、
使うわけにはいかない。仮想敵国は戦術
核をフランスの10倍ほど、すでに長年
保有していたからだ。まして、戦略核は使え
ない。もっとひどい脆弱性があるためだ。
(戦略核に訴えるなら、フランスという国家の
自殺につながりかねない。水爆数10発を
落とされれば、フランスという国家は消し
去られてしまうのだ) […]  したがって、
核兵器を保有するならば、戦闘となった場合
にはフランスは極度の危険に直面する結果に
なりかねない。そこには、直ちに招きかねない
結果を検討せずに核兵器を使用したくなって
しまう誘惑があるからだ。21
*********************
そのとおりですよね。持ってしまうと、使って
みたいって誘惑が生じるものですよね。
それと、戦争の相手がこちらより大量に
核兵器を保有している場合、確かにこちらは
核兵器を持っていても、使うわけには
いかない。つまり、その核兵器は無意味って
わけです。

「このたこ焼きロボット、あるんやから使ってみたいで」 「それ、鰹節ばらまくんで、苦情が来るんですが~~」

「このたこ焼きロボット、あるんやから使ってみたい」
「それ、鰹節ばらまくんで、苦情が来るんですが~~」          使えないご術ですね

P.248は、本文すべてを。
*********************

SSBN(Strategic Submarine Ballistic
Nuclear、弾道ミサイル潜水艦)の配備以前
には、フランスの核兵器の大半Mirage IV
爆撃機とSSBS S2というミサイルであった
が、その仕様を見ても手段と目的の間に
同じような不適合が分かる。Plateau d’Albion
<というフランス南東部の地> に配備される
ことになるSSBS S2 ミサイルは、旧ソヴィエト
連邦に向けてしか発射できなかったが、
ド・ゴールは繰り返しフランスの兵器はどの
方面からの攻撃に対してもフランスを防衛
できるものでなければならないと主張して
いた。22 発射時にどこ向きにでも発射できる
ように誘導する発射角の慣性ガイダンス
ユニットの整合化に技術的問題があった
ため、このミサイルは固定したある角度から
±60度の範囲内にしか発射できなかった
のだ。23 実に皮肉な問題であった。
なにしろ、確かにS2の慣性ガイダンス
ユニットは確かにフランス企業であるSAGEM
(Société d’Applications Générales de
l’Électricité et de la Mécanique
) とSFENA
(Société française d’équipements pour la
navigation aérienne
) が製造したものだが、
それにはアメリカの特許と暗黙の技術譲渡
とに頼っていたのだから。29


あっちもこっちも ・・・
私の昔の20分クロッキー

Mirage IVの方だが、それがフランスの抑止
戦略の基本となるという主張をしたければ、
この戦闘機の開発開始当初に想定されていた
本来の役割と、結果的に選ばれた技術的な
選択との両方を無視するしかない。30
Mirage IV を調達する際の正当化となった
のは、アメリカ軍ならびに英国軍との合同攻撃
に好都合だったというもので、こうした攻撃は
2500㎞離れたソヴィエトの都市20か所を
破壊するというものであった。31 1959年
4月21日付の空軍参謀総長による、機密
扱いにされていたノートによれば、その
20か所のうち2か所をフランスが破壊する
任務を受けているとすれば、戦略爆撃機
40機で十分だと見られていた。32 これを
フランス単独で行おうとするなら、最低でも
316機の爆撃機がなければソヴィエトの
防空網を突破できない。このノートは、こうした
シナリオは非現実的だとしていた。40機という
数値は、複数年にわたる軍事プログラムの
概要を定めた1959年11月の法律でも再度
登場している。「force de frappe の第1世代
として40発の原爆を保有、その輸送用
航空機も用意し、1968年まで配備する」
とある。33  結局原爆40発は製造され、
それらを前線の飛行中隊9個が運ぶ。
中隊9個合わせ36機の航空機を有する。
34 こうした数値は、<上述の> 1959年の
シナリオと明らかに合致している。1964–
68年に配備された航空機は、当時の空軍
参謀総長が考えていた戦略爆撃機では
なかったのだが。
**************************
まったくもう~~ 戦略は結局、無視されて
いたわけですね。つまり、本当に必要か
どうかも分からないまま、とにかく核兵器を
作ってしまったと。「核兵器」というと、
ほとんど発作的に 「抑止のため、必要だ!」
と反応しちゃう人たちがいますが、本当に
抑止のために必要なのは、何か??
それをまず、よく検討しませんと

「なんでもええから、ロボットを導入するんや!」 「それで、商売は繁盛するんでっか??」

「なんでもええから、ロボットを導入するんや!」
「それで、商売は繁盛するんでっか??」

P.249へ。
**************************

1959年春の時点で、Dassault社が開発中
だったMirage IV は長距離戦略爆撃機の
Mirage IVBだった。35 このIVBにしようと
いう決定が下ったのは1959年3月31日
のことで、 先行航空機3機への発注が出た
のは同年5月5日のことだった。IVBは
Mirage IV-01のプロトタイプと比べ、形状は
似ていたが倍ほどのサイズだった。エンジンも
2基追加して合計4基にするか、アメリカ
から大型エンジン2基を調達せねばなら
なかった。Mirage IV-01を巨大化するため
のエンジニアリング上のリスクや費用、
さらにアメリカからエンジンを調達せねば
ならないという理由から、当時の陸軍大臣
Pierre Guillaumatは1959年8月にこの
プロジェクトを廃止、Dassaultに代替の
ソリューションを考えるよう求めた。それが、
Mirage IVAだった。36

そのMirage IVA は、Mirage IV-01
プロトタイプをある程度改良しただけのもので
あった。後者は軽戦闘爆撃機として開発された
プロトタイプで、IVBよりも飛行距離がずっと
短かった。軍事立案者たちはすぐに、この
飛行機では、ソヴィエトの標的に達するには
再給油が必要だと気付いた。しかも再給油を
したところで、爆撃後に帰国するだけの燃料は
残っていないのだった。Guillaumatの決定が
発表された後、軍の士官やエンジニアたちは
大慌てで再給油用の航空機を探した。
Mirage IVAの飛行距離を延ばすためだ。
1961年1月、Mirage同士で再給油をする
という案は廃棄され、空軍で2番目の地位
にあったGrimal将軍はロンドンとワシントン
にいたフランスンのアタッシェたちに、Mirage
同士に代わる 「第2の選択」 を見つけよと
指示した。32  将軍はこの要請を正当化する
理由として、・・・ (その主張内容が原文では
続くのですが、省略)
*************************
やれやれ、原爆を落としといて、その爆撃機の
乗員たちが帰国できるだけの燃料がない
・・・ なんとお粗末な! 笑うしかないです
なあ。

「配達員やのうて、ロボットに配達させたら、ええ宣伝になるがな!」 「あのう~~、帰ってくるだけの電池容量がないんですが~~」

「配達員やのうて、ロボットに配達させたら、ええ宣伝になるがな!」
「あのう~~、帰ってくるだけの電池容量がないんですが~~」

P.250へ。
*************************

飛行中の再給油をしても、実質的に得られる
利点は僅かなものだった。Mirage IV の
最大飛行距離は、300マイル <約480㎞>
しか伸ばせなかったのだ。41
<フランス北部にある>Cambrai 空軍
基地からモスクワまでは、北寄り空路を
使ってデンマーク北端そしてフィンランドの
上空を飛びロシア領空に入る場合で、
約1650マイル <約2,650㎞> だ。
これは、1961年の空軍参謀長の地図による。
42 つまり、モスクワという最重要標的にたどり
着くには、Mirageは再給油を空中で行った
ところで、そこからまだ1,350マイル
<約2,160㎞> 飛行せねばならないのだ。
この爆撃機の最大燃料容量は、軽油でおよそ
15,000リッターであった。これを、1マイル
ごとに17.5リッター燃焼させる。(超音速
飛行が50%と想定)  つまり、最大でも
860マイル <約1,380㎞> しか飛べない
のである。43 この推定は、他の利用できる
データ地点のデータとも整合性が取れている。
44 KC-135 <という空中給油機> による
給油を受けたとしても、Mirage IV はモスクワ
に到達できないのだ。この推定については、
次章でさらに根拠を固めることとする。
そこで見るように、Mirage IV の役割は
すぐに高高度から低高度のものへと変更
され、最大飛行距離もおよそ半分に短縮
された。
************************
要するにこれじゃ、原爆だけ持ったところで、
それを敵国の首都まで運んでいけないの
ですから、まったく無意味ですなあ~~
(^O ^ ;;;) ワッハッハと笑うしか、ないです
なあ!
「核さえ持てば、抑止できる」 なんて単細胞
な 「信仰」 とは、いうなれば一種の
「核カルト」 に過ぎませんね。

「たこ焼き配達ロボット、途中で電池交換し たらどないや??」 「それでもまだ、大口のお客さんとこから帰ってこれまへんねん~~」

「たこ焼き配達ロボット、途中で電池交換し
たらどないや??」
「それでもまだ、大口のお客さんとこから帰ってこれまへんねん~~」

P.252前半へと飛びますね。
************************

ド・ゴールは同じ軍が同じような手段を二重
に保有する必要はないと述べていたのだが、
それで彼が意図していた優先順位は無視
され、しかも軍事予算が大幅に超過していた。
52 彼が大統領職を辞めてから7年後、
<フランスの学者にして政治家でもあった>
Alain Peyrefitte は、原爆製造という決定は
「行政が催眠術にかかったような状態で」
下されたものだったと結論付けた。53

Urban Mirage !
催眠術にかかったような ~~
“Urban Mirage I”
私の昔の作品

大まかにいえば、抑止のために必要なもの
とは、フランスを攻撃してもその結果として
もっとひどい損害を受けると仮想敵国に
信じさせる能力だけだと、ド・ゴールは考えて
いた。文献にはそれが 「攻撃者の腕をもぎ
取る」 という言葉で要約されていた。54
ド・ゴールのこの信念は一貫しており、攻撃を
受けるとどれだけの損害が出るかに合わ
せて抑止効果も変わるとしていたのだが、
具体的にどれだけの死者数であれば抑止
効果が得られるのかという問題になると、
1962年5月から1963年1月までの間
でも、推定数が大きく変化していた。55
2回の閣議の後では彼は、ロシアがフランス
を攻撃するのを確実に防止するためには、
「ロシアの総人口の1/4から1/2を処分する」
ないしは 「フランスの総人口と同程度の
ロシア人を処分する」  能力が必要だと語って
いた。56 当時の人口動態データによれば、
これは3,000万人 (ロシア人口の1/4)
から6,000万人 (ロシア人口の半分) を
殺害することになる。フランスの当時の
人口は、その中間であった。(世界銀行の
統計によれば、1963年で4,800万人)
第1世代の force de frappe に、こんな
ことは可能だったのだろうか?
************************
確かに、抑止力として核を保有するので
あれば、敵国が自国への攻撃をしたくなくなる
ほどの甚大な損害を、自国からの報復攻撃で
もたらす必要がありますよね。ところがその
報復の規模たるや、上記の通り大変な大量
殺害になってしまいます。これだけの虐殺を
実行するのは技術的にも大変ですし、そもそも
倫理的に許されませんよね。核というのは
本当に抑止力になるのか?それをまず、
よくよく検討すべきですね。

「結局、たこ焼きロボットなんか入れて、得になるんでっか?」 {1日に6,000個以上、焼いてくれたら} 「そんな無茶な!」

「結局、たこ焼きロボットなんか入れて、得になるんでっか?」
{1日に6,000個以上、焼いてくれたら}
「そんな無茶な!」

P.254に飛びますね。
*************************

AN11 <という原爆> は、実に厄介な代物
だった。 初歩的で小型のインプロージョン
<プルトニウム型原爆は起爆するのに
implosion という特殊な起爆方法が必要
です。単にドカーンと起爆させるんじゃなくて、
密閉した容器内で、爆発的な圧力を1点に
集中させて加えるわけです。その1点に、
Puがあります> 型の設計で、フランスが
実施した最初の3回の核実験では、この
原爆を試した。(Gerboise Bleue, Blanche,
Rouge <「青い/白い/赤いトビネズミ」、
上の黒いメニューにあるページ b-5) の
「軍事化」 という個所を参照>) この3回
の核実験は、いずれも1960年に行われた。
この設計には重大な安全性の問題があり、
たとえば使われていた爆薬はプルトニウム
コア <プルトニウムを収めた中核部> で
発生する高熱 <放射性物質は、自然に
「崩壊熱」 を自ずから発生します> による
影響を受けやすく、その熱のために亀裂が
発生しやすい。69  AN11が実際に配備
されたのは1964年7月のことであったが、
爆薬の爆発事故があった場合にプルトニウム
の散乱が起きてしまう危険についての安全性
試験や研究が完了したのは、1965年11月
のことであった。70  さらにこのような原爆を
意図的に爆発させても、fizzleしてしまう場合
が少なくない。<本来、コーラなどの泡が
発生して “シュワー” と消えていく音。
転じて、少しだけ爆発して大爆発を起こさない
ことを指します> つまり、意図したよりも
ずっと小規模の爆発で終わってしまうのだ。

もうひとつ、単に 「シュワー」 と消えて終わってしまうものの例 (ドライアイス)

もうひとつ、単に 「シュワー」 と消えて終わってしまうものの例 (ドライアイス)

初期の設計の原爆では、fizzleが発生して
しまう危険性は10%から20%と高かった。
71 最後に、 Finally, the yield of the AN11
ならびにその後継であるAN21とAN22 は
いずれも本論文の対象機関に配備されたの
だが、名目上の爆発力で爆発威力が平均で
50キロトン、実際には5キロトンから70キロ
トンという範囲であり、これではソヴィエトの
諸都市に狙い通りの損害を招くことは不可能
だ。72 モスクワやキーフ、レニングラード
<現在のサンクトペテルブルク>、
セバストポリ <ウクライナのクリミア半島に
ある都市> にこうした原爆を落とした場合の
民間死者数は、1都市あたり4万人から
13万人で、force de frappeが目標として
いた3,000万人から6,000万人のソヴィエト
連邦市民という数値には程遠い。 73

Mirage IVがソヴィエトの主要標的を攻撃
できる能力に関しては、この爆撃機では
モスクワに到着できなかったことは、今では
明確になっている。74 驚くような話だが、
Dassault社の営業ヘッドを務めていた
Gallois将軍は、この爆撃機の仕様に
ついてJean Cabrièreというエンジニアと
ともに作業をしていたのだが、その将軍が
あるアメリカの諜報ソースに対し、1963年
に内密にこう語ったのだ。Mirage IV を基盤
とした第1世代のフランスの核兵器は、
(まだ実戦配備もされていなかったその時点
で) すでに旧式化していた。それでも、
この核兵器体制を1975年まで維持せねば
ならなかった。これは、ミサイルと核弾頭の
プログラムが遅延していたためだ。75
************************
国防費の膨大な無駄遣いとは、こういうこと
ですね!
軍事とは巨大な費用を費やすものですから、
まずは本当に必要なのは何なのか、
それを明確にしませんと。

「機関銃で攻めてくる奴らに、そんな高価な日本刀で向かっていっても ・・・」

「機関銃で攻めてくる奴らに、そんな高価な日本刀で向かっていっても ・・・」

P.255へ。
************************

1974年、フランス軍のプランナーたちは
ようやく、ソヴィエトにある地対空ミサイル発射
基地すべての正確な位置を突き止めた。
しかもそれは、アメリカの諜報機関からの
情報共有によるものであった。80
************************
やれやれ~~

「それで、敵はどこやねん??」 「やれやれ~~」

「それで、敵はどこやねん??」
「やれやれ~~」

P.256へ。
************************

ソヴィエト連邦 <にある資料> を調べると、
フランスの force de frappe が確かに実行
できる機能があるとすれば、それは先制
攻撃のみであり、それ以外の機能において
信頼性があるとの見方がほとんど見当たら
ない。だがこれは、そもそもフランスの核武装
の正当化に掲げられていた目的の正反対だ。
先制攻撃を実行するなら、自殺行為だと
みなされていた。つまり、先制攻撃など行え
ばソヴィエトの報復攻撃を招き、フランスは
消滅してしまう。いずれにせよ、フランスには
攻撃する意欲はないものと見なされていた。
82
・・・(中略)・・・

ソヴィエトはフランスの核兵器を、主に
NATO内部の力関係のためのものだと
考えていた。1965年には、フランスはその
核武装を “同盟諸国” との 「政治ゲームで
のカード」 として利用するつもりだという見方
が固まっていた。85
************************
単なる 「ええかっこしい」 のための巨額
出費だった、というわけですね。市民の税金
を、なんだと思っていたのか!? 日本の
現時点 (2023年2月) の政権も、防衛費
倍増などと訴えていますが ・・・

「仲間内でかっこつけても、敵には通用しまへんでえ」

「仲間内でかっこつけても、敵には通用しまへんでえ」

では、Conclusionへと飛びますね。
P.258へ。
************************

本論文の研究での最初の発見事項とは、
フランスの核兵力の発展は混とんとしており、
戦略的合理性がまったく欠落していた、という
ものだった。ここから、<従来は戦略的で
例外的と思われていた> フランスの核導入
が例外的ではなくなる。他の核兵器保有諸国
での導入の歴史に近づくのだ。そうした諸国
でも、核の導入に関しては公的な正当化と
核プログラム・思想・核兵器との間に不整合
が見られた。従来の核や冷戦に関する研究
では合理性の協調が再度高まり、安全保障
ばかりにフォーカスが絞られていたのだが、
フランスでの核兵器に対する姿勢の形成を
説明するには、そうした特性は不適切である
ことが分かる。99 このように考えるなら、
フランスの核武装に関するディベートに
おける不整合や非合理性をBeatrice
Heuser<英国やフランスの大学で教鞭を
とった歴史学者・政治科学者> は診断した
のだが、Heuserの洞察を確認し活用する
ことができる。100 さらに、純粋に国産の
核兵器プログラムなどというものは存在し
なかったというItty Abraham<”The
Making of the Indian Atomic Bomb” の
著作が名高い、アメリカの研究者> の
主張も、確認できる。101 そして最後に、
近年はフランスの核に対する姿勢が
「まったく一方的に増大を続けた」 例の1つ
であるとの意見があるのだが、それが誤りで
あることも分かる。むしろ実際には何らかの
触媒となる姿勢があって、それを反映した
技術が導入されていたことが分かる。
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P.259へ続きます。
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20分クロッキー 母は偉大なり!
疲れた~~ まだあるの??
私の昔の20分クロッキー

ド・ゴールは専門的な詳細を考えたり批判的
な意見を聞くことが嫌いだった。また彼は
自己表現の在り方に謎が多く、フランス産
技術の実力を信じたがっており、しかも彼の
顧問たちもド・ゴールとは彼に反論したり違う
意見を述べることをためらっていた。その
ためド・ゴールの周囲には、主要公務員や
産業界がフランスの体系的な核導入を好きな
ように進めることのできた空間が出来
上がった。<裸の王様のお話になぞらえて
言えば、> 王に相当するド・ゴールは自分用
の新しい衣装を見て大喜びしたのだが、彼の
従者たちは何ら信頼に足る国家安全保障を
実現しておらず、むしろ具体的で恒久的な
国内への影響を作り出した。彼らは新しい
権力と特権をもたらす地位を固定化させた
のだが、その努力の先にあるものは文字通り
Mirageつまり蜃気楼に過ぎず、それは彼ら
自身も認識していたのだろう。
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呆れかえった ・・・・
私の20分クロッキー

やはり、フランスでも 「核マフィア」 とでも
呼ぶべき勢力が形成されていたわけですね。
日本では 「原発村」 とか 「原発マフィア」
などと呼ばれていますが、実は潜在的
核兵器保有という国家戦略が裏に潜んで
いるので、私自身はハッキリと 「日本の
核マフィア」 と呼ぶ場合もございます

では、いわゆる「核兵器保有5か国」のうち、
残っているのは中国だけになりました。
次回、このページ シリーズb-x) の新ページ
をアップロードするときには、中国での核導入
を扱うことになります

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