2025年6月
この4月22日、インドとパキスタンが
もう80年近くも領土問題を燻ぶらせて
きているカシミール地域にあるパハル
ガムという地で、テロ組織が観光客
(非戦闘員)26名を殺害する、という
惨事がありました。
当然、両国間には緊張が高まったので、
アメリカが速やかに介入しましたよね。
その背景には、インドとパキスタンの
両方が核兵器を保有しているという
危険な事実があり ・・・
ここまでは、多くの日本語メディアでも
報道されてましたよね。
でも、
・ そもそもなんで、この両国はここ
まで血なまぐさい関係になってしまっ
たんだ??
・ 両国とも核兵器を保有っていう
けど、本気で使用するつもりなのか??
といった疑問をお持ちの方々も、
日本語圏には多数いらっしゃるはず。
そういった疑問を探求していくと、
この2国の対立は実にアブない
「核の伏魔殿」のようなものだと分かる
はずです。
そこで、以下の順序でごく簡単に説明
してまいりますね:
1> 最近の2件
パハルガムの惨事、2025
一触即発の事態、2019
2> ずっと昔から~ 80年ほど遡って
次の3> と4> は、次回アップロード
予定の
b-11) (原子炉の正体) パキスタン II
で取り上げます ↓
長くなったので、I とIIに分けますね。
3> 「平和利用」で始まったものが ・・・
4> テロがきっかけで核戦争に発展
しえる
では、始めましょう。
1> 最近の2件
・ パハルガムの惨事、2025
英語版Wikipediaの2025 Pahalgam
attackというページをもとに、私が
極めて短く要約・日本語化しますね。
詳細をお読みになりたい方は、
2025 Pahalgam attack – Wikipedia
をどうぞ。
惨劇自体
カシミール地域にあるジャンムー
カシミールと呼ばれる地区は、
2019年までインドの中でも特殊な扱い、
一種の自治区に近いようなステータスに
ありました。しかし同年、インド政府は
同地区の特別扱いを廃止、インド共和国
の憲法を全面的に適用することに
しました。
ところがカシミール地域にはイスラム
教徒が多く、ヒンドゥー教徒主体の
インド政府とは対立することも
しばしば。
そのため、パキスタンに本部を置く
武装テロ組織などが、たびたび破壊
活動などをカシミールでやらかして
いたのですね。
そして4月22日、パハルガム。
M4カービンというアサルト ライフル
とAK47(カラシニコフ)という自動
小銃で武装した5名のテロリストが、
26人の観光客(当然、武装しては
いません)を殺害したのです。
この5名はThe Resistance Front
(TRF、抵抗戦線)というテロ組織の
メンバーのようで、観光客のうち
イスラム教徒を逃し、主にヒンドゥー
教徒を射殺していったと報じられて
います。
とんでもないこと・・・
私の点描練習
エスカレーション
「これは、両国では国を挙げての軍事
衝突にエスカレートしかねないなあ」と
皆様も思われますよね。で、その
とおり、両国間の緊張は高まり ・・・
5月7日には、インド軍は「シンドール
作戦」という軍事作戦を決行、パキス
タン並びにカシミールのパキスタン支配
地区にある軍事標的9か所を攻撃しま
した。パキスタンによれば、その攻撃で
非戦闘員の死者も出たそうです。報復
としてパキスタンは、カシミールの
インド支配地域周辺にドローンや
ミサイルによる攻撃を実施しました。
核兵器保有両国がここまで衝突しちゃっ
たら、大国が仲裁に入るのは予想でき
ますよね。案の定、アメリカが仲裁した
わけですね。
それと ・・・
上の膨張しすぎた黒いメニューでは、
項目は基本的にアルファベット順で配列
しています。そのメニューにあるページ
nd-1) の下の方 「推奨事項」という箇所
でも記したのですが、
”紛争のエスカレーションの中
での最悪の事態(核戦争)を抑止する
ためにのみ核抑止は有効であり、
それ以外の事態を抑止するには、
核以外の手法に投資すべきだ”
ということを例証する実例の1つが、
このパハルガムの惨劇直後の軍事衝突
であったという点にも、ご注意
ください。
で、カシミールをめぐる両国の衝突の
実例は、これ1つではありません。
ごく最近、2019年2月にも ・・・
プルワマでのテロ → 一触即発の
事態 2019
こんどは、NTIのウェブサイトにある
”Night of Murder”: On the Brink of
Nuclear War in South Asiaという記事
(2019年11月6日、Jeffrey Lewis著)
を、私が短く要約・日本語化しますね。
元の英語記事を読みたい方は
“Night of Murder”: On the Brink of Nuclear War in South Asia
をどうぞ。
いつもどおり、< >内は私からの
補足説明です。
*************************
2019年2月、ジャンムーカシミール
地区のプルワマというところで自爆テロ
があり、警察官46名が殺害された。
それを受けてインドはパキスタンの
(北部、カシミールの近くにある町)
バラコトに「テロリストの訓練
キャンプ」があると主張、この町に
空襲を実施した。パキスタンはその
インド軍のジェット戦闘機のうち1機
を撃墜、事態は収拾不能になって
しまう一歩手前に至った。
そのパイロットをパキスタンがインドに
返さない場合には、ミサイル攻撃を実行
すべきかと、インドのモディ首相は真剣
に検討した ― そう告げる報道が、
いくつかある。
実際、モディ自身もそれが真剣な判断で
あったと力説しており、もしパイロット
が帰ってこない場合には「殺人の夜」
(a night of murder) を断行する用意
はできていたそうだ。
一方、パキスタンのカーン首相はこの
「殺人の夜」は現実の脅威であったと
認めており、インドが実際にミサイル
を発射してきた場合には、「3倍に
して報復する」準備を整えていた
そうだ。
**************************
もうお分かりの通り、この両国間では
テロ攻撃 → 国の正規軍が報復など
→ 正規軍間の報復合戦
→ エスカレート → 核兵器使用
というパターンがありえるようです。
テロリズムなんてものは、いつ発生
するか予想できたもんじゃありません。
つまり、テロリストの思惑次第で
この地域で核戦争が発生する危険性を、
私たちの世界は抱えていることに
なります。
STOP WAR
私のTシャツ作品
「先制核使用をしない」という
宣言がない
恐ろしい事態をさらに恐ろしくして
しまう事実として、パキスタンの方は
「先制核使用をしない」という宣言を
していません。
上に記した、核攻撃へとエスカレート
してしまうパターンが、さらに現実味
を帯びるわけですね。
まあ、インドの方は「先制使用は
しない」と宣言してはいますが。
・・・ などと言うと、なんやら
パキスタンが凶悪であるかのように
聞こえるかも。でも、物事は印象で
判断してはいけません。
英語版WikipediaのNo first use
(核兵器の不先制使用)というページ
の内容の一部に基づき、その点を
説明しましょう。
(ついでながら、2025年5月31日
7:05am JST現在、このページも
日本語版がありません!)
元の英語ページを読める方は、
No first use – Wikipedia
をどうぞ。
Dona nobis pacem (われらに平和を)
私のTシャツ作品
先制不使用とはいっても ・・・
(2025年5月現在で)世界には核兵器
保有国が9か国ありますが <イスラ
エルもその1つと数えています。
イランはまだだと見ておりますが、
近い将来10番目の国になるかもしれ
ません>、そのなかで核兵器を「先制
使用しない」という宣言を公に発して
いるのは、中国とインドの2か国だけ
です。
で、件のインドによる先制不使用の宣言
ですが、これを同国が初めて採択したの
は1998年、同国が2回目の核実験を
実施した後のことでした。翌年8月、
同国政府はインドの核兵器は「抑止の
ためだけにあり」、インドは「<攻撃を
受けた場合の> 報復にのみ」核兵器を
使用しうる、との方針を記した草案を
公表しました。
しかし、「報復のみ」ってことは、
核抑止が崩れて他国(例えばパキス
タン)から核攻撃などを受けた場合
には、核兵器を使用して報復できる、
ということですよね。実際、2013年には
パキスタンが戦場用の戦術核兵器(小型
核兵器)を開発したとの報告が流れ、
それを受けてインドの国家安全保障
顧問団(National Security Advisory
Board)の議長は「戦術核による攻撃で
あれ、戦略核によるものであれ、その
規模とは無関係に、インドが核攻撃を
受けるならインドは大々的に報復する」
という趣旨の発言をしています。
さらに2019年8月、インドの国防大臣
はインドの先制不使用原則は「状況」
に応じて変わりえると述べています。
つまり、パキスタンの出方次第では
インド vs パキスタンの核戦争が
現実化してしまう危険性は、否定でき
ないということですね。
しかも、そのきっかけは正規軍や国家
政策ではなく、テロ攻撃 → 正規軍間の
交戦 → 核攻撃、というエスカレー
ションもありえるのです。
2> ずっと昔から~ 80年ほど遡って
では、何故この両国はここまで縺れ
合ってしまったのでしょうか??
それは、1947年の両国の独立の時点に
まで遡ります。両国はともにそれまで
英国の支配下にあり、この年に独立を
勝ち取ったのでした。
それ以降の展開については、STUDY IQ
というウェブサイトの
List of Indo-Pakistan Wars and
Conflicts, History and Causesという
ページにある情報をもとに、ごく簡略化
して紹介しますね。あくまで、ごく
簡単に要約した説明ですよ。
元の英語ページを読んで正確な詳細を
知りたい方は、
List of Indo-Pakistan Wars and Conflicts, History and Causes
をどうぞ。
なお、核兵器開発の歴史に入る前に
両国間の紛争史を取り上げるのは、この
対立の発展が核兵器開発と不可分に
絡んでいるからです。
1947年 第1次インド vs パキスタン
戦争
これまで英国が支配していた地域から、
この両国がそれぞれ独立したのは良い
のですが、上述のジャンムーカシミール
地域がどちらに帰属するのかという問題
で揉め、戦争になりました。国連安全
保障理事会が調停を始め、翌年には
分割線(Line of Control)を設けます。
さらに1949年初頭には停戦となり、
英国支配下では1つの藩王国(princely
state)だったこの地域は、パキスタン
とインドの間で分割されたのです。
でもこれ以降、この地域の領有をめぐり
幾度も戦争が ・・・
1965年 第2次インド vs パキスタン
戦争
ジャンムーカシミール地域の多くが
インド領とされたことに納得できない
パキスタンは、インド領内部の住民を
扇動して騒乱を起こさせる作戦に出ます。
もちろんインドも対応、なんと「西パキ
スタン」に対する本格的な軍事作戦に
打って出ました。(当時のパキスタンは
東西に離れた領土があり、日本語では
「西パキスタン」ならびに「東パキ
スタン」と呼んだりしていました。下で
述べるように、この「東パキスタン」は
後に独立し、今のバングラデシュとなり
ます)この戦闘は17日間続き、双方に
少なからぬ死者が出ることになります。
結局、アメリカと(当時の)ソヴィエト
連邦が調停を務め、停戦に至ります。
1971年 バングラデシュ解放戦争
上述の東・西パキスタンの間で対立が
起こり、「東」が独立を求めるに至り
ました。
きっかけは1971年にパキスタン中央
政府(「西」にあった)が実施した
「サーチライト作戦」というプログラム
で、東パキスタンに多い「ベンガル人」
という文化集団によるパキスタン中央
政府への反抗を鎮圧しようという作戦
でした。このため、数百万人のベン
ガル人たちが、インドに避難した
そうです。
当然、戦争になりそうだなあって
思われますよね。そのとおり戦争に
なり、インドはバングラデシュ側に
立って参戦しました。
結局、バングラデシュは独立を勝ち
取り、パキスタンは多くを失うこと
になります。
この経験があまりにも強くパキス
タン指導層を動かし、下でも述べる
ように本来は「平和利用のみ」で
あったはずのパキスタンの核開発
(原子力開発)は根本的に路線を
転換、核兵器開発を目指すように
なっていきます。「自分たちが軍事
的に強くなるしか、ない」という
わけですね。無論、3年後の1974年
に宿敵インドが核実験 “Smiling
Buddha”を成功させたことで、パキ
スタンの核開発には拍車がかかって
いきます。
1999年 カルギル戦争
カシミールにあるカルギルと呼ばれる
地域をめぐる戦争で、パキスタン軍の
部隊が上述のLine of Controlを越え
て侵入、インド軍も応酬し、これ以上
のエスカレーションを望まない
アメリカが調停を始めパキスタン軍は
撤退することになります。
ご注意いただきたいのですが、
この時点では両国ともすでに核兵器を
保有してました。
つまり:
核兵器保有国同士であっても、この
カルギルでの通常兵器による戦争を、
核は抑止してはくれなかったのですね。
ページ nd-1) で紹介したDaniel Post
という司令官がご指摘の「核抑止の
限界」という段落にある、
核兵器がいくらあっても、
サイバー攻撃やテロリズム、限定的な
領土紛争、同盟国やパートナーへの
大がかりな軍事支援、その他の「ハイ
ブリッド」型戦争技術などを抑止する
ためには、核兵器は役に立たない
という指摘の適切さが分かりますよね。
シアチェン紛争 1984 – 2003年
カシミールにあるシアチェン氷河の
領有をめぐり、両軍が紛争。
インド議会へのテロ攻撃 2001年
ニューデリーにあるインド議会でテロ
リストによる攻撃があり、インド側の
警察や守衛などに死者が出ました。
インド当局はパキスタンに本部を置く
2つのテロリスト組織を非難、結局、
両国の軍がLine of Controlや国境線
をはさんで睨み合う事態が翌2002年
まで続くことになります。
特定標的のみに対する攻撃 2016
ジャンムーカシミールにあるウリという
地区にあったインド陸軍の旅団本部を
4名のテロリストが攻撃、インドは対応
してLine of Controlを超えてテロ
リストの拠点に特定標的攻撃(surgical
strikes)を実施。
\(;; @ O@)/ まあ、ざっと主な衝突
だけを列挙したのですが~~
この両国間で紛争がエスカレートし、
核戦争に至ったら ・・・
最悪、世界のかなりの箇所が「核の冬」
に見舞われてしまう危険性すらあります
よね。
今回、アメリカの介入・調停が実に迅速
だったのも、頷けるというものです。
では、3> 「平和利用」で始まったもの
が・・以降は次回アップロード予定の
b-11)で!
Stop the fight!
私の「曲線描」の練習